アンドロマック(ラシーヌ作 渡辺守章訳、岩波文庫)
(本のタイトルは、フェードル アンドロマック )

 17世紀のフランスの劇作家ラシーヌの作品です。(本はフェードルとの二本立て)エウリピデスのアンドロマケと、セネカのトロイアの女たち、を基にしているそうですが、私は、エウリピデスのアンドロマケより、個人的にはこちらの方が好きです。ちなみに、アンドロマックとは、アンドロマケのフランス語読み。また、アキレウスの息子は“ピリュス”となっていたりと、ほかの登場人物名も若干ギリシャ語読み?と異なっています。   

 この話の内容は、ヘクトル(故人)←アンドロマック←ピリュス(アキレスの息子)←エルミオーヌ(メネラオスとヘレネの娘:ヘルミオネ)←オレスト(アガメムノンの息子:オレステス)という、片思いの連鎖による悲劇です。ポイントは、ヘクトルの子アステュアナクス(スカマンドリオスが本名ですが、トロイア人は父に敬意を表して、アステュアナクス(町の主、の意味)と呼んでいたそうです)が生きていることでしょうか。アステュアナクスの存在だけを生きがいにしているアンドロマックと、その存在を利用して彼女を何とか自分に振り向かせようとするピリュスの緊迫した駆け引きが面白いといえば面白いです。私なんかは、オンナ冥利に尽きるなあ、と思うのですが(笑)。でも、アンドロマックは息子のこと(そして故ヘクトルのこと)しか頭にありません。息子を助けるからと言っても、ピリュスの愛を受け入れる気は全くありません。やはりヘクトルへの愛故なんでしょう。それに、ピリュスは夫や家族兄弟の仇であるアキレウスの息子であり、本人も、トロイ落城の際にプリアモス王殺害を始め残虐の限りを尽くしたのですから・・・。やはりトロイの仇、という思いを拭い去ることは困難でしょう。一方、ピリュスのほうは、彼女の前夫ヘクトルをどこかでライバル視しているのだろうなあ、と思います。彼女にしてみれば、武将としても、そして夫としても、ピリュスがヘクトルを超えることはないと思っているでしょうし、何よりヘクトルはもう死んでしまっているわけですから、結局決して勝負にはならないのですよね。そういう意味ではピリュスは不憫でもあります。

 
しかし、とうとうアンドロマックは、息子を守るため、ピリュスとの結婚を承諾します。しかし彼女は、ピリュスと新しい人生を歩む気になったわけではなく、結婚によって息子の立場を安泰にし、その直後に自ら命を絶って、自分自身の操は守ろうというつもりだったのです。しかも、これは夫・ヘクトルの霊が望んだことだと。・・・これはちょっと私のイメージと違います・・・ヘクトルだったら、きっと、アンドロマックの幸せを祈ってくれると思うんですけど。だから、新しい愛を受け入れて生きてくれと言いそうな気がするんですけど〜〜!・・・ともかく、何も知らないピリュスは幸せの絶頂。でもそれは、エルミオーヌの恨みを買うことに。エルミオーヌは、ピリュスを殺して!とオレストに迫ります。そして、結婚式を執り行う神殿で、エルミオーヌの希望通りに、オレストとその仲間たちがピリュスを殺し、エルミオーヌのもとへ。すると、彼女は“なぜ殺してしまったの!?”と今度はオレステスを責める始末。結局、エルミオーヌも自害してしまい、オレステスは追われる身となってしまいます。・・・結局、この話で一番浮かばれなかったのは、オレステスかもしれません。・・・。一方、このときのアンドロマックですが・・・さすが彼女、強いです。“あれほどピリュスを嫌いぬいておきながら、死んだとなれば、残された妻として、忠実な義務をいちいち果たし、夫の仇を討てと命じています・・・”だそうで。さすがです。やはりヘクトルの妻は、ただものではございません。

 アンドロマックはずっと、息子のことを夫と同一視していたんですよね。それが、ピリュスとの結婚を決心したとき、息子を初めて別の人格として認めた、と解説にありました。ヘクトルへの操をたてつつ、結婚することにより、ピリュスに息子を託して守ってもらおうという・・・本当に悲しい決心だったと思います。残念ながら私には子供がいませんので、このような複雑で激しい愛情はきっと理解できていないのだろうと思います。それでも、このシーンは読んでいて本当辛くなりました。でも、そんなこと、ピリュスが知ったら、やっぱりショックだろうなあ・・・。まあ、結局彼は、そんな計画を知る前に殺されてしいますが・・・。英雄の最後も意外と不遇です・・・ こんな風に殺されてしまうなら、ヘクトルのように戦士として、最強のライバルと戦って果てるほうが、かえって幸せだったのかも、とも思えてきます。

 
ちなみに、ラシーヌの解説によると・・・ヘクトルとアンドロマケの息子は実は生きていて、フランス王族のご先祖様だ、というような設定をした戯曲とか歴史的書物とかがあるのだそうです。みんな、なぜにトロイ王族の子孫になりたがるのでしょうか(笑)