2日目(23日)

** この日の観光コース **

ナポリ・ポンペイ1日観光



この日もとにかく暑い!やっぱりいい天気で日差しも強い!!こんな日にポンペイなんて自殺行為!!
それでも予約していたので、朝7時にホテルを出発、観光バスで南に向かいました。



☆ アッピア街道(Via Appia)  

   


 唐傘松の並木が続いている道が、ローマ最初の完全舗装道路である、アッピア街道です。ナポリへ向かう途中でバスの中から必死で写真を撮りました。
 当時財務官であり、ティベリウスのご先祖様でもある(←ここが重要、笑)、アッピウス・クラウディウスが立案し、紀元前312年に敷設しました。工事の最高責任者でもあったアッピウスは、街道の平坦度をたしかめるためにサンダルを脱いで素足で歩いてみたそうです。以前にTVで放映していた、F1誘致に成功した富士サーキットを思い出します。何か道具を用いて、平坦度を測定していたと思うのですが・・・。しかし、古代の工具、計測器などなどの水準を考えれば、ローマ人の技術はそれ以上のことだとも思えます・・・。ちなみに、ローマ帝国を網の目状に走っている街道や橋、トンネルは、軍団兵により敷設されています。軍事上、政略上の必要性から敷設されたためですが、もちろん、一般市民もその恩恵を受けられたことはいうまでもありません。
 アッピア街道は、ローマ人から“街道の女王”と呼ばれていたそうです。ローマ街道とはどうあるべきかのモデルを、この街道は指し示しているためです。ローマ市近郊では、当時のままの道が一部残されていますし、マイルストーンも建っています。(ただし、本物はカピトリーノ美術館に保管されており、道端に建っているのは復元されたもの。)本当はそこにもいきたかったのですが、今回は時間が足りなくて断念しました。
 
 


☆ ナポリ(Napoli)  ☆

  カプリ島観光組を港で下ろしたあと、卵城の近くでバスを降りて写真撮影タイム。“ナポリを見て死ね”とまでいわれる風景・・・のはずなのですが、それほどでも?(笑)。ナポリでは、ここでバスを降りるだけで、あとはバスの中からの観光でした。ナポリの博物館もいろいろ面白そうなものがあるので、いつかは行ってみたいのですが・・・・・。



 はは・・これ、何を撮ってるかわからないですよね。水平線の上にう〜っすらと島影が見えているのですが・・・・・・。これが、カプリ島・・・ティベリウスが、2度目の家出をし、晩年の10年を過ごした島・・・なんです。実は、カプリ島観光、というコースもあったんですけど・・・このコースのメインは、“青の洞窟”。ナポリから船でカプリ島に渡ったあと、モーターボートで洞窟近くまで行き、そこで4人乗りの小舟に乗り換えて、洞窟のなかにはいるのだそうです。ハイシーズンの夏休み期間では約1時間半も舟の上でまたされるとか。真夏にこれも耐えられないなあ、と思ったのと、せっかくカプリ島まで渡って、ティベリウスの住んでいたヴィラにも行けないなんて哀しすぎる!と思ったため、カプリ島観光コースはやめました。
 カプリ島は、“ナポリ湾の真珠”と呼ばれ、2千年前は、皇帝の私有地でした。アウグストゥスが、当時所有者だったナポリとの間にイスキア島と交換することを条件にして、取得したのです。アウグストゥスは結局、死の年に短期間立ち寄っただけでした。もしかして、アウグストゥスが唯一(失礼!)ティベリウスに遺した、ありがたい贈り物になったんじゃないかしらん・・・。

 

 このあと、カメオ工房の見学もありましたが、結局何も買わず。そして、ポンペイの町で昼食をとり、ポンペイの遺跡に向かいます。


 

 ☆ ポンペイの遺跡(Pompei)  ☆

 前回とは入り口が違いました。遺跡はいまだ発掘中ですから、いろいろと都合があるのかもしれません・・・・・・。この中もガイドつきツアーで回ります。見学場所は前回と大体同じ地区でした。本当は、ゼロナイの“ポンペイの少女”の最初の方に出てきた、円形競技場(少女とハインリヒが出会ったところ)にも行きたかったのですが・・・ちょうど出入り口とは反対の場所で、2時間かそこらの見学コースではとてもいけるところではなさそうです。ま、そこも、いつの日か、訪ねたいですね・・・。
 ポンペイは、イタリア南部、カンパーニャ地方の都市でした。紀元前7世紀にエトルリア人がこの町の基礎を築き、やがてローマに吸収されます。ローマ時代の典型的な地方都市でしたが、紀元79年8月24日午後1時頃から始まったにヴェスヴィオ山の噴火により、街全体が6m以上の火山灰に埋もれてしまいました。そして19世紀に始まった本格的発掘により、当時の街並み、そして人々の生活ぶりを示す様々なものが良好な状態で現れました。今でもまだ、全体の1/3程度が未発掘で、発掘が続けられています。


☆ 剣闘士の練習場宿舎 ☆


 この広場と、周辺部が練習場となってます。この写真ではわかりませんが、手前側が宿舎です。部屋はさほど広そうではなく、ベッドくらいしかなかったようです。街に出れば、食事も出来るし飲めるし(笑)、お風呂にも入れますから、生活に困ることもなかったらしいです。まあ、現在の独身寮のようなイメージなのでしょうかねえ。
 古代ローマでは、“パンとサーカス”と揶揄されたように、剣闘士の試合などの見世物が盛んに行われていました。(ティベリウス帝の不人気の一因は、剣闘士の試合が嫌いだったために、全く開催しなかったことなんです)奴隷が戦わされて犠牲になったイメージが強いですが(もちろんそういうケースもありましたが)、実際には、市民に人気のスポーツ観戦みたいなもので、人気の剣闘士には女性ファンがついたりすることも多く、報奨金も稼げるので、望んで剣闘士になる人も結構いたようです。言ってみれば、少々残酷なボクシングやプロレス、K-1とか?(笑)

☆ 大劇場 ☆ 

 丘の斜面を観客席に利用して建造された劇場です。ギリシャの劇場の建築技法にならったものだそうです。屋根はなかったそうですが、コロッセオのように、テントを張ることができたらしいです。
 隣には小劇場もあります。そちらは、音響効果などを計算して観客席の角度なども厳密に設計して作られたとか。

☆ ローマ時代の住居 ☆

 説明を考えるのが非常にかったるいので(笑)、塩野七生さんの住居に関する説明を引用します(文庫8巻p34〜)。
『・・・入り口から入ると、アトリエの語源となるアトリウムと呼ばれる中庭に出る。(写真の手前は、そのアトリウム) 中庭と言っても庭があるわけではなく、天井の中央の部分が開いていて、そこから外光を入れる式の中央空間にすぎない。円柱が四方をささえる屋根の中央が空いているのだから、雨でも降れば水びたしになるところだが、ローマでは雨の降る日は少ない。このアトリウムの中央には、雨用というよりも美観上の理由で、小ぶりのプールがあるのが普通だった。それを回廊がめぐり、その左右には各部屋の扉が並ぶ。・・・・・・アトリウムの向うには、タブラリウムと呼ばれる一室がある。この家の主人の、言ってみれば応接間である。・・・・・・玄関からアトリウムを通りこのタブラリウムに至る部分が、家の中ではパブリックなゾーンであったと思ってよい。・・・・・・プライベートのほうも、同じく吹き抜けの部分を中心に回廊がめぐりその背後を部屋がめぐる・・・。・・・・・・エセドラと呼ばれる一角には、この家の保護神・・・を祭る祭壇があり、その横には・・・先祖たちも祭られている。現代の欧米人よりも、神棚と仏壇の同居を見慣れている日本人のほうが、アトリウムに対してペリスティリウムと呼ばれたプライベートゾーンに導かれても、感じる違和感は少なかったのではないか。・・・・・・欧米人よりも日本人のほうが違和感が少なかったと思うもう一つは、古代ローマの家の室内の内装である。ヨーロッパの研究者の一人は、もしも古代のローマ人現代のヨーロッパのあらゆる種類の家具調度で埋まった室内を見たら、物置ではないかと思うにちがいない、と書いている。』
 長くなってすみません・・・。でも、意外とローマ人と日本人に共通点があるのね〜、と感心したので、紹介したかったんです。 

☆ フォーロとヴェスヴィオ山 ☆


 

 フォーロ、すなわち広場。フォロ・ロマーノがローマ市内の政治、経済、宗教の中心地であったのと同様に、ポンペイの街の中心地です。正面は、ユピテル神殿の跡です。
 ゼロナイの“ポンペイの少女”にも出てきてますね、よく見ると。月が昇っているコマです。次のコマで、ハインリヒが“ふるえてるのか・・・”と少女に話しかけてます。う〜ん、これは、Museumも書き直さないと(泣)。ここと、次で紹介するアポロ神殿は隣同士なので、最後の戦闘が行われたのは、どちらか限定できないのかも??ま、たぶんこのあたり、ということで!
 正面がヴェスヴィオオ山。今回説明を聞きますと、昔の山頂は向かって右側に近いほうで、79年の噴火で大きく抉れてしまったあと、左側が隆起してきて現在の形になったのだとか。忘れてしまいましたが、ちゃんと両方の山に名前がついているそうです。(どちらかが“ヴェスヴィオ”なんです)ちゃんと御大は、爆発のとき富士山型の山で描いておられますね・・・。


☆ アポロ神殿 ☆

 今度こそ!ゼロナイ“ポンペイの少女”に登場するアングルでこの神殿を撮りたいと思ったのですが、本を持っていったわけではないので、やはりビミョーに違いますねえ。でも、前回よりは雰囲気でてます(笑)。最後のほうで、すべてが終わり、風が吹き抜けるシーンをご覧いただけると・・・。


 そして、これは、神殿の脇の柱廊前にあるアポロ像。これはレプリカですが。そして、反対側には、ディアナ(もちろん、fギリシャ神話ではアルテミス♪)の像が。

 

  なんか、アポロ像よりちゃっちくみえるのは気のせいでしょうか・・・・・・。発掘されたときに下半身が残っていなかっただけで、本当はあったのかもしれません。ともかくもちろん、こちらもレプリカ。本物は、いずれもナポリの博物館にあるそうです。
 ちなみに、このアポロ神殿は、ポンペイの中でも、最も古い遺構のようです。

 

 これにて、灼熱のポンペイ観光はおしまい。再びバスに乗り、ローマに戻りました。途中で、カンパーニャ地方の名産ワイン、“Lacryma Christi (キリストの涙) del Vesuvio”というワインを購入。名前にChristが入ってはいますが、もちろん、キリスト教発祥以前から作られているワインでです。カプリ島に隠遁したティベリウスも飲んだに違いない〜〜♪と、心は躍ります。ちなみに、ティベリウスは、かなりの酒飲みとしても知られているのです・・・。ワインを水で割って飲んでいた時代、ストレートで飲んでいたほどだとか。

これがそのワイン。いつ飲もうか思案中・・・