イリアス(ホメロス作 松平千秋訳、岩波文庫)

 トロイア戦争中、アガメムノンにブリセイスを奪われたアキレウスが怒って戦線離脱してから、ヘクトルの葬儀までを描いた叙事詩。トロイア戦争10年目の実質数十日程度の出来事らしいです。ギリシャ側から描いているので、どうしても描写は、ややギリシャ寄りに感じられます。(・・・と思ってしまうのは、自分がトロイア贔屓から、かもしれません)特に目に付くのは、ヘレとアテナの行動で(笑)、彼女たちのトロイエ軍への執拗な仕打ちには初めから終わりまで辟易します・・・。こんなおっそろしい女神二人に恨まれてしまっては、やはりトロイア軍に勝ち目はありません(泣)

 さて、ヘクトルですが・・・やはり、正義感あふれる立派な英雄だと思います。指揮官としても、戦士としても素晴らしいし、人格者。しかし・・・悲しいことに、ギリシャ軍に対しては全然最強でありません!アイアスとの戦いでは、どうひいき目にみても、ヘクトルのほうが弱いです。アキレウスとの戦いでは、始め怖気づいて城壁の周りを3周も逃げ回っています。・・・これらの記述は、ホメロスがギリシャ人だからであると、思いたいものです。また、結構残酷なことには、パトロクロスを討ったあと、アキレウスの鎧を剥いで、自分が着ています。鎧を奪い合うのは当時の習慣のようなので、ヘクトルを責めるいわれはないのですが、やはりちょっとショック・・・・・。
 ヘクトルは映画より豪快なキャラかもしれません。敵もガンガン攻めますが、パリスのこともガンガン責めています。「そもそも、おまえのような男など、生まれて来ねばよかったのだ」などと、ずいぶん正直な(笑)発言もあり。でも、「本当はお前は強いのだ」と叱咤激励したり、死ぬ直前に「パリスがいずれ仇をとるだろう」とアキレウスに言い残したりと、心の底ではパリスを信頼しているのが感じられます。
 ヘクトルは、やっぱり奥方や子供のことを、大切にしています。他の男共が、やれ妾だの略奪だので騒いでいる中、ヘクトルだけは妻一筋です。夫婦の語らい(第六歌)は、やはり一番癒されるシーンで、お互いを思いやる気持ちにあふれています。息子が、父の兜を見て泣き出すと、夫婦そろって声を立てて笑い、父が兜を取って息子を抱き上げたりもするんです。想像するだけでうれしくなります・・・。でも、結末がわかっているだけに、読んでいてちょっと泣けてきますけど。あと、別の場面ですが、夫婦について面白い台詞があります。ヘクトルが戦車の馬に語りかけて「今こそこれまでに施してやった世話の礼を返してくれ。(中略)欲しがれば酒を水で割って与える、それもわたしより先にだ、彼女にとっては若く頼もしい夫であると自惚れているこのわたしよりもだぞ」夫より先に馬に酒をやるってのは不自然なので、後世の挿入では、という説もあるそうですが、妻にとって自慢の夫であると自惚れていると自分で言ってのけるヘクトルが素敵(笑)です♪

 ヘレネは、やはりちょっとヘクトルに思いを寄せていたような節があります。葬儀の際には、妻アンドロマケ、母ヘカベに続いて嘆きの言葉を口にしています。ヘクトルはトロイの王宮の中で、プリアモス王以外では、ただ一人ヘレネに優しかったそうです・・・。やっぱりヘクトル、いい人です〜!
 パリスは、映画よりはだいぶ頼もしいと思います。イメージ的に、映画ほどヘクトルと年も離れていないのではないかと思います。でも、メネラオスにはやっぱり負けて、お兄さんではなく、アフロディーテに助けられますが。このとき、ヘレネの反応は、映画と全く逆で、「あの強い男に討たれ、そのままあそこで死んでおしまいになったらよかったのに」などと言っています。すごい、怖いです、ヘレネさん。・・・もちろん、アフロディーテのおかげで、ちゃんとすぐに仲直りするんですけど。

 アキレスがアガメムノンと口論になるシーンでの台詞は、映画とよく似てます。映画よりも、もっとアキウレスが語ってくれているので、アキレウスの気持ちがよくわかるかもしれません。
 パトロクロスは、映画のような年若いいとこではなく、友人(恋人?)で、対等な関係のようです。パトロクロスは、ちゃんとアキレウスの許可を得て、アキレウスの鎧を身に着けてヘクトルと戦ってます。・・・だから、ほんとにヘクトルがあんな仕打ちを受ける言われは全くないわけで・・・・・・。
 ヘクトルとの対決のときに“獅子は人間と約束しない”って、ほんとにイリアスでも言ってたんですね。読みながら、(辛いシーンのはずなのに)思わず笑ってしまいました。

 人がばたばた死んでしまうし、最後はヘクトルの葬儀だし、で・・・やっぱり悲しい話ではあるんですが、登場人物が生き生きと描かれているのはすごいです。3000年以上前のこんなお話が現代まで語り継がれている、ということにはただただ感心してしまいます。

 さて、イリアスを読んでみてから映画をチェックすると・・・。
映画は、イリアスとは全く別物だと思ってはいますが、それでも、かなりイリアスのエピソードや台詞がうまい具合に用いられていることに驚きました。パズルのように、エピソードを組み立てて、新しい解釈でストーリーを作った、とでも言えばいいのでしょうか・・・。原作のイメージを大事にしたい人には許せないのかもしれませんけど、私は素直に感心してしまいました。