「それでな、埒があかぬので、ヘクトルをイタケへ招こうと思っているんだ」 アキレウスが耳にタコが出来た上に更にまたタコが出来ているような智将の家族自慢を大人しく聞いているのには、しっかりと訳があった。そう、ヘクトルだ。アポロン神殿で顔を見合わせてからこの方、アキレウスの頭の中からヘクトルがいなくなったことがない。自分でもイカレてると思うほど、トロイアの総大将に惹かれている。 「ん? だからな、ヘクトルに何度ペネロペやテレマコスの素晴らしさを説明しても理解しないんだ。あれの目には自分の妻や息子しか入っていないらしい。なるほどアンドロマケは確かに敏く素敵な女性だ。だが、上には上がいるのだとヘクトルは知らなければならない。アキレウスもそう思うだろう? お互い様だろうという言葉はあえて飲み込んだ。オデュッセウスはこれほど良い案はないと得意げになっている。わざわざ水を差すことはないだろう。アキレウスからすれば、実際にヘクトル自慢の妻や息子に何度会っていても自分の妻や息子が一番だと言い、信じているオデュッセウスを見る限り、ペネロペやテレマコスに会ったところでヘクトルの考えが変わるとは到底思えないのだが。この二人は変なところで妙に似ているから。 一方、オデュッセウスも獅子には見えぬよう、こっそりと笑った。自分一人ではなかなかヘクトルをトロイアの外へ出すことは出来ないが、アキレウスを引っ張り込めば何とかなる。どうやらトロイアの総大将殿にご執心らしいアキレウスのことだ、どんな強引な手を使ってでも自領地にヘクトルを招こうとするだろう。そうなればイタケへ招くことは簡単だ。
アキレウスが敢えて飲み込んだ言葉を、パリスはさらりと兄に向かって言う。ヘクトルも自覚があるのかないのか、言われている意味に気付いているのかいないのか、『おじさんじゃないだろう』と、パリスが勝手にオデュッセウスに付けたあだ名についての注意しかしない。 (何が獅子だろう、兄さんの前では犬でしかないくせに) 誰かがこのパリスの心の声を聞いたらならば、お前こそと突っ込んでくれただろうが、残念ながらそんな能力持ち合わせた人間は、少なくともこの場にはいなかった。
ヘレネとペネロペは従姉妹であるとはいえ、あまり接点はない。だが、それでも親戚である以上はペネロペのことが気にかかるらしく、ヘレネはオデュッセウスがやって来る度にペネロペの調子を尋ねる。アンドロマケは、オデュッセウスの相変わらずの愛妻振りをからかうが、オデュッセウスは至極真面目な顔をして、『それこそ勿論だとも、彼女を愛せずにいられる男は甲斐性なしだ』などと返す。 「ねぇ、アキレウス、ブリセイスはどうしてる? 僕らの愛しい従妹を連れて帰っておいて、つれなくはしていないだろうね」 話を振ってくるのはパリスだが、毎度毎度、最終打を撃ってくれるのはヘクトルだ。パリスであったならば、アキレウスも大きく出られるのだが。 縮こまっているアキレウスを、他には判らぬようオデュッセウスがつねった。ヘクトルに対する後ろめたさを一気に怒りに換えて、アキレウスは音がしそうなほど激しくオデュッセウスを睨みつけた。ヘクトルが、不審な顔をする。ついつい、と、アキレウスの服を引っ張って、オデュッセウスが呆れ口調で耳打ちする。 「全く、お前の脳みそはどこへ置いていかれたんだ? これを利用しない手はないだろう。お前、ヘクトルを自領に招きたいのだろう?」 じっと、オデュッセウスの言わんとすることを考え、アキレウスはぱっと表情を明るくした。いつもの通り、堂々とした獅子に戻る。今やパリスに感謝したい気分だった。 「ヘクトル、それで、どうだろう、そろそろブリセイスに会ってみたいとは思わないか? 俺は何度もここへ来るときに誘ってはいるのだが、里心がつきそうだからとなかなか同行しようとはしないんだ。だが、ブリセイス自身もヘクトルたちのことが気になっている様子で」 上手い誘い文句の一つも浮かばない獅子の言葉を遮って、オデュッセウスが畳み掛けてヘクトルを誘う。何せアキレウスは普段、人の下手に出て誘うということをしない。誘い方がよく判っていないのだ。 「そうだな、ブリセイスがどういう生活をしているのかとても気になる。それに」 ちらりと、ヘクトルは言いながらアンドロマケの顔を見やった。アンドロマケがぱっと頬を明るくさせる。 「私も連れて行ってくれるの?」 オデュッセウスは考えを改めた。アキレウスはさほど役には立たなかった。ストレートにイタケに誘うだけで充分だったのだから。 「うん、それは良い。ペネロペもアンドロマケに会いたがっていたから。息子も連れて来たら良い」 にっこりと、アカイアの誇る智将は微笑んだ。
かくして、トロイア夫婦のギリシア旅行が実現することとなった。
だから長いっつの。 write 160702 tama
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ヘクトルの天然っぷりが最高です♪アキ、オデ、パリスと各人の思惑が交錯して、
わくわくしますね〜!(れこ)