終わりと始まりの提案


 トロイアの命運をかけて、パリスとメネラオスによる一騎討ちがなされようとしていた。一度はアガメムノンが蹴ったパリスからの申し出に、メネラオスが応えて、前へ歩み出す。ヘクトルが諦めて後ろへ下がろうとした、その時、それまでじっと黙って事の展開を眺めていただけだった男が前へと踏み出た。
 オデュッセウスだ。メネラオスとパリスの間に立って、メネラオスの顔をちらりと見た。ただ、それだけ。メネラオスの敵意が引っ込んだ。困ったようにオデュッセウスの顔を見やる。
 一方、パリスはといえば、オデュッセウスの名こそ知れ、顔までは知らなかったというか全く覚えていなかったので、『何だろう、このおじさん』くらいにしか思っていなかった。ヘクトルとアガメムノンはまんじりともせず、オデュッセウスの言葉を待つ。

 「ひとつ、提案があるのだがね、こういうのはどうだろう」

 刹那ほどの間、アガメムノンに人の悪い笑みを向けた後、ヘクトルとパリスの方ににこやかな顔を見せた。アガメムノンが渋い顔をする。展開が判らず、パリスはきょとんと兄の顔を見る。何らかの答えが欲しかったのだが、兄はパリスの視線に気付くことなくじっと、パリスで言うところの『おじさん』を見つめていた。

 「待ったなしの一回勝負、これぞ男の戦い!」

 ぐっと拳を握って言う。軽く、オデュッセウスがヘクトルを見て笑んだ。パリスがもう一度窺うように兄を見上げた。今度は気付いてくれたが、兄も弟同様、『おじさん』の意図するところが判っていないらしく、肩をすくめて見せるだけだった。

 「で、何で勝負を決めようと言うのだ」

 一向に話が進んでおらぬことに苛立ったアガメムノンがオデュッセウスに問う。オデュッセウスは微笑を浮かべ、アガメムノン・メネラオス・パリス・ヘクトルと順に視線をやった後、厳かな声で発言した。

 「じゃんけんだ」

 しばし、言葉の意味を理解するために皆無言で立ち尽くしていた。
 いやまて、この時代にじゃんけんはあるのか、そもそもあったとして、今オデュッセウスが言っているような形のじゃんけんではないだろう。アガメムノンが至極最もな突っ込みを入れている横で、メネラオスが声を荒げた。

 「オデュッセウス! ヘレネの夫たる男をじゃんけんごときで決めろと言うのか!」
 「あ、そういうことか。それは良いね」

 ぽんと手を打ちながら暢気な発言をしたのはパリスである。命を賭けなくて良いのだから、確かに名案だ。ヘクトルは愛情から、アガメムノンは呆れから、パリスの発言に苦笑を浮かべた。
 メネラオスは、無視することに決めたらしい。続けてアカイア勢きっての策士であるオデュッセウスに言い募る。

 「オデュッセウス、良いか? 訊くが、お前は、ペネロペの嫁ぎ先をじゃんけんで決めろと言われて納得出来るのか!」

 智将の愛してやまぬ妻の名前を持ち出すとは、なかなかやるじゃないかと、アガメムノンは我が弟を心の内で褒め称えた。が、相手が常に人の一歩上を行く思考の持ち主であるのを忘れていた。

 「ペネロペは他の男にほいほいついて他国へ行ってしまったりはしない」

 平然と、言い放った。メネラオスは言葉もなく唖然とする。パリスは他人事のように笑って、ヘクトルに肘で突付かれた。
 遠く、声までは届いていないはずのスカイア門の上では、ヘレネが米神に青筋を立てていたらしいが、ここにいる面々はそんなことまでは知らない。後からパリスがどういう目に遭うかは、まぁ、置いておこう。

 「それで、じゃんけんで何をどう、決めようと言うのかね? すっぱり勝負が決まるとも限らないだろう、あいこだったときはどうする」

 アガメムノンの相談役であり、オデュッセウスともそこそこ話の合うネストルが口を開いた。黙って聞いているだけではいつまで経っても話が進まぬと見ての発言だった。
 オデュッセウスがにっこりと笑う。ここにアキレウスがいれば鳥肌を立てていただろう。彼がこういう笑い方をするときは、大概とんでもない発案をしたときなのだ。

 「メネラオスが勝ったらヘレネはスパルタに戻り、トロイアはギリシアの属国になる。パリスが勝った場合は、ヘレネはこのままトロイアに残り、今回に限りギリシア軍はトロイアから退く。後からまた攻めに来る来ないはこっちの自由だ。で、ネストル殿がご心配されているあいこのときは」

 ここで一度説明を止め、ヘクトルを笑みと共に見やった。ヘクトルはやはり意味が判らず首をかしげる。

 「ギリシアとトロイアの間で不戦条約を結ぶ。今後一切ギリシア・トロイア間では戦いは起こさない。何があってもだ。で、ヘレネのことはヘレネ含めて当事者3人で話し合えば良い。私らもう関わらない。以上だ。どうだい?」

 全体的にトロイアに都合の良い内容だ。オデュッセウスが再三ヘクトルに意味ありげに笑みを向けてることが気になっていたアガメムノンは、その意味を納得して頷いた。ヘクトルもアガメムノン同様、オデュッセウスはトロイア寄りの作戦を立てたため、『これならば良いだろう?』と、窺い立てのように笑いかけて来たのだと解釈した、些か、釈然としないものを感じつつも。

 「よし決定だ。さぁいこう、じゃんけんだ!」
 「待て、私はまだ納得していない!」「良いよ、そうしよう。恨みっこなしだぞ、メネラオス!」

 強引にじゃんけんに持ち込もうとしたオデュッセウスに答えるメネラオスとパリスの声が、見事に正反対の言葉を紡ぎだし重なった。
 アガメムノンは最早どうでも良くなっていた。メネラオスが勝つか、パリスが勝つかしてくれれば良い。確率は2/3だ。そう悪くもない。あいこにならない限り、トロイアを陥落させる機会は失われないのだ。確かに、パリスが勝って一度撤収ということになれば、もう一度トロイアまで進軍するのはたやすいことではない。だが、ヘレネがいる限り口実はある。口実がある以上は無理矢理にでも軍を集める。実際、それが出来るのがアガメムノンであるのだから、彼は悠然としていた。

 「大丈夫だ、メネラオス、私が悪いようにはさせない。あんたは私の言う通りにすれば良い」
 「本当だろうな」
 「あぁ、信じろ」
 「……判った、じゃんけんで決めよう」

 ごそごそとオデュッセウスと話し合った後、メネラオスはパリスに向かって宣言した。
 パリスが決闘(じゃんけん)のため、一歩前へ踏み出そうとしたとき、同じように一歩踏み出すつもりだったメネラオスを、オデュッセウスが引きとめ、何事かを耳元で囁いた。反射的に、ヘクトルもパリスを引き止めていた。

 「兄さん?」

 弟の疑問には答えてやらず、兄は懸命に頭を働かせていた。オデュッセウスの笑みの意味、それが一体何だったのか。やはり、釈然としていなかったのだ。
 メネラオスはもう、勝負に挑むため、他より前へ出てパリスを待っている。あまり時間はかけられない。オデュッセウスはメネラオスに何を吹き込んだのか。ずいぶんと自信を持った風情で立っている。ヘクトルは考える。
 まず、最初の笑みのときを思い出す。あのときオデュッセウスは……そこまで考えて思い至った。

 「パリス、グーを出せ。それだけで良い」
 「グー? よく判らないけど、判った」

 兄弟の囁きあいに、ネストルがわずかに顔をしかめたが、内容までは聞こえていないため、黙然としていた。何せアカイア側も、メネラオスがオデュッセウスに作戦を授かっているらしかったので、下手なことは言えなかったのだ。
 オデュッセウスが、口元をおさえ、にんまりと笑っているのに気付いたのはヘクトルだけだった。

 「じゃーんけーん、ぽんっ!」

 些か暢気すぎる掛け声とともに、メネラオスとパリスの拳が突き出された。共にグー。あいこだ。結果を見たアガメムノンが真っ先に睨みつけたのは、敵軍ではなく、自軍の軍師であった。睨まれたオデュッセウスは素知らぬ顔。メネラオスとパリスはお互いの握り拳を見、それぞれ作戦を授けてくれた智将と兄を見、互いの顔を見て笑った。上手く、自分達の一騎討ちが利用されてしまったことに、今になって思い至って、その滑稽さに笑いが込み上げたのだ。
 一か八かの勝負に出たヘクトルは、ほっと胸をなでおろしていた。実のところ、パリスにあぁは言ったものの、確信はなかったのだ。あくまで推測の域を出ておらず、多少の迷いが残っていた。

 つまりはこう。最初の笑みのとき、オデュッセウスは拳を握っていた。じゃんけん勝負を持ち出すときだ。次に笑いかけたときは結果があいこだった場合の説明をするときだ。思い出して欲しい、アガメムノンがあいこ以外の結果を望んでいたことを。そう、この勝負、トロイアにとって一番都合が良いのはあいこだったときなのだ。そして、それは取りも直さず、戦を好んでいるわけではないオデュッセウスにとっても都合が良い結果なのである。
 グーを出せば、あいこ。遠回しなオデュッセウスのメッセージは上手くヘクトルに伝わった。忌々しい、小さくアガメムノンは吐き捨てた。

 「納得はいかぬが、これが答えならば仕方があるまい。正式な手続きは明日以降にするとして、今日はともかく、メネラオス、そちらの若王子と話をつけて来い。私はひとまず軍を下げる」
 「兄上、申し訳ない」
 「……構わない。私とて、弟が無事であれば単純に嬉しい」
 「兄上……」
 「良かったじゃないか、メネラオス。妻が戻って来なくとも、良い兄上がいて」

 ちょっと涙物の兄弟劇を繰り広げていたアガメムノン・メネラオス兄弟の会話に難なく割り込んで、パリスはからっと笑った。
 この男を心の底から憎めたら、どんなに幸せだろう。どうあっても憎みきれないトロイアの弟王子を見ながら、些か年のいったギリシアの兄弟は揃って溜息を吐いた。


 さてさてこちら、本日の戦には参加していなかったアキレウス。戦況を見るために、己がミュルミドネス勢が見物している場所へ向かおうと丘を登っていたところ、パトロクロスとエウドロスを先頭に、降りてくるミュルミドネス勢と行き会った。

 「戦はどうなった」
 「終わりました」

 答えたのはエウドロス。パトロクロスは横で肩をすくめた。

 「一体何がどうなったのか判らないんだけど、詳細はオデュッセウスに聞けば判るんじゃないかな」

 オデュッセウス、小さく名を呟き、アキレウスは天を仰いだ。あの戦嫌いめ、人を巻き込んでおいて!

 

 こうして終わり、新たなる物語の始まりが告げられたのです。 

 

 

ネストルっていうのは、映画でいうなら、ほら、
アガ王の隣にいつもいた爺様、あの人。
多分ネストルなんだと思う。
で、こんな感じで横道逸れてギャグで飛ばしていきます。
これから後はかなりCP色強い展開になっていく予定。

write 160701 tama

 


 


トロイア戦争、終わりました!!(笑)しかも平和的解決です!さすがオデ♪
これからどんな展開になるか、お楽しみに♪
意外とかわいいですね、アガメネ兄弟!
(れこ)