晩餐共同戦線


 その日の会食風景はいつもと違った。アンドロマケは約束通りペネロペの気を引いてくれた。アキレウスがあらかじめオデュッセウスにディオメデスの手に入れた酒の話を吹き込んでおいたので、こちらは勝手にディオメデスに(正確には彼が手に入れたという酒に)関心を持って近付いた。
 オデュッセウスと違って無類の酒好きというわけではないディオメデスはそのために、しどろもどろに酒の話をせねばならぬことになったが、まぁ、安い代償だろう。おかげで数ヶ月ぶりにオデュッセウスと落ち着いて話が出来ているのだから。それに、抛っておけば、話好きのオデュッセウスだ、頼まずともディオメデスから会話の主導権を奪って好きなように話し出すはずだ。

 作戦は成功したのだ。

 残す問題はヘクトル自身とパリスのみ。実のところ一番の問題は妻以外に全く気を持とうとしないヘクトル自身だったりするのだが、そこは都合良く思考から外した。アキレウスはギラギラと敵愾心を隠そうともしないパリスと睨み合った。
 アキレウスの計画ではヘレネにも協力してもらう予定だった。だが、彼女はアキレウスが思っている以上にパリスを愛していたし、何よりもその愛し方が世間一般の常識からずれていた。
 曰く、『ヘクトルに執着してないパリスなんてパリスだと思えて? ヘクトルが欲しいのなら、パリスごと抱え込むだけの度量がなくては駄目よ。アンドロマケのようにね』、だそうだ。ヘレネには全く、パリスからヘクトルを引き離そうという意思はないらしい。そして、アンドロマケにも。
 あの兄弟に嫁すには、ヘレネのいうところの『度量』とやらが必要なようだ。だが、アキレウスはパリスなんぞいらないのだ。

 正面対決の時がきた。

 

 「ふん、得意は弓だって? 臆病者の証だな」
 「使えるなら問題ないさ。それに、僕に弓を勧めてくれたのは兄さんなんだ。兄さんは僕のことをよく判ってくれているよね」

 にこにことパリスがヘクトルに話し掛ける。珍しくパリスとアキレウスが会話なんてしているから、嬉しく思っていたのに、ヘクトルは妙な雲行きの怪しさを感じ、曖昧な笑みだけに押さえて返事の代わりとした。この二人が仲良くなってくれたらと、少しばかり期待していたのだが、どうも思うようにはなってくれぬらしい。

 「女の尻を追うことにしか能のないへっぴり腰に剣は無理だと諦めてのことだろ。あぁ、確かにヘクトルはお前のことを良く理解しているようだな。さすが、大将を務めるだけのことはある、とても冷静だ」
 「僕はね、愛に忠実なだけだよ。気に入った相手一人も落とせない弱腰の犬よりはマシだと思うけど?」

 剣呑な空気が二人の間を支配する。周りで和やかな雰囲気が作られているため、この場の緊張感が際立つ。

 「人を見ればきゃんきゃん吠え付いて、ご主人様に尻尾を振るばかりのバカ犬が何か言ったか?」
 「愛想ナシの尻尾を振ることを知らない犬よりは愛されるだろうよ。ねぇ、その犬は人に愛されることにはズバ抜けた能力を持っているだろう? けれどこの犬はどうなんだろうね。愛され方を知っているのかな」
 「愛されるばかりは能無しだろ。与えることの出来ない奴はいずれ捨てられる」
 「今のところ捨てられる気配はないね。どうやらご主人様は与えるだけで満足しているようだよ」

 頭が悪いわけではないが、そう口が達者な方でもないアキレウスは少し押され気味だ。こいつ、斬り捨ててやりたい。アキレウスは何度そう思ったことだろう。
 どうにかパリスを黙らせないことにはヘクトルに満足に話し掛けることすら出来ない。ご機嫌でオデュッセウスの話に相槌を打っているディオメデスが恨めしい。だが、どんなに睨まれようとも、ディオメデスとてペネロペの気が自分達の方へ来ないよう、適度な距離を保ちつつオデュッセウスとの会話を続けることに手一杯で、パリスまでどうこうする余裕はない。そもそも、ペネロペとオデュッセウスを組ませないでいるだけでもかなりの貢献ぶりだ。誉めてもらいたい。

 「それで? その『愛され方を知っている』犬は、現状維持で満足しているわけだ。飼い慣らされていることに不満も感じず」
 「へぇ、君は、きちんとご主人様に構ってもらえている犬よりも、野良犬の方が幸せだと思っているわけだ。良いんじゃない? いつまでも野良のままでいれば。誰にも構ってもらえず、人から追い払われる生き方もありだろうね」
 「つくづく口の回る奴だな。そうやって今までどれだけの数の女をたらしこんだんだ? ん?」
 「たらしこんだとは口が悪いね。僕はね、お互いに良い気持ちになれるようにしているだけだよ。奪うだけの君よりもずっと相手にとっても充実した時間を過ごせてるさ」
 「それで? 互いに充実した時間の代償が戦か。大したものだな、お前は間違いなく大物だよ」
 「名誉ばかりを追いかけて人を殺す奴がずいぶんと偉そうだね。君は一体、自分の名声のためだけに何人殺した? 覚えちゃいなんだろう。君にとっては些細なことだものね、誰が死のうとどれだけ死のうと」
 「戦を知らない奴が偉そうな口を叩くな!」

 とうとうアキレウスが激昂した。食卓を叩きつけ立ち上がる。場が、静まり返った。

 「戦を知らないってのは良いことだよ。人の殺し方なんて知っている必要がない。とても穏やかだ」
 「甘ったれめ。お前が戦わない分、他の人間が戦っているんだ」
 「全員が全員甘ったれだったら戦自体存在せずに済んだのにね。君のように栄誉を求める奴等がいるから余分な苦悩が生まれるんだ」
 「大層な口をきくじゃないか。それで何人の女を泣かせた? それこそお前にとっちゃ些細なことで覚えていないだろう」
 「嫌だな、泣かせてばかりいるのは君なんじゃないの? 僕はね、お互いに満足して別れる。相手を悲しませるようなことしないよ」
 「お前の存在自体が苦労の種だって人物を俺は知ってるが?」
 「ふぅん、でもその人は僕のことを君のことよりもずっと愛してくれているんじゃない?」

 とても深刻な話題が出ていたような気がするのだが、気付けばまたただの罵りあいに戻っている。一度は静まり返った会食の場は、二人を除いて再び和やかな空気に包まれていた。
 アキレウスは苛々していた。パリスの自信や余裕の根拠が判らない。誰よりもヘクトルに愛され、誰よりもヘクトルから可愛がられている。その確信はどこから来ているというのだ。全く、彼の中での自分の存在の大きさすら悟れないアキレウスには理解出来ない。だてに恋愛遍歴を積んでいないということか。

 罵りあう声も段々と大きくなっていき、物腰の柔らかいはずのパリスの声も段々と荒くなっていく。もとよりぶっきらぼうな話し方しか出来ないアキレウスは目も当てられない状態だ。剣呑な空気は周りにも伝染し(困ったことに何であれ良いものよりも悪いものの方が伝染力は強い)、お世辞にも楽しい会食とは言えない状況になってきている。
 誰もがどこかで苛々とした気持ちを募らせていっていた。だが、二人の罵りあいはとどまることを知らない。

 カタリ。

 音が、した。小さなはずの音が部屋に響いた。アンドロマケが持っていた器を置いた音だった。彼女の表情は穏やかだった。あまりにも不自然な、場違いな表情。隣に座っているヘクトルがにこりを微笑む。パリスの顔が引き攣った。アキレウスも固まった。
 あまりにも美しすぎる笑顔。あまりにも完璧すぎる笑顔。
 パリスには比較的馴染みのあるヘクトルの笑顔だった。またそれは、ヘクトルとの親交の浅いディオメデスにとっても、アキレウスにとっても、別の人間の顔で嫌なほど馴染みがあった。
 オデュッセウスが楽しそうに喉を鳴らした。

 「パリス、アキレウス!」

 よく響くヘクトルの声が、二人の名を呼ぶ。勢いに押され、二人はその場で姿勢を正し直立した。

 「二人とも廊下に立ってなさい!」

 

 とても穏やかな夜が過ぎていく。笑う声、弾む会話。だがそこから締め出しを食らっている男二人。肩を並べて立っていた。

 「くそ犬、お前のせいだ」
 「バカ犬が吠え立てるからだよ」

 あまり反省の色見えぬ犬2匹。ご主人様からお許しが出るのはいつのことやら。 

 

 

前半に戻る

とんだバカ話にお付き合い頂きありがとうございます。
喧嘩両成敗ってことで、おそまつ!
この二人がいかに決着をつけようとも
お兄ちゃんに全く気がないんだから話になりません。
それでも頑張る二人。負けない二人。
その努力、他の事に回せませんか、特に弟。

write 160906 tama 


結局おバカ過ぎる獅子と愚弟でした(笑)・・・
そして・・・オデがまたぴりりと効いてますね〜!さすが知将!
(れこ)