3日目(22日)  その1)

** この日の観光コース **

青の洞窟  〜  ヴィラ・ダメクータ
 〜 赤屋敷 

この日は、前日とはうって変わってすばらしいお天気!カプリで最も有名な観光名所・青の洞窟にも入ることが出来ました♪
ただ・・・暖かいと、空気も湿り気を帯びてしまうためか、遠くがかすんで見えてしまうんですよね。それがちょっと残念!
青の洞窟とヴィラ・ダメクータは、地図上で直線距離は近いのですが・・・侮るなかれ!高低差はあるし、直接上れる道もありません!
青の洞窟見学後に、「きっと近いよ!」・・・と歩き始めましたが、結局1時間近く歩いたんじゃないかな・・・・・・
途中で、「タクシーに乗ればよかった」とか「下調べが足りない」とかケンカにもなりかけましたが、
やっと到着できたら、それまでの疲れも吹き飛びました!
でも、その日の昼は、いつもにも増して、ワイン飲みまくっちゃいましたが(笑)
あ、最初から覚悟して、のんびり歩くつもりでしたら、途中の家々の様子やいろいろな植物を観察したり、海を眺めたりしながら歩くのは、
なかなか素敵ですよ!(・・・あまり説得力ないかなあ・・・笑)
 

☆ 青の洞窟(Grotta Azzurra) ☆  


        

 ご存知、青の洞窟です。・・・私たちが訪ねる1ヶ月くらい前には異臭騒ぎがあったりして心配だったのですが、まもなく解決したようで、ほんとに安心しました!!まあ、写真のほうは・・・ガイドブックなんかで見るほうが綺麗に撮れていますけどね、当然ながら。でも・・・やはり、自分たちで観た、という記念だと思い、がんばって撮影しました!
 本当に、水が輝いていて、光源が下にあるんじゃないかと思うくらい。入り口の近くでは、写真のように、サファイアとかのブルーよりも、もっと明るい水色。奥にいくと、もっと深い青になります。でも・・・この明るい輝きがむしろ私には感動的!・・・でした。そして・・・洞窟の中を1週する間、船頭さんのカンツォーネが洞窟の中に響き渡って、本当に夢心地でした・・・。

 洞窟の内部は奥行き60m、幅(最大)25m、水面上の高さ(最大)14m、深さ(最深)22m、だそうです。(資料の種類により数値には若干の違いあり。これは、一番新しそうなガイドブックに記載されていた数値です) 海面に出ている出入り口の近くの海中に、地殻変動で没した洞窟のもう一つの大きな開口部があり、外海からここを透過してくる太陽光が石灰岩の海底で反射することにより、この色となるのだそうです。
 実は、洞窟の内部はいくつかの空間で構成されているのだそうですが、この、青のドームと呼ばれる一番外側の空間だけしか観光客はみることができないのだそうです。

 洞窟内には船着場跡があったり、また海底から大理石の彫像が引き上げられたりしたことから、この洞窟は、ティベリウスがプライベートなニンフェウム(またはニンファエウム)として使用していたと考えられています。ニンフェウムとは、水浴場、とも訳されているようですが、もともとはニンフに捧げた半円形の装飾建物、の意味のようです。(引き上げられた彫像の紹介は後ほど・・・)そして、ここから、洞窟の上に建てられたヴィラ・ディ・グラドラ離宮に通じる通路がつくられていたそうです。だから、ここはお屋敷の専用プール、というわけですね♪
 ローマ帝国衰退後は、この洞窟も忘れ去られ、また島民からは魔女や怪物が棲む場所として恐れられていたとか。1826年、カプリの船頭アンジェロ・フェラーロ(Angelo Ferraro)の案内でアウグスト・コピッシュ(August Kopisch)とエルンスト・フライ(Ernst Fries)の二人の冒険家が、偶然この洞窟を再発見し、その後ここは観光名所となりました。


 説明が長くなってしまいました。ここからは、洞窟にはいるまでの手順を!

   

    まず・・・ホテルのある、アナカプリからは、バスで青の洞窟の
   上(終点が“Grotta Azzurra”)まで出かけます。停留所のある
   広場から下を覗くと、青の洞窟の入り口と思しき様相が。比較
   的大きなボートは、おそらくマリーナ・グランデ(カプリ島の玄関
   である港)からやってきた方たち。下のほうの小さな舟が、洞窟
   に入るためのもので、船で来られた方たちもここで小舟に乗り
   換えるのです。
    青の洞窟への行き方は2通りあり、一つは私たちが利用した
   バスで陸路を、もう一つはマリーナグランデから船を使います。
   お勧めはやっぱり、陸路。特に・・・多分、混んだ時には、船の
   上で長々と待たされるよりは陸で待つほうが楽そうですか
   ら・・・。ただし、多分、アナカプリ経由でしかバスがないので、
   カプリ日帰りの方はこのルートは難しそうです。

 これは、崖に作られた階段を下りたところから、舟をとったもの。
大きめの船の上でも、観光客が小舟に乗り換える順番を待って
います。遠くに見えるのは、ヴェスヴィオ山。

    こちらが、バス亭から下におりる階段。あまり混んでいません
   ね。こちらからは、直接小舟に乗ります。波が打ち寄せるので、
   乗り口で靴が濡れそうになります!!
    この日は、待ち時間10〜15分くらいかなあ・・・わりとすぐに舟
   に乗れました。舟に乗ってからも、割とすぐ受付をして、中に入
   れました。きっと、真夏ではこうはいかないでしょうね。あとは、
   午前中の早い時間、というのもよかったのかも。(この時点でま
   だ午前11時前でした)

  ↓料金は、舟に乗ってから支払います。料金所も舟の上。これとは別に、船頭さんへのチップを、洞窟見学後に渡してあげます。・・・もちろん、必須ではないけれど、気持ちですからね!

    

 左の写真は、洞窟の出入り口から舟が出てくるところ。船頭さんも、岩に取り付けられた鎖を上手く使って、舟の高さすれすれくだいまで仰向けになりながら舟を操るんです!!何艘か出てきたら、今度は何艘か入っていく、といった感じです。
 右の写真は、船底に寝そべった状態で、船頭さんをうつしたもの。凛々しいですね〜(笑)

    

   さあ、いよいよ、洞窟の中へ・・・!!船頭さんの向う
  に、入り口が・・・
  (変な手前のものは、私が持っていた手提げ袋。寝そべ
  りながら撮ったので・・・ヘンなものが写ってしまいまし
  た・・・)

  さあ、とうとう中に入りました・・・!ほんとに、水が輝いています・・・!!!洞窟内を、舟は反時計回りに進みます。

    

   こちらは・・・洞窟をはいって奥、やや右側にある船
  着場のあと。ティベリウスはお屋敷から、ここを通って
  洞窟内にやってきたのでしょう・・・。彼は運動神経も
  よかったようですから・・・歳をとっていても、ほんとに
  『水泳』を楽しんでいたのかも(笑)
   ここは、『コッチョペスト』(特に湿気の多い場所に応
  用された、古代ローマ独特のレンガ、瓦、壷などの欠
  片を利用し、石灰で固めてよく打った上張り技術)の床
  になっているのだそうです。恐るべし、古代ローマ!!
   さすがに、これはフラッシュをたかないと何も写らな
  かったので・・・フラッシュ有りで撮りました。

 奥のほうから写真を撮ると、こんな感じ。・・・本当はもっと明るいのですが・・・やはり、旧式・AFのデジカメではこれが限界。・・・・・ほんとうは、内部の壁も青っぽく光っているのですが・・・写っていませんね・・・。→と思ったのですが、写真の加工をしたら、ちょっとみえるようになりました(笑)ちょっと画像粗いですが。

    

そして出口に向います・・・。反対側からは、入ってきたばかりの舟が・・・。

 洞窟を、フラッシュをたいて撮ると、こんな感じになります・・・。シャッター時間が短いから、波模様は、くっきりしてますね。でも、舟の姿があまりに明るいのもどうかと・・・。それに、フラッシュをたいても、壁の反射光までは写りません。(というか、消されてしまうんでしょうね・・・)

  ・・・以上、夢のような数分間でした・・・。

 階段の踊り場では、ネコがひなたぼっこをしていました・・・。幸せそうだ〜〜〜!!!




☆ ヴィラ・ダメクータ(Villa di Damecuta) ☆    
 

 ヴィラ・ヨヴィスと並び、ティベリウスの発案によるものと考えられている屋敷跡です。特に、夏用の別荘として建てられたと考えられているようです。冬はここは風が強いから・・・とかいう記述をどこかで見たような気がするのですが・・・ヴィラ・ヨヴィスだって同じじゃないかともおもいますが。
 かつては、海からアクセスできる道・階段があったようなのですが・・・少なくとも、今はありません!!よって、青の洞窟からえっちらおっちらバス通りを歩いて上るしかありませんでした・・・。(もちろん、バスに乗ればよかったんですけど・・・バス停名なんかも全然わからなかったのです。)

 まずはとりあえず、ヴィラの全体図。黄色が『迎賓の間』の部分で、左の半円形の部分(A)は、見晴らし台と考えられるそうです。長く伸びた部分(B)は、ヴィラ・ヨヴィスにも見られた『アンブラーツィオ』(散歩道)と呼ばれる回廊。そして、緑の部分は『居住の間』部分。寝室なんかもあるようです。そして赤の部分は、中世に作られた塔です。

 A.D79年のヴェスヴィオ山の噴火の際に、このヴィラも火山灰に覆われてしまったようで、その後は放置されたようです。ですが昔から、このあたりは大理石の破片や構造が発見されることで知られていたようです。(だから盗掘なども進んでしまったんでしょうね・・・)中世・12世紀に、サラセンの海賊の侵攻から島を守るために、塔が作られました。その後、カプリ支配を目論んで19世紀初期にイギリス軍とフランス軍が戦争を行った際に軍隊の訓練場となり、そのときにはここに要塞が建てられたそうです。(このときにかなり遺構が破壊されたらしい)そして、20世紀初頭には、なんとこの場所もアクセル・ムンテ氏(2日目その2をご参照ください)が購入したのだそうです!!!おそるべし、アクセル・ムンテ。・・・結局、1937年に、イタリア政府に譲渡されたそうです。
 現在の姿は、(ヴィラ・ヨヴィスも発掘した)A. Maiuri氏による1936年からの発掘調査の結果、だそうです。海沿いのこの一部分は見ることができますが・・・後ろ側には、松林。現在では、かつての建物の全貌を想像することは困難だそうです。石材の持ち出し、盗掘、破壊・・・で、荒廃が進んでしまったんですね。
  
 では、まず・・・見晴台を望みます。見晴らし台、だけに、すばらしい眺めです。左の写真で見えているのは、温泉が湧くという、イスキア島。かつてアウグストゥスが、このカプリと交換したんですよね。
 こうやってみると、建物の基礎だけが残っているのかな〜、と思いませんか?・・・でも、違いました。

    

   この向うが、散歩道です。すごく薄くしか写ってい
  ませんが、ヴェスヴィオ山はこの方向。

 この見晴台、横から回り込むことができたんです。すると・・・なんと、アーチ型の遺構がしっかりと残っているではありませんか!!!ここ掘ったら、建物の形が分かるんじゃないでしょうか・・・。掘りたい!!!発掘してみたいです・・・!!
 大理石の柱なんかも転がっていたりして。なんかもう、ドキドキしちゃいました♪

    

 このへんは、お屋敷の左端(西側)。・・・・・・だったと思います(汗)記憶が・・・

    

 下を眺めると、砦のようなものが見えます。このあたりの
海岸線には、中世から19世紀にわたって築かれた砦が
点在しているのです

     ・・・そして、散歩道跡。向うにダメクータの塔が見
  えます。右側にも、何かしら建物跡のようなものが残
  っています。

 そして、中世に立てられた、ダメクータの塔と、その後ろにあった、よく分からない跡。この塔の下に降りられたようなのですが・・・気がつかなかったか、それとも閉鎖されていたかで、降りていません。後で資料をみると、そこにこそ、寝室などの居住空間があったんですよね・・・!!!ああ・・・ショック!!!次回は絶対に下に降りたい・・・!!!

   

 ともかく、この塔の前からの眺め。すなわち・・・居住空間からの眺めとほぼ同じ・・・。下の舟がたくさんあるあたりは、青の洞窟入り口付近と思われます。左にヴェスヴィオ山、右にはソレント半島がやっと見えるかな・・・という感じですかね。


    塔のところから、回廊方向を見た写真だと思うのです
   が・・・(すいません、記憶があやふやで・・・)柵の下にも
   何やら遺構らしきものが見えます。

 まあ、遺跡の規模としては、ヴィラ・ヨヴィスに遠く及びませんが、のんびり見ることができたこと、そして、何よりお天気がよかったこと、から、なかなか楽しめました♪
 そして・・・帰り道、松林の中に落ちていた、小さな大理石(いや〜ただの石灰岩かも・・・笑)の欠片を持ち帰りました♪
・・・だって、もしかしてもしかしたら・・・お屋敷に使われていた建材の一部だったかも・・・しれないでしょう!ティベリウスの屋敷の一部、と信じて、お守りにしてます♪

 ヴィラ・ダメクータは、分かりにくいのが難点。ヘリポートの横の道にこんな表示が・・・。これ、来るときは気がつかなかったです!!・・・やはり、ちょっとマイナーな遺跡なんでしょうね。

 


○ 昼食 ○

 普通は・・・お食事は取り上げていないのですが・・・いかにもイタリア人っぽい光景を目にしたので(笑)
 ・・・何しろ、ダメクータに行くのに時間がかかってしまいましたので、お昼はずいぶん遅くなってしまいました。お店に入ったときには満席で、外に座れなかったのですが・・・いつの間にかお昼時は過ぎてお店はガラガラに。しかし、窓の外の席の一団だけは、まだ宴もたけなわ。一族の集まりのようで、男性陣は、子供も含めて全員がお洒落にストライプのシャツ姿でした! ・・・子供は途中から飽きてきたようで、しきりにこちらを向いて笑いかけてきました。写真を載せるのは支障があるかもしれないのでやめておきますが、めちゃくちゃかわいかったです♪
 そして・・・ついに、これが何の集まりか分かるときがきました!!!なんと、おじいさん(テーブルの一番ケーキに近いところ手前側)の80歳のお誕生会だったんですね!!派手なバースデーケーキが登場して盛り上がってました!!家族を大切にするイタリア人、の素敵な光景を見せていただきました・・・。

     




☆ 赤屋敷(Casa Rossa) ☆

  1876年から1899年にかけて、アラゴン家のフェデリーコ1世(Federico I d'Aragona)が14世紀の防御塔を改修して建てたもので、その後アメリカ人ジョン・クライ・マッコーエン(J.C.MacKowen)が引継ぎ、現在の形となったようです。マッコーエンは考古学の造詣も深く、島の伝統やスタイルを独自のセンスで建築に取り組む試みを実戦し、自身で発掘した遺物(や複製)のほとんどをこの建物の中に埋め込んだそうです。ヴィラ・サン・ミケーレにも見られた技法ですね。(主に、グラドラ離宮で発掘した品のようです)
 ちなみに、この壁の色は、『ポンペイの赤』と呼ばれている色だそうです。   

 

 ここは、中世には、敵が攻めてきたときに女性たちが避難する場所だったそうですが、今日では芸術、文化イベントが行われているのだそうです。
 そして、訪れたときには、ここに、青の洞窟の海底から引き上げられた大理石像が展示されていたのです♪・・・この大理石像たちは、資料によって展示場所についての記述が変わっています。見にいきたい方は、要注意!この屋敷に展示されているのも、いつまでだか分かりません・・・。

    これは、入り口はいってすぐの壁。受付の後ろにあたりま
   す。こんな風に壁に発掘品が埋め込まれているんです。
   説明が一切ないので、細かいことはわかりませんが。

 ↓左は、中庭に設置されている像。かなり大きいです。右は、建物に埋め込まれた発掘品と思しき柱やアーチ。

     

 そして、いよいよ、青の洞窟から引き上げられた彫像との対面♪・・・

 どれかが海の神ポセイドン、他はトリトン(ポセイドンの息子たち)・・・と思われます。配置からいくと、中央がポセイドンかな〜と思うのですが、資料に『ポセイドン』と出ている写真とは違うみたい・・・。(他にも引き上げられた像があるのかもしれませんが・・・)傷みが激しいですが・・・それは海底にあったためですから、しょうがないですよね。(とはいえ、17世紀のころはまだ、これらの像は洞窟内の壁に取り付けられた状態だったらしいです) 洞窟の壁に置かれ、水面に浮かび上がるような印象を与えるために、膝のところでカットされているのでは、と考えられているようです。あの洞窟の中で、こんな彫像たちに囲まれるなんて、神秘的。本当に神が現れたかのように感じるかもしれません・・・。そして、そんな中で水浴を楽しむなんて・・・やっぱりゼイタクですよね!まあ、ローマ帝国の皇帝ですから(笑)!ティベリウスは、人生を楽しむセンスはすごくあったのかも。人付き合いがヘタなだけで(笑)

 せっかくなので、あまり倍率はかわりませんが・・・1体ずつの写真も。右の像は顔も少しのこってますよね、よくみると。

   

 引き上げ当時の様子を紹介した資料も展示されていました。・・・すごいなあ。なんかこう・・・引き上げのワクワク感が伝わってくるような。でも・・・あの小さな入り口から出すのも大変そうです・・・。海中の大きな開口部から出したのかなあ・・・不明ですが。

 この日の締めくくりは、このお屋敷の屋上からの眺め。左の写真・・・階段状の上の部分にタイルが貼られています。これがかわいい!そして、右写真のドーム状屋根にもタイルが!右写真の左側にみえているのは、イスキア島。

    




 
この日は・・・お昼が遅く、なおかつたくさん食べ過ぎたため、夕食はごく軽く・・・のつもりでしたが、結果やっぱり重くなってしまいました(笑)ピザとサラダだけ、だったんですけどねえ。やっぱり、一皿が巨大、なんですよね・・・

 


2009.11.14