潮騒響けば災難現る


 のんびりと、たゆやかに時間の流れるイタケ。トロイアとギリシアとを代表する仲良し家族の挨拶も済み、オデュッセウス・アキレウス・ディオメデスの3人は、このまま屋敷へ入ってしまうのもつまらぬなと話していた。そこへ、オデュッセウスの息子・テレマコスに引き止められていたヘクトルが、妻・アンドロマケと共にやって来た。

 「どうしたんだい? ペネロペと話したかったのだろう? 同じ息子を持つ母親として聞きたいこともあろうに」

 てっきり、そのまま男達のことなど構わず、先に屋敷へ向かうと思っていたと、オデュッセウスがアンドロマケに声をかける。アンドロマケが柔らかく笑む。

 「えぇ、そうなのだけれど」

 ふっとオデュッセウスに向けていた笑みをディオメデスへと移す。アンドロマケの隣で、ヘクトルがディオメデスに手を差し出した。

 「あなたとの挨拶が済んでいないことを思い出したんだ。息子も連れてきたかったのだが……何分、乳母が煩くてね」
 「ヘクトルの妻・アンドロマケです。お見知りおきを」
 「ヘクトルだ。息子の名はスカマンドリオス。よろしく」

 大体いつでも浮かべられているオデュッセウスの笑みが深くなる。ディオメデスが武将らしい、無骨な笑みを浮かべ、差し出されたヘクトルの手をしっかりと握った。アキレウスも、握られた手をつまらなく思いながらも、僅かな笑みをこぼした。

 「あぁ、こちらこそよろしく。私はディオメデス。ヘクトルの名はよく知ってるよ。そちらも俺の名はよく知ってるだろうがね。そうか、アンドロマケ、聞いたことがあるよ、オデュッセウスから。しかし、『男達と戦う女』とは、似合わない名を持っているのだな」

 アンドロマケの名を聞いて、ディオメデスは思ったことを率直に言った。アンドロマケが曖昧な笑みを見せる。ヘクトルがころころと笑った。彼にしては珍しい笑い方で、アキレウスはどきりとした。
 ディオメデスは不思議そうにオデュッセウスを見やる。オデュッセウスも判らないと肩をすくめる。

 「何だ? トロイアでは別の意味を持つのか? だったら申し訳ない、ここいらの言葉ではそういう意味を」
 「いいや、ディオメデス、あんたの解釈は間違っちゃいない。ただね、『似合わない』というのが面白かったんだ」

 ディオメデスの謝罪を遮って、ヘクトルは更に混乱を招くようなことを言う。

 「どう見たって淑女じゃないか。それとも本当に剣を振るうのか?」
 「何も戦いは戦場に限ったことではないでしょう?」

 尋ねるディオメデスにアンドロマケがやんわりと答える。アキレウスとオデュッセウスは顔を見合わせて目をぱちぱちさせていた。

 「時々、皆には内緒で馬を走らせているんだ」

 ヘクトルが、くっくっくと、いたずら者の笑い方をする。アンドロマケも照れ笑いを引っ込めて、ぱっと顔を輝かせた。

 「そう、オデュッセウスが訪ねていらっしゃる直前にも! 私が勝ったのよ! 荒馬馴らしのヘクトルにね!」

 それまでの、良妻賢母を絵に描いたようなおしとやかさを捨てて、晴れやかにアンドロマケが言うた。ヘクトルが悔しそうに、あれは勝ちを譲ってやったのだと負け惜しみを言う。
 どうやらこの夫婦、世間一般が考えているものとは少し実情は違う模様。オデュッセウスが声をあげて笑い、つられるようにしてディオメデスも笑った。ただ一人、母親っていうものは静かでどこか神聖でもあると考えているアキレウスは戸惑っていた。どうにも、馬に乗って駆け回るアンドロマケが想像出来ない。

 

 「ペネロペとは随分と種類の違った女性だったのだな」

 挨拶も済み、ペネロペと共に子を連れて屋敷へとアンドロマケが姿を消した頃、呆然とディオメデスが言うた。オデュッセウスの影響だろうか、理想の女性といえばペネロペを連想するようになっていたディオメデスには、アンドロマケの姿は衝撃だった。また、アキレウスにとってもだ。
 だが、ディオメデスの呟きなんぞ聞いちゃいないオデュッセウスとヘクトルは、これからの予定を、ぼんやりとしている二人を無視して決め始めていた。

 やはり屋敷へ直行するのは惜しい。どうせ夜には戻るのだから。それよりも今は、イタケの景色を存分に楽しもう。二人和気藹々と語り合い、オデュッセウスお勧めの絶景ポイントへ、ぐるりとイタケ観光しながら遠回りに行くことに決まった。
 ぼんやり二人組(と、オデュッセウスに勝手に名づけられたアキレウスとディオメデス)に拒否だの意見だのという権利は与えられなかった。そもそも、ヘクトルに弱いアキレウスと、オデュッセウスに弱いディオメデスとじゃ、与えられていたとしてもないのに等しい。

 「さぁ、出発しようか!」

 一番の年長者が一番楽しそうに拳を空に向けた。


 実に平和にのどかに、イタケでの時間が過ぎようとしていた夕刻。海の見晴らせる岩場にて男4人、のほほんと語り合っていた。

 「ん? 何か音がする」
 「波の音だろう? ここは海だぞ?」

 急に警戒の色を見せ始めたアキレウスに、のほほんとぼんやり二人組(当人らにとっては実に不名誉な命名)の片割れが言う。

 「違う。嫌な予感がする。オデュッセウス、すぐに屋敷へ行こう! ここにいては駄目だ!」
 「おいっ、アキレウス!?」

 ちゃっかりヘクトルの腕を掴んで走り出そうとするアキレウスに、当のヘクトルが戸惑いを見せる。オデュッセウスは、楽しげに一点を見つめていた。その姿に、アキレウスは更に警戒心を強める。

 「何だ? 何か見えているのか?」
 「ふ、ディオメデス、あんたにもその内見えるさ、面白い物がね」
 「オデュッセウス? あ、パリス!」

 問答をしているディオメデスとオデュッセウスを見、疑問を口にしようとしていたヘクトルの目に、明るい光が飛び込んで来た。と、同時に、アキレウスは、これほど忌まわしいものはないと言いたげな表情をし、オデュッセウスは一層楽しげに顔を緩ませ、ディオメデス一人、訳が判らず途方に暮れた。

 「兄さーん! 来ちゃった」

 猛スピードで走って来たかと思えば、すかさずアキレウスの手からヘクトルをもぎ取り、そっと手を握ってけろりと言い放ったのは、ヘクトルが口にした名の主・パリスだった。

 「お前、国はどうした? よく父上が許したな。しかし、どんな魔法を使ってこんなに早くここへ辿り着いた? そもそも私がどこへ行ったかなんて、細かいことは知らないだろうに」

 驚いてヘクトルは一気にまくしたてる。が、やはり何日か振りに見る弟の元気そうな姿に喜んで、抱擁を交わす。
 パリスの後ろから、呆れた表情をかけらも隠すことなくいるヘレネがやって来た。

 「ヘレネ! 君も? 一体、あぁ、ともかく、無事に行き会えて良かったよ。よく来たね、ヘレネ」

 戸惑いよりも疑問よりも、喜びを優先さえる義兄にヘレネは微笑む。この兄あっての今の弟なのか、あんな弟だからこそのこの兄なのか、実に判断に迷うところだ。

 「種明かしは簡単よ、ヘクトル。オデュッセウスの船で来ていたのだもの、まず一番にイタケへ来ていることは容易に想像できるわ。それに、イタケまで来てしまえば、パリスには『兄さん探知機』が備わっているそうだから……何の冗談かと思ったけど、その性能の良さは今ここでしっかり見させてもらったし」
 「ほらね、ヘレネ! 僕の言った通りだろう? 僕が兄さんを見つけられなかったことなんてないんだから!」
 「あぁ、全く、パリス、お前って奴は!」

 ヘクトルが大袈裟に頭を抱え込む。多分、彼の耳には『兄さん探知機』なんて不可思議な言葉は届いていないのだろう、あっさり流している。

 「怒ってる?」
 「まさか! 愛おしいよ、お前は私の最愛の弟だ、会えて嬉しくないわけがない!」

 どうにかしてくれ、このバカップル。自分とオデュッセウスとの再会シーンなんぞ清々しく棚に上げ、ディオメデスは呆れていた。
 ヘレネは慣れたもので、兄弟二人はひとまず置いておいて、暢気にオデュッセウスと挨拶を交わしている。アキレウスは、全ての憎しみと怒りとを集結させた睨みをパリスに向けていた。あまり成果は上がっておらぬが。

 「それで、お前、私の託した国の守りはほっぽいて来たのか?」
 「ううん、ちゃんと代理人見つけてから来たよ。デイポボスに頼んできた」

 正確には押し付けて来たのだと、ヘレネはオデュッセウスに訂正を入れておいた。どうせヘクトルの耳には届かないであろうから、声をすぼめることなんぞせずに。ディオメデスは目の前の光景に呆気に取られるしかない。

 「お前は、何でトロイアを離れたんだ! 国を守るって張り切っていたじゃないか!」
 「だって、国は他の兄弟に任せられるけど、兄さんを守れるのはやっぱり僕しかいないと思ったんだよね」

 怒鳴りつけるアキレウスに、パリスは軽く宣戦布告。剣呑な空気が流れる中、ヘクトルは和やかにディオメデスに自慢の弟を紹介していた。


 さてさて、次回のお話はどうなりますことやら。 

 

 

本当にどうなるのよ。←あなたは知っていて
前回戦線離脱していたパリス復活です!
イタケの人々をもっと出そうかとも思ったんですが、
映画に登場していない人物は極力出さない方針へ。
まず映画ありきですからね〜♪
つーわけで、一体どうなるんだヘクトル争奪戦!
マケ姉さんプッシュは必ず入れなきゃいけないのか自分!
次回、大荒れの予感!???

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ついに弟現る!ですね。アキの幸せはますます遠く・・・(笑)
それにしても、マケ姐さんといい、ヘレネといい、ほんとに、このシリーズの女性陣は強いです。
ただ強いのではなく、懐が深いといいますか。私は、こんな二人が大好きです♪
 (れこ)