1日目(28日)

** この日の観光コース **

(テオドシウスの城壁〜)トプカプ宮殿〜ブルーモスク



午後空港に到着。空港には、トルコ人ガイドさんがお出迎え。
うちの家族3人プラス、男性一人の計4人のツアーとなっていました。
機内食を散々食べた後だというのに、まっすぐトプカプ宮殿に向かい、その中のレストランで昼食。
少々食傷気味(苦笑)でしたが、メインの観光スポットが押さえられるところはツアーのありがたいところですね!


☆ 城壁・・・イエディクレ (Yedikule) 付近??  

   
 

 空港から海沿いの道を市街に向って走っていくと見えてきた城壁。3重の強固なつくりの 、ビサンチン時代・テオドシウスの城壁(とおもわれる) の、マルマラ海側の端です。ここがイエディクレかどうかは、ちょっと不明なんですが、地図をみると、このあたりとおもわれます(いい加減な・・・)ただ、ガイドブックの写真とは少々違うようでもあり・・・???
 イエディ=7、クレ=塔、の意味だそうで、388年に最初の2つの塔が作られ、テオドシウス2世により4つに増やされたとか。そして、イスタンブールを征服した、スルタン・メフメット2世により7つの塔になったそうです。

 そして、ここからは、かなりの頻度で城壁跡がみられます。ビサンチン時代の城壁は、陸側が三重、海沿い側のほうは一重、と、塩野さんの“コンスタンティノープルの陥落”にも記述されていました。

 






☆ トプカプ宮殿(Topkapi Sarayi)  ☆  
 

  トプ=大砲、カプ=門、という意味で、あわせて大砲の門という合成語。ボスフォラス海峡、金角湾、マルマラ海を一望できる、旧市街の岬の先にある宮殿です。宮殿を囲む海側の城壁はビサンチン時代のもので、陸側の城壁はトルコ人によって建設されたもののようです。
 宮殿は、スルタン・メフメット2世が1462年に建設を命じ、1467年に完成しました。その後増改築が繰り返され、1856年にドルマバフチェに宮殿が移されるまで、スルタンの住まい・公式行事の場所としての役割を果たしました。またハレムは、1588年にスレイマン1世により旧宮殿からこちらに移されました。
 ちなみに宮殿の敷地の広さは世界一、だとか。何と、あのヴェルサイユ宮殿よりも大きい??・・・あまり大きさを感じなかったような気もしましたが、博物館など周辺施設も全て宮殿の敷地だったといわれると、まあそうかも・・・???

 宮殿内部には、3重の門を抜けていきます。まずは、1478年に建設された、 皇帝の門(バーブフマユーン) 。ここからは、大臣と海外からの公使を除く客人は馬を下りて歩いて入らなければなりません。





 宮殿の敷地内、第一内庭にある、“ アヤ・イリニ教会 ”。ビサンチン時代に建てられた、イスタンブールで最も古い教会です。武器庫として使用されていたこともあるようです。

 

  こちらは2番目の門で、 表敬の門(バービュスセラーム) 。門はメフメット2世時代(1542年)のものですが、両側の八角の塔は、スレイマン1世によって増築されたものだそうです。ご覧のように・・・門の中も豪華ですが、これもその後の改築によるもののようです。ちなみに、ここを馬に乗ったまま通れたのは、スルタンだけだそうです。つまり、各国要人、宰相、政府高官、全てここから先は徒歩。

   


 そして、第二内庭から宮殿内のレストランへ。マルマラ海、ボスフォラス海峡を望む、とても眺めのいいテラスでお食事。

まずこれはアジア側。このず〜〜〜っと右側の果てには、トロイがあるはず・・・・・・

 

左側に視線を移していくと、遠くにボスフォラス海峡、そして(写真では分かりにくいですが)第一ボスフォラス大橋がみえます。一方、崖の下には城壁が。この城壁は、ビサンチン時代のもののようです。

 

  食事のあとは、宮殿の裏手のほうからぐるっと回っていきます。(第四内庭のようです)すると、敷地内に面白い実のなる木がありました。とちの木、らしいですが・・・トルコ人の日本語なので、正しいかどうかは不明(笑)。

     

 

 これは、 東屋(キョシュキュ) です。KIOSKの語源だとか??最初は皇帝の休息用でしたが、後に賓客用の部屋として利用されたそうです。この前には“チューリップ庭園”があります。チューリップはトルコ原産で、国の花か、それに近い位置づけらしいです。

 

  そしてさらに歩いていくと、 イフタールのポーチ と呼ばれるバルコニーに出ます。断食(ラマダン)のとき、スルタンは日没後の最初の食事をここでとったそうです。
 これはポーチからの眺め。左の写真中で見える橋は“ ガラタ橋 ”。最初にこの橋が架かったのは1845年で、現在のものは1992年のもの。そして、右に視線を移していくと、“ ガラタ塔 ”が見えます。ガラタ地区と呼ばれる金角湾の向こう側は、ビサンチン時代にはジェノバ人居留区でした。もちろん、“コンスタンティノープルの陥落”にも登場します。

   

 

  バグダットの館 。バグダット遠征を記念して建てられたもので、書斎として利用されていたときもあったそうです。工事中のせいなのか、パネルが立ててあり、本物が見えないのが残念・・・


 そして反対側には 噴水泉 が。噴水は出ていませんでしたが・・・

  このあたりは、皇子の“ 割礼の間 ”。イズニックタイルがとっても美しいのです♪

      

 

でも、建物は、ヴェルサイユのように大きな宮殿があるような感じというよりは、たくさんの建物の集合体のようです。なもんで・・・建物の中に入ったかと思ったら、いつの間にか第三の内庭に出てました(笑)。

 そして、この庭の中や周囲には図書館、宗教遺産の展示室、衣装の展示室などなど・・・そして、宝物館があります。



 この右の建物が アフメット三世の図書館 、左側は 謁見の間(アルズオダス) です。図書館には、今は何もないとガイドさんはおっしゃってましたが・・・。(後で資料を見ると、本は別の場所に移動されたようですが、それなりにいろいろなものはあったのですねえ・・・)何しろ時間が足りなく、中を見物することはできず・・・。




  宝物館 には有名なスプーン職人のダイヤモンド(卵くらいの大きさ・・・かなあ?のダイヤモンド)のほかにも豪華な宝飾品がいっぱい!!私的には、それこそ卵くらいはありそうなエメラルドがこれでもか、とあちこちでふんだんに使われていたのが一番印象的でした。緑はイスラム教では神聖な色ですから、エメラルドが好まれたのかもしれません。
 残念ながら写真撮影不可でしたので、買ってきた本の写真を・・・(笑)。問題があったら、削除します。左から、スプーン職人のダイヤモンド、トプカプの短剣、ターバンと飾り、です。

         



 第三内庭から、“ 幸福の門、または白人宦官の門(バービュスサーデット) ”を通って、第二内庭に戻ってきました。この門の前でいろいろなイベントが行われたそうです。例えばスルタンの戴冠式、軍隊の指揮官への叙勲の儀や近衛兵への給与の支給、さらに宗教的なお祭りや砂糖菓子の配布などなど・・・




 


 ここから、現在は中国、日本などからの陶磁器や調理器具の展示されている、宮殿の厨房、このほか武具の展示館、銀器コレクションなどを見学しました。調理器具は、巨大な鍋釜、おたまなどの道具が展示されており、小学校の給食室を思い出しました(笑)ここはもう写真ナシ。

 そしてとっても残念なのは・・・ハレムの見学ができなかったこと。往生際が悪いですが、せめてもと入り口だけ何とか写真にとりました。この奥に禁断の空間があるのねえ・・・

 

長くなってしまいましたが、これにてトプカプ宮殿見学はおしまいです。

ついでなので、ガラタ塔からみたトプカプ宮殿の姿を。(この写真を撮ったのは、4日目です。)手前は金角湾、向こう側はマルマラ海です。この場所が戦略上の要地であるということがよく分かると思います。まさに、この点にメフメット2世は目をつけたのだといわれているようです。 

 



- * - * - * - * - * -

 ブルーモスクまで歩いていく途中にあったお土産や。やっぱりヨーロッパなんかとはちょっと違い、オリエンタルな雰囲気が・・・♪ ターバン風の帽子はちょっと欲しかったかも〜

 



 

☆ ブルーモスク(Blue Mosque(Sultanahmet Camii))  ☆  

  正式名称は、 スルタンアフメットジャミィ 。ジャミイ、というのはモスク をあらわしているようです。この建物の中のイズニックタイルのブルーの美しさから、ブルーモスク、と呼ばれるようになったそうです。もう一つの大きな特徴は、 ミナレット と呼ばれる尖塔の数。全部で6本ありますが、これは世界中のモスクの中の最多なのだそうです。 もともとミナレットは、教徒にお祈りの時間を知らせるのが目的でしたが、次第に高さや本数、デザインなどが競われるようになったようです。

  スルタン アフメット1世が1609年に建造を命じ、オスマントルコの高名な建築家スィナンの弟子・メフメット・アーによって7年かけて建てられたそうです。この方、(ガイドさんによると)装飾だか細工だかの職人出身らしく、スルタンの希望は“アヤソフィア(2日目に登場します)より大きなものを”ということだったのですが、大きさよりも美しさを優先したのだとか。ですから、アヤソフィアよりドームは小さいけれど、美しさでは断然こちらに軍配があがると思います。

  あまりに美しいモスクなので、何度も何度も写真を撮ってます。一番できのよい3日目の写真を・・・


 天気、時刻により結構雰囲気が変わります。下左が1日目の夕方、右は二日目の朝、雨上がり。

   
 

 ちなみに、アヤソフィアは、このブルーモスクと向かい合うように建っています。大きさはこちらの勝ち!

 


 それでは、いよいよモスクへ。
礼拝堂横にある、大理石の台のようなもの・・・これは、死者を清めるための台なのだそうです。こんなところにぽっと置いてあるところがなんだか大らかな気がします・・・。ちなみに、イスラム教は土葬だそうです。


 そして・・・礼拝堂内部へ。写真うつりがいまひとつですが、イズニックタイルが張り巡らされているのがわかるでしょうか・・・。
 ちなみに、堂内の後ろ半分が一般の観光者が入れるスペースです。真ん中あたりに簡単な仕切りがあって、前のほうは信者がお祈りをするスペースになっていました。キリスト教会のように机と椅子があるわけではなく、全面に絨毯が敷き詰められています。

こちらは正面。ステンドグラスが美しいです。イスラム教は偶像崇拝を禁じていますから、ステンドグラスもその他装飾も全て図案化されたデザインです。下の方に見える扉のようなものは、“ ミフラブ ”というもので、メッカの方向を示しているのだそうです。なので、信者の方は、このミフラブのほうを向いてお祈りします。しかし、ミフラブ自体に神聖さや象徴性はないので、それ自体に対してお祈りをするわけではありません。

  



 これは、ドームを支えている大きな柱のひとつ。直径5mです!この柱は全部で4本あって、“像の足”と呼ばれているとか。下に見える部屋のようなところは、スルタン用のスペースだそうです。

 

 そして、これがドームの天井。こちらもタイル。このように堂内の装飾に用いられているタイルは2万1千枚、57種類あるのだそうです。中心はアラビア文字のデザイン化されたもの。

 

 正面をナナメからみたところ。下のほうの白っぽい扉のようなものは、先ほども写っているミフラブ。その右隣に階段がみえます。これは ミンベル (ミンバル)というもので、金曜日や祭日に、カリフ(導師)が説教をする台です。


 こちらは正面後ろの出口。この正面が中庭になってました。あちこち入り口、出口があって、時間によって変わるようです。


長くなりましたが、これで初日観光はおしまいで〜す!!


2008.08.23