映画TROY感想

 突然魔が差して、TROYのDVDを借りてきて観たところ、すっかり虜になってしまったので、なんとこの文章書きの嫌いな私が、思いを書き留めておきたくなってしまいました。

 そもそも、これを観ようと思った理由は、塩野七生氏の“ローマ人の物語”を読み始めて古代ギリシャやローマへの興味が増してきたためで、わりと軽い気持ちで、ブラピもでてるし♪と、借りてきてしまったのでした。 そうしましたらば・・・思いもよらず、はまってしまいました。特にヘクトルに(笑)それでもう、抜け出せず・・・。
 話としては非常に後味が悪く(そりゃ、悲劇ですから・・・)これが泥沼から抜け出せない理由の一つではあるかもしれません。方々のサイトで、レビューや二次創作されているのを必死で読むのも・・・やはり、その後味の悪さから抜け出すために、何とか自分の心を整理する、という意味があるのかも知れない、とおもいます。

 さて、ここで、いろいろ思いを書こうかと思ったわけですが・・・方々の立派なご感想など拝読していると、とても自分にはこんな深い感想は書けない!!と、自己嫌悪に陥ってしまうわけで。なので、ここは割り切って、ヘクトルを中心にたわごとを書き連ねていきたいと思います。

☆ヘクトルとアンドロマケ(とヘレンも)
 スパルタから帰ってきたとき、妻にかけよったときの彼の笑顔は、この映画の中で一番幸せそうでした。そして子供を慈しむ姿にも、胸を打たれます。本当に彼は、妻を、そしてわが子を愛していたんだろうなあ、と思います。
 一方、妻アンドロマケのほうですが。彼女はかなり知的な女性だと思います。おそらく国内政治、外交、そして戦争についてもきちんと話ができる聡い女性なんだろうと。だからヘクトルも、ただ妻をかわいがるだけでなく、きっと、日ごろから妻には何でも話していて、ささやかな愚痴でもこぼしたりしているんだろうなと思います。アキレスとの初対峙に衝撃をうけたであろうその日の晩に、アンドロマケとの話でつい、口をついて出てきているところからも、それは感じられます。それ以後はあまり二人の会話が出てきませんが、一騎打ち前のシーンでアンドロマケが“行く必要はないわ”と言っていることからも、彼女は状況をちゃんと把握していたのだと思います。
 秘密の抜け道を妻に教えたヘクトルは、彼女を愛していたとともに、自分が守ろうとしたトロイの民の命運を信頼している妻に預けた、ともいえると思います。だから、「(ここまできたら)走れ」とヘクトルは言っていましたが、実際には彼女は他の多くの人を導いてから、扉を抜けていきます。やはり、彼女は夫の遺志をちゃんと継いでいると感じました。こういうところを見ていくと、ある意味、この二人は共に闘ってきていたのかもしれない、とも思えてきます。(どんどん勝手解釈!)理想の夫婦だなあ〜。
 どこかでみかけたと思うのですが・・・ヘクトルを演じたエリックが、“彼は生きることを愛していた。”といっていたのが非常に印象深いです。“息子の成長が見たい”という台詞に、それがよく現れてました。本当はヘクトルも、家族に囲まれ、平穏な日々を送っていたかっただろうに・・・そう思うと胸が痛みます。・・・しかし、むしろ、戦士であるからこそ、平穏な日々の貴重さが身にしみてわかるのかなあ、とも思いますけど。
 それから、映画の中では、意外にもアンドロマケとヘレンの仲がよさそうです。アキレスとヘクトルの決闘の際、最後に見ていられなくなったアンドロマケにヘレンが駆け寄るシーンがありましたが、最初はこれが凄く嫌でした。何となく偽善のような気がしたり、“もともとおまえらのせいでこんなことになったんだろ!!”などと思ったわけです。でも、何度もみてると、・・・ヘレンはアンドロマケを心から気遣ってあそこで駆け寄ったのだな、と思えてきました。他にも、ヘクトルの葬儀のときにヘレンが息子・スカマンドリオスを抱いていることや、トロイ落城のときにアンドロマケがヘレン(とパリス)に逃げるよう促すところも、やはりお互いをちゃんと思いやっていることの表れではないかと信じたくなってきます。
 ヘレンは、ちょっとヘクトルに惹かれてますよね、やっぱり。もちろん、愛しているのはパリスなんでしょうけれど、やはり彼の懐の深い性格に惹かれないわけがないです。ヘクトルはパリスのことは責めても、多分ヘレンのことは責めていないと思いますから・・・。ヘクトルに手を出したわけではないので、一応これは許します(笑)。

☆ヘクトルとパリス
“Do you love me,brother?”には、さすがの私もたまげてしまいました。パリスって、ほんとに愛されて育ってきたんでしょうね。こんなこと、自分が愛されている自信がないといえませんから。みんなに大切にされ、何不自由なく伸びやかに育った、というような雰囲気がかもし出されているなあ、と思います。拗ねたところとか、嫌味が全くないキャラクターですね。これだけ奔放な弟がいるとお兄ちゃんは拗ねてしまいそうなものですが、さすがに年も離れている(ように見える)と、お兄ちゃんも“弟ばっかり〜”なんて思わないのでしょうね。きっとお父さんと一緒に弟のことをかわいがりまくっていたんだろうなあ・・・。でも、その結果があれですか!弟の身勝手な行動を見たときは、さすがに絶望し、怒りがこみ上げてきたのでしょうね・・・。
 御前会議のとき、パリスが決闘をするなどと言い出したあとのお兄ちゃんの表情は、好きです(笑)。ここ、パリスの去ったあとにわざわざショットが入っています。“もう、どいつもこいつも・・・好きにしろ!”とでも言いたげな。きっとパリスのほうは、船の上で、“愛も死も知らず・・・”と言われたことへの反発もちょっとあったのかな、去り際にお兄ちゃんのほうを見ますよね。
 でも、結局無様な姿をさらしてしまい、最も望ましくない形でお兄ちゃんに助けられてしまいます。この後のお兄ちゃんの戦いぶりをパリスが見ていたかどうかわかりませんが・・・もし見ていたら、“戦いとは、死とは”を思い知らされたことでしょう。
 でも、本当に心底思い知ったのは、やはり兄自身の死、なんでしょうね。アキレスとの決闘のときも、はじめはお兄ちゃんが負けるなんて、死ぬなんて、きっと夢にも思わなかったに違いありません。それが、だんだん傍目から見ても劣勢になってきて、最後には敗れて遺体も引きずられていってしまって・・・。でも、ここでパリスは泣いてはいないです。じっと兄が引きずられていった先を見つめていました。ここでやっと、パリスも一人前の“王子”としての自覚ができたのかなあ、と思います。
 木馬を焼きましょう、といったパリスは偉いです。でも、木馬を城壁内にいれてからのお祭り騒ぎに渋い顔をしていますが、これは、パリスは不満に思う資格がないと思うんです。国民の側にたってみれば、“戦争は終わった”ということを祝福しているのです。パリス、あなたが原因で起きてしまった戦争なのよ!?・・・と言いたくなってしまいます。ヘレンの“あなたが王子よ”という台詞は、ちょっと調子よすぎるかとも思いますが、そのあとに“お兄さんを喜ばせて”という台詞がきているので、まあ、これはよいかと。
 トロイ落城のとき・・・アキレスに何本も矢を射るパリス、兄の仇討ちだったんですね。(実は最初見たとき気がつきませんでした!笑)どこかのコメントをみて、私もやっと気がつきました!パリスがあのあと生き残ったかどうか、って、いろいろ想像しちゃいますね・・・。
 そうそう、幸いにも(?)私は、“ロード・・・”を見ていなかったので、オーリーが弓を引くシーンを見ても、雑念が入ることはありませんでした(笑)。

☆公人、戦士としてのヘクトル、アキレスとプリアモス王
 公人としてのヘクトルですが・・・。やはり苦労性な感じがにじみ出ています。神官たちとことごとく対立する様子は、彼のまっすぐな性格を現しているのでしょう。神の加護を信じている“ふり”ぐらいする、などというような器用なことができないタイプなんでしょう。(こういうところは、ティベリウスに似てる〜!)心から国のためを思って行動しているのに、国王始め側近たちからもあまり理解してもらえていないのが不憫でなりません。前線で戦っているものにしかわからない“現実”というのがありますよね。それを見据えているのは、残念ながらトロイ指導者層のなかにはヘクトルしかいなかった。それでも、決められたことにはきちんと従うのがまた、ヘクトルの生真面目なところ。(ティベリウスなら家出してます、笑)
 アキレスとの初対峙は、数多くの二次創作を読んでしまったために(笑)、いまでは普通に見られなくなってしまってます。“ここでアキ、絶対ヘクトルにほれてるよな〜”みたいな。まあ、それを無理やり押しのけて考えても・・・ここでのアキレスは、本当にいたずらっ子のように無邪気に見えます。(パトロクロスを殺された後に独りで城壁の前に現れた彼は全く違う人のよう。)噂に聞くヘクトルと出会えて、多分予想にたがわぬ戦士だろうと直感し、いつか剣を交えるときが楽しみでならない、というような気持ちになったのかな・・・。
 一方ヘクトルのほうは、というと。これまでに出会ったこともない戦士との出会いにやはり、衝撃をうけたように思います。そして、彼はこのときに自らの運命をどこかで感じ取ってしまった。その不安から、妻との語らいのときに、アキレスのことを口にしたのかも・・・。
 トロイとギリシャ軍の正式な最初の対戦のとき、やはりヘクトルは“国王代理”にふさわしい威厳ある態度です。本当は、トロイ側に落ち度があるのだけど、それでごめんなさいしちゃうわけにはいきませんから、がんばって威厳ある態度で臨んでいるんでしょう。対して弟のほうはというと・・・・・・“(ヘレンがスパルタを去ったとき)太陽は輝いていた”とかなんとか、わけのわからんことをほざき、メネラオスをまた怒らせるという愚挙にでてました。
 ヘクトルの運命を決めてしまったパトロクロスとの一件は、冷静にみれば、そんなにヘクトルが自分を責める必要はないとおもうんですけどね〜。戦争なんだし、お互い殺さなきゃ殺されるわけだし、年が若かろうがなんだろうが武装して向かってきてんだから、そりゃ戦うでしょう、と。ヘクトルがあんなに落ち込むことはないんだと思います。でも、ヘクトルの性格上、または戦士としての誇りからも、きっとそうはいかないんでしょうね・・・。 “アキレスと間違えて若い従弟を殺した”ことについて、自分の戦士としての思いや、家族(弟や従妹)への思いなどを投影することで、アキレスの気持ちも理解できたのかもしれません。だから、無謀とも思えるアキレスとの一騎打ちにも赴いていたのでしょう。   
 しかし、この行動は、国を背負っている総大将としては、軽率とも受け取られかねないとも思います。ヘクトルほどの立場になれば、本当なら、個人の仁義、名誉より国の防御を考えるべきで。でも、ここで私は、彼が国より、家族より、戦士としての一個人の立場を優先させた、とは思いたくないのです。もちろん、戦士として、最高の勝負に向かう高揚感などが全くないとはいえないと思いますが、“もうや〜めた”と、国や家族を投げ出したわけではないと思いたい。彼は、戦闘においても、いつも指揮官でありながら最前線で戦ってきた。だからこそ、最強の敵アキレスを目の前にしてもやはり、向かっていくことにためらいはなかったと思います。その姿勢こそが、ヘクトルを大将として尊敬する兵士たちを力づける役割を果たしてきたであろうと思いますし・・・。
 一騎打ちのシーンは、ほんとに辛いです。アイアス相手のときもそうだったのですが、ヘクトルの戦い方って、決して華麗ではないんですよね。むしろ、とても泥臭い感じ。そこに必死さを感じますし、“生きたい”という気持ちが現れているのだろうと思います。そして・・・最後に倒れたときの意外にも安らかな表情には、かえって泣けてきます。
 プリアモス王とアキレスのシーンは、やはり名シーンのひとつになりますね・・・。ここでのアキレスは、父に諭される子供のよう。ヘクトルの遺体を前にして涙を流すシーンも、子供が泣きじゃくっているように見えてきます。・・・こうしてみると、改めてアキレスって、ほんとに心が子供のまま大人になったような感じですね。それにしてもお父様、そんなに息子を愛していたのなら、何で息子のいうことを聞いてあげなかったの〜〜!!!と思います。・・・でも、あとで木馬を“焼きましょう”というパリスの進言も受け入れていないのだから、結局“息子”としては愛していても、政では“わが道をゆく”タイプなんでしょうかねえ・・・。


 私はずいぶん後になってこの映画を見たわけですが、いろいろネットでたどっていって、映画の評判がいまひとつだったと知って、ちょっと哀しくなりました。
 この話は、"inspired by Illiad"となっていることから、イリアスそのままではないのですよね。始めから、“イリアス”をそのまま映画化するつもりはなかったのだろうと思います。そもそも、ホメロスの時代だって、既にトロイア戦争から何百年も経っているわけだから、あの叙事詩自体、事実を表しているとは限らないとおもいますし。そういうことを考えると、イリアスをエッセンスにして、あのような話を創造したことは、私はすばらしいと思います。だから“駄目”とか言ってほしくないと思います。批評する人は、そもそもそんなことを言えるくらいに優れているのか?数学じゃあるまいし、答えがひとつと言うわけでもない。言うとするならば、“自分の感性、または価値観と合わない”とか言う程度のものなのではないのでしょうか。もちろん、多くの人の共感を得た作品が名作と呼ばれるようになるのであろうし、それに対して異論はないけれど。
 まあ、そんなこと気にしないで、自分が楽しんでいればいいんでしょうけど。もともとそんなに映画をみる方でもないので・・・批評にも慣れていないのかもしれませんが・・・。