「来ていたのか!」 あれだけは慣れない、と、アキレウスがヘクトルに聞こえるか聞こえないかのところで呟いたのとどちらが早かっただろう、オデュッセウスが己の名を呼んだ声の主に声をかけた。声の主が手を振ると、オデュッセウスは部下達を先に館へ使わして、己は自分を出迎える声の主の元へと走り寄った。 「ディオメデス、主のいないときに来るだなんて意地の悪い。私に客としてもてなさせないつもりだったのか?」 しっかりと抱擁を交わしオデュッセウスが声の主であるディオメデスと気さくに言葉を交わす。傍から見れば微笑ましい情景だ、久方ぶりの再会に喜び合う友二人。だが、名を聞いた途端、アンドロマケまで緊張した空気をまとう。母親の緊張を受けて、乳母の腕の中にいる赤ん坊がむずかった。 ディオメデスとオデュッセウスは未だ親しげに会話を続けている。二人から醸し出される何とも言えない甘ったるさが、アキレウスは苦手だ。幼い頃からそうだが、年を経るに従って、苦手意識は募って行く。 「そう、身を硬くするな。もう奴と戦うことはない」 苦笑を浮かべ、ヘクトルが答える。仕方がない、ヘクトルは国の守護者としての責務を果たすため、いつでも戦場に立っていたのだから。アキレウスは一つ頷いて、大分離れたところにオデュッセウスと立っているディオメデスに目をやった。 「ふぅん、俺に対してはさほど警戒していないのに?」 からかうように窺うようにアキレウスは言葉を紡ぐ。 「そうだったか? いや、最初の内はやはり緊張していた。戦場でしかあんたを知らなかったからな」 己の緊張をほぐすためだろうか、妻の緊張をほぐしてやるためだろうか、ヘクトルがぽんぽんと優しくアンドロマケの肩に触れる。アンドロマケが僅かに破顔し、むずかっていた赤ん坊の頬を撫でてやった。すると、それまで乳母がどんなに宥めても駄目だった赤ん坊が、すっと上機嫌な笑い声を上げる。 「だが、オデュッセウスと話すあんたはまるで子供のようだったから」 ヘクトルの言葉にアキレウスは鳥肌を立てる。 「よしてくれ、そんなことを言うのは! あいつは国の安泰の次に俺の不幸を望んでいる奴なんだぞ?」 からからと、アンドロマケが笑う。この女は男達が会話を始めると一切口を挟まなくなる。故に、アキレウスはアンドロマケのことを、ヘクトルとは切り離したところでもそれなりに気に入っていたし(ただし、アキレウスが女に口を挟まれるのを嫌っていると知っていての行動なのだとしたら末恐ろしい)、ヘクトルの妻である、という点も加味して、他の女たちとは一線を画してアンドロマケという存在を認識していた。 「アキレウス、あんたはよっぽどオデュッセウスと仲が良いんだな」 アンドロマケの代わりにヘクトルが、アキレウスが問いただしたくも出来なかった質問に答えてやる。アキレウスは更に不機嫌な顔になる。 「あいつが仲良くしているのはディオメデスだけさ。他は家畜以下だ、そういう奴だ。あぁ、自分の家族とヘクトル、あんた達親子も別格らしいが」 不意に向けられた笑顔と言葉に、アキレウスは照れくさくなってそっぽを向く。それがまた、夫婦のツボを得たようで、今度は二人揃って笑い出す。どうにも居心地が悪くなってもう一度、戦友達の方を向いた。ヘクトルもアキレウスにつられてかつての敵将を見やった。 「少し驚いたな、オデュッセウスはあんな風に簡単に人を懐へ入らせる人だとは思っていなかった。認識をかえるべきだろうか」 腕を組んでむすっと言うアキレウスの心情を探るようにヘクトルはアキレウスの顔をじっと見つめる。きれいな目だな、アキレウスは頭の隅で思う。 「バカ正直なだけで無能な奴も駄目だな。あいつは有能な人間じゃなけりゃ愛せないんだ。だからペネロペを選んだ、ヘレネでなくな」 ニヤリ、アキレウスがあまり良い種類ではない笑みをその口元に形作る。ヘレネがメネラオスへ嫁す時、面倒事があったらしいということくらいは、曖昧な噂ていどではあるが、ヘクトルも知っていた。 「あんたの弟は上手いことやったもんだな。あっというまにヘレネを自分のものにしてしまった」 弟のことをからかわれ、ちょっと機嫌を悪くしてヘクトルはアキレウスに対応する。ふぅんとつまらなそうにアキレウスは唸ったきり、黙り込んだ。気付けば赤ん坊は乳母の腕から母親の腕へと移っていた。 「ペネロペ! テレマコス!」 ディオメデスのときよりも数段機嫌の良い声で妻や息子の名を呼ぶ。あっという間にオデュッセウスの記憶からディオメデスとの再会は掻き消されてしまったかのよう。ディオメデスが突然寂しくなった手を一人虚しくわきわきさせていた。怒りたいような呆れたいような笑いたいような。 「子供だ子供だと思っていたが、お前も一端(いっぱし)に成長していたんだな」 アキレウスは殴り飛ばしたい衝動を必死に抑え、辛い恋路の先輩であるディオメデスに愛想笑いを向けた。 「「愛妻家なんてクソったれだ」」 意図せず同じ言葉を吐き出したディオメデスとアキレウスは顔をあわせ、何とも複雑な心境に陥った。
妻を愛するのも息子を愛するのも国を愛するのも勝手だ、いくらでも愛せば良い。ただし、それ以上の愛情をこちらにも向けさせてやる。やはり二人は同時に同じ宣戦布告を意気地なく心の中でしたのであった。 がんばれ戦場で猛る獣たち。相手は一筋縄ではいかないぞ!
え〜、特にストーリィはありません。 write 160709 tama |
愛妻家万歳(笑)♪・・・そして片思い二人組、がんばれ〜!
かつての敵同士が、こういう平和な場面で再会する、ってシチュエーション、なんだかいい感じです。
そういうときは、アキも偉大なる戦士の面を見せてますね。
たまにこういうシーンがないと、アキが戦士だってこと、忘れちゃいそうです(笑) (れこ)