I アウグストゥスの凱旋式

I-i ティベリウスの生い立ち、性格

 BC29年8月13日、歴史上の舞台の初めてティベリウスが登場した日、それは、オクタヴィアヌス(後のアウグストゥス)の凱旋式でした。彼の戦車の左右には、二人の若者が騎馬姿でしたがっていました。右側は、14歳のマルクス・マルケルス・・・オクタヴィアヌスの姉のオクタヴィアの息子、そして左側には13歳のティベリウス・クラウディウス・ネロです。凱旋式は3日間にわたり、非常に華やかなものでした。
 このときのオクタヴィアヌスの容貌は“ほっそりとした姿、青ざめた顔色、物足らなそうな瞳、少女のような唇”(・・・あまり褒めているようには感じられませんが(笑)。)彼の姿は優美で、若々しさの象徴のように見えたのです。
 
そして、オクタヴィアヌスは、ヤヌス神殿の扉を閉めました。やっと、ローマに平和が戻ってきたのです。



 平和になったローマは、希望に満ち溢れていました。そんな中、BC27年にアウグストゥスは君主制を形作ることに本格的に着手します。そして早くも、甥のマルケルスを後継ぎにすることを考えていました。
 この年、彼は“トロイ競技会”なるものを開催します。これは、古来、ローマの若者の祭りで、アエネイアスの時代にさかのぼると信じられていました。(どのような祭りかというと・・・若いリーダーが集団を指揮して行われる、現代のマス・ゲームに近いものなのではないかと思います。)この年に選ばれたのはマルケルスとティベリウスでした。そもそもこの祭りは、アエネイアスがイタリアに着いた出来事の描写されたもので、かつてトロイを逃れてきた彼らの未来への希望を再現したものといえるのです。それは、このときの新しい時代の幕開けにふさわしいお祭りだったのでしょう。
祭りは大成功だったそうです。
 この年、オクタヴィアヌスはアウグストゥスとなっています。その彼がトロイ競技会のリーダーを選んだことには特別の意味がありました。この二人の指名は、彼らが、アウグストゥスが最も期待をし、最も将来有望な若者である、ということに等しいのです。彼らに立派なキャリアを積ませ、目立たせる、そんな効果があったのです。
 ・・・この本の話は、その希望とキャリアの結果がどんなものであったのか・・・を語っていくことになります何だか意味深な振りです・・・



 母リヴィア・ドルシラが父と離婚したとき、彼は4歳で弟ドゥルーススがお腹の中にいました。弟は母の再婚後生まれています。当然、彼はアウグストゥスの息子ではないかという疑惑がささやかれました。そしてその噂は、ティベリウスも長じるにつれ知ることになってしまいます。・・・実際それが真偽はともかく、可能性はあったためか、アウグストゥスはドゥルーススを溺愛します。その結果、ドゥルーススはティベリウスと気性も個性も異なっていました。外交的で開放的な魅力に溢れ、流暢な語り口、知性的で礼儀正しい人物だったようです。これらの特性は実際には母の家系によるものだったかもしれませんが、アウグストゥスの息子だからかもしれない、などとも一部ではいわれていたのかもしれません。しかし、彼の素晴らしい才能は、アウグストゥスが驚いたことから分かるように、オクタヴィウス家の人々よりも高いレベルのもので
した。一方、アウグストゥスの明らかな直系であると分かる人たちのレベルは、オクタヴィアス家並レベル(foolという単語が使われています、笑)でした(ので、アウグストゥス家の血ではないと思われるのでしょう)。しかしながら、最終的には、ドゥルーススは、リヴィウス家の伝統“不運”を引き継いでしまったのです。・・・結局彼の父は特定できていません。

 一方、ティベリウスのほうは正真正銘のクラウディウス家です。彼は9歳のときに父を亡くして母の元におくられ、アウグストゥスの庇護を受けるようになります。9年間の実父との関係は、彼の生来の人格を固定するのに十分でした。そして、平凡であるけれども人間的であった父の元から、輝かしく偉大ではあるが冷酷な、リヴィアとアウグストゥスの統治する世界に放り込まれてしまったこと、そしてその重大性を感じるほどには彼は大人になっていました。このときから彼は、後年になるとしばしば表面に現れる自分の気難しさに、気がついたのかもしれません。
 9歳の少年は、既に聴衆の前で父の葬儀の演説を行うほどの堂々たる人物となっていました。その演説内容は傑作ではなかったかもしれません。しかし、このような公式の場で公的な演説のできる9歳の少年とは普通の人キャリアからはかけ離れていたのです。しかも彼は父の葬儀全体の指揮さえしていました。しかし、アウグストゥスとリヴィアは、それは彼が、それを行うことの出来るだけの財力をもっていたからだと判断していたのです。(これはあまりにひどい話です。自分のキライな子だと、そんなに評価が下がるのでしょうか??)しかし、アウグストゥスは、この類まれな実行力をもった人物に、まず名声を与え、最後には帝国を与えることになります。
 最初のアウグストゥスとティベリウスの接触はぎこちないものでした。しかし、アウグストゥスは少なくとも義父としては誠実でした。
 若いティベリウスは、文学、法学、軍事など、その後の彼のキャリアに必要な全ての学術分野にわたって確かな教育を受けていました。また彼はたくましい体躯で優美な容貌でした。肌は白く、後ろ髪を伸ばした、伝統的なクラウディウス一門の髪型でした。
 そして彼は、とてもデリケートな人間でした。彼でしたら、12枚のマットレスの下のバラの葉にも、物語のお姫様と同様に素早く気がつくだろうと思われるほどに。肉体的な過敏さは、訓練によって克服することが出来ました。そしてティベリウスはたくましい男性に成長しました。しかし、より制御の難しいメンタル面の過敏さは、彼自身制御方法を学んだわけではないこともあって、改善される傾向はなかったようです。 
 
彼の性格は、内気、気が利かない、潔癖症、実直、そして感傷を嫌う反面、詩歌の鑑賞を好み、バカ騒ぎは好みませんでした。そして彼は勇気と自惚れの違い、率直さと無礼の違いもきちんと理解しており、決して過ちは起こしませんでした。彼はほとんど人の共感を得る努力をしませんでしたし、誘惑を受け入れることもありませんでした。彼を知ることは難しいことでした。それは彼が自分自身を用心深く守っていたからです。自分の殻の中に入り込もうとしてくる人たちを、彼は無視し続けました。
 彼ははじめから、自分の心の中に“カプリ”を持っていたのです。彼は、自分を挑発したりするもののない、彼の隠れ家に引きこもったのです。彼は公平、公正に強くこだわりがありました。ですがそれは人や、自分自身を尊重する、というものではなかったようです。また、自分自身に対しての不公平さを認識すると、彼の心はは遠く離れたところに閉じこもります。それは、繊細な心の持主が自分の精神を守るための手段なのでしょう。
 努力と良識に裏打ちされた優れた能力や、鋭い理解力、そして感情に惑わされない判断力をもつティベリウスは、立派なリーダーとなります。周囲からみたティベリウスは、冷静で公平、思慮深い人で分別がある。また物事の全体を見通す力があり、公正で厳格、的確な判断力を持つ一方寛大でもある。しかし幾分気難しいリーダーである。・・・そのような人物だったのです。それは、人にモノは与えても心は与えない・・・そんなタイプでもありました。
 これが、彼の飾りのない人物像です。

 (次に、彼のネロ家について解説があります)ネロ家は、貴族であるクラウディウス一門の中の主要な一族の一つです。歴史上最も有名な、皇帝ネロは、実はネロ家の人間ではありません。クラウディウス一門ですらありません。彼の本名は、ルキウス・ドミティウス・アエノバルブスです。最も名高いネロ家のご先祖様の一人に、ハンニバルの弟ハシュドゥルバル軍を壊滅させたガイウス・クラウディウス・ネロがいます。しかし、この名声も、皇帝ネロの悪名に上塗りされてしまっています。とにかく皇帝ネロはネロ家ではありませんが、ティベリウスはネロ家なのです。彼はハシュドゥルバルを破った執政官の血統の紛れもない子孫であり、そして彼はクラウディウス一門特有の激しく、鮮烈な特質を持った戦士であり、政治家でした。

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 まずはティベリウスの生い立ちと性格についての記述でした。優秀だけどデリケート、とか気難しい、とかそんな言葉が並びます。しかも何度も・・・。単語が違うので、いろいろ微妙なニュアンスがあるのでしょうが・・・この辺を要領よくまとめられないので、何だか高校生の和訳の宿題のような文章になっちゃってます。(しかも理解できないところは飛ばしてたりもします(笑))
 良家の嫡男だというのに、なんだかのっけからかわいそうな人生ですね。アウグストゥスに嫌われちゃっている、てのも本当にかわいそう・・・(れこ)


2008.3.29