ティベリウス語り 

1.幼年〜少年期 ティベリウスの人格形成

 “ローマ人の物語”で、最初にティベリウスが登場するのは、アントニウスとオクタヴィアヌス時代のアウグストゥスの政争中のこと。人妻リヴィアに恋した24歳のオクタヴィアヌスが、その夫に直談判して妻を譲ってもらったというエピソードが紹介されています。このとき既にリヴィアには3歳になっていたティベリウスの母で、しかも妊娠中だったそうです。アウグストゥスは結婚後、ティベリウスと、弟のドゥルーススを引き取り、手元で育てます。これは当時のローマでは珍しいことだとか。アウグストゥス自身の生い立ちから、子供には淋しい思いをさせないようにとの配慮では、と塩野氏は述べています。(ただし、その後他の本など読みますと、彼は9歳で実父が死ぬまではクラウディウス家で育ったとされています。そうだとすると、母のいない寂しい幼少期を過ごしてしまったということになってしまいます・・・)

 ティベリウスの実父(名前も同じ、ティベリウス・クラウディウス・ネロ)は、若い頃はカエサル配下の士官でしたが、カエサルがルビコン川を渡ってから(つまり、元老院との対決姿勢を明確にしてから)は、敵であるポンペイウス側についた、心底からの“元老院体制堅持派”でした。このため、カエサル暗殺後のアントニウス、アウグストゥスの作った“処罰者名簿”に名がのり、追放生活を強いられます。ティベリウスの生まれた年にはまだ、父はアウグストゥスの敵であったのです。その後ミセーノ協定により父はローマに帰還しますが、母はアウグストゥスの妻になってしまいます。お父様も結構かわいそうかも・・・。

 戦場での初体験をするためにローマを後にしたのが15歳のとき。アウグストゥスの甥のマルケルス(16)とともに、アウグストゥスに同行してガリア(現フランスやスペインなど)に向かいます。そして初陣は、このスペイン戦役の際、アグリッパの元でした。その後に、軍事的才能を開花させていきます。凱旋式では、義父の後に騎馬姿で続いて参加したこともあるみたいです。どの凱旋式かが不明なのですが・・・。 
 凱旋式といえば、まだ彼が子供の頃、クレオパトラ、アントニウスとの戦いに勝利した際の凱旋式で、オクタヴィアヌス(当時はまだアウグストゥスではないので)の馬車にちょこんと座って参加していた、という記述もどこかでみたような気がします。そういう意味では、一応は、家族の一員として大切にはされていたのでしょう。(後で分かったのですが、対エジプト勝利の凱旋式のときに、マルケルスとともに騎馬姿で参加したらしいです。なので、“ちょこんとすわって”は私の思い違いのようです)
 アウグストゥスを身近で見ていて、やはり義理の父への政治上の共感は持ったようです。だから、何歳頃のことかわかりませんが、元老院でアウグストゥスに遠慮ない言葉
を浴びせる議員たちへの憤りを感じたことも多々あったようです。こういうところをみても、正義感が強くて理不尽なことが許せず、またそれをストレートに表に出すタイプなんだろうと思います。

 ティベリウスの属したクラウディウス一門は、ローマの名門貴族のひとつで、その特徴は、『高慢、強気、非妥協的、先見性、確固たる意志、強い責任感』(文庫3巻p28)だそうです。『民主政下ではとうてい選ばれそうもない人々』(笑)・・・ティベリウスも、おそらく典型的なクラウディウス一門の人間だったのでしょう・・・。『クラウディウス一門の男たちの基調音でもあった国益最優先への強烈な自負心ならば、国体が帝政に変わろうとも、ティベリウスの血の中には生きつづけていたのである。』(文庫17巻p32)という記述もあります。
 塩野氏が何度も述べているのですが、彼の性格は、非常に“貴族的”であったということです。この“貴族的”の意味を、私は根底からは理解していないかもしれません。でも、階級主義者、という意味とはちょっと違うようです。たとえば彼が生涯愛し続けた人は、消して身分の高い出身ではないヴィプサーニアです。また、身分が低いからといって人を侮蔑するようなところはないし、帝位を継いでからは、出身階級によらず、実力のある人をどんどん表舞台に抜擢しています。むしろ、家柄のよい元老院議員たちに襟を正すことを求めていたのだと思います。だから、おそらく、この“貴族的”とは、志が高い、というようなイメージなのでしょうか。もちろん、自分に対する誇りはすごく持っていたとは思います。
 由緒正しい家系に生まれた“長男”ということも、彼の貴族的精神の形成に影響しているようです。彼は、自分が、名門の出であることを強く意識していたそうです。そしてやはりどちらかというと閉鎖的、内向的。一方、弟のドゥルーススは、明るく開放的で、兄と比べて人好きがしたとか。まあ、ありがちな兄弟の構図ではないかと思います。ただし、性格は違えども、この兄弟仲はとてもよかったそうです。
 血筋だけではなく、いわゆる“育ち”も非常によろしいようです。品格高い振る舞いに、ギリシャ語の完璧さ、など、『庶民的なアウグストゥスやアグリッパの世界には混じりきれない存在であった。』(文庫16巻p48)と記されています。ギリシャ文学や天文学を愛した、ともあります。きっと、ホメロスなんかも楽しんでいたに違いありません♪ティベリウスも愛した作品に2000年後に触れることが出来るなんて、ちょっと感動・・・(笑)。庶民的なアウグストゥスの家で育ちながらも、このように品格高く成長した、という点が不思議といえば不思議ですが、これは母親の影響かもしれません・・・。そう思うと、お母様は結構教育ママ系なのかもしれません。ローマ人の物語ではあまりストレートには触れられてはいませんけど、息子への口出し(笑)はそれなりにあったのかも・・・。(母親の件はともかく・・・これも、9歳までクラウディウス家で育ったのならば、納得・・・ですね)

 ともかく、そんなこんなで・・・ティベリウスの人格が形成されていくんですね・・・。でも、まだ、少年期は、彼も幸せだったと思います。きっと・・・ひたすら高貴な王子様みたいなんじゃないかと・・・ちょっと妄想はいります(笑)