ティベリウス語り  

4.壮年期(1) 家出

 妻ユリアとの不仲、弟の死、アウグストゥスとの確執・・・ティベリウスを取り囲む状況は悪くなる一方です。

 ドゥルーススの死後、とりあえずは静止状態となっていたドナウ戦線はおいておいて、ティベリウスにはライン防衛線の堅持が委ねられます。そして結局、紀元前8年当時、34歳のティベリウス一人の肩に、帝国の北の防衛線確立という、帝国全域でも最も困難な戦線がかかってしまいます。『それでも、ティベリウスは、よくやったとするしかない』(文庫15巻p204)。ティベリウスが制覇したドナウ河以南の戦後処理はローマ化の方向で進みつつあり、ゲルマニア制圧行も順調でした。でも、これは『前段階は、という条件つきの成功でしかなかった』のです。『軍団による制圧行も、それを中絶すれば中絶した時点の状態で止まるのではなく、制圧行をはじめる以前の状態の後戻りするのだった。それが、前線経験の少ないアウグストゥスには理解できなかった』のです。そして結局、アウグストゥスは、エルベ河への防衛線移動は成功した、と判断したのです。『アウグストゥスとティベリウスの意見のくいちがいは、ゲルマニア制圧は完了したと思う人と完了していないと考える人の間に生じたもの』でした。紀元前7年に、ティベリウスは執政官に推挙され、当選しますが、春になると再びゲルマニア戦線に戻ります。翌年、アウグストゥスはティベリウスに“護民官特権”を授与するように元老院に要請して承認されます。これは、アウグストゥスの後継ぎとなることを意味しました。ただし、“中継ぎ”として。正式な後継ぎとして、アウグストゥスの養子となっているのは、“愛してもいないユリアの息子たち”のほうなのですから。しかし、『それでいてアウグストゥスは、生涯を自分に捧げたアグリッパにしか与えなかった栄誉を与えたのだから、喜んでしかるべきと思っていたようである。またティベリウスも、これは黙って受けたらしい。』のです。・・・どうも、アウグストゥスには、人の気持ちを思いやる、という才能が欠けているのではないかと思ってしまうのですが・・・。

 この状況からわかるように、二人の間の確執は、軍事の意見の食い違いのほかに、アウグストゥスの“血への執着”も原因だったのです。
 アウグストゥスは、たとえカエサルの姪の息子ではあっても、一地方都市の有力者、騎士階級の出身でした。カエサルは、彼を才能を見抜き後継者に指名しましたが、出身階級が低いために、自分の養子とすることでユリウス一門の当主の名を与えたくらいなのです。そしてその期待にアウグストゥスは見事応え、実力で、自分の地位を不動のものとしました。ですが彼自身は、『実力も重要だが血縁も重要と考えたことで、後継者選びに苦労することになってしまった』(文庫15巻p202)のです。『実力で選ばれた人が血縁も重視するようになったのだから、これ以上の矛盾はない。そして、アウグストゥスがかかえるこの矛盾を見透すことのできる人がいたとしたら、それはティベリウスであったろう。』ティベリウスの出身は、『ローマに貢献した人材をより多く提供した家系となれば、ユリウス一門も遠く及ばないクラウディウス一門』なのです。
 ティベリウスは、帝政を布いたアウグストゥスに、政治信条としては共感していたようです。だから、もしもアウグストゥスが堂々と実力尊重主義を貫いてくれたならば、『幼い頃から身近で育ててくれたこの義父を、何の矛盾も感じずに敬愛できた』のです。でも、現実は、ティベリウスからみれば『統治者としては完全に心酔している人が、さして高貴でもない、ローマ人の言い方ならば「新参者」の血の継続に狂奔している』ということになるのです。そして、『しかも、その犠牲者の一人が、ほかならぬティベリウスなのであった』のです。そう、愛する妻と離婚させられて、無理やりアウグストゥスの娘と結婚させられてしまったことも、目的は、アウグストゥスの血を引く後継者候補を一人でも多く、ということだったのですから。

 ・・・と、このように、公私ともに二人の確執はどんどん深刻になっていくわけですが、とうとう二人の断絶が決定的になります。
『アウグストゥスは、ゲルマニアへの決定的な軍事行動の必要を認めず、ためにティベリウスには、それを可能にするだけの軍事力を与えなかったのである。それどころか、当方のアルメニア王国が再び不穏な動きをはじめたのを機に、ティベリウスには東方への移動命令が下った』のです。そして、『これが、仲のよかった弟に死なれて孤立感を深めていたティベリウスに、生まれてはじめての決心をさせた』のです。
 このとき36歳のティベリウスは、アウグストゥスの命令を拒否し、公職の引退を願い出ます。当然アウグストゥスは激怒。母は必死で息子を説得・・・でも、彼は決心を変えませんでした。『ほとんど逃げ出すという感じで首都を後にしたティベリウスは、そのままロードス島に自主的な引退をしてしまったのである。もちろん、一人で。妻ユリアとは、事実上の離婚だった。』のです・・・。
  家父長権の強かった古代ローマで、ここまでの行動をとる、というのは、よほどのことだったに違いありません・・・・・・。

 ゴシップ好きの史家たちが考えた、ティベリウス引退の理由は、アウグストゥスの孫への嫉妬と、妻との不仲、だそうです。でも、これはいずれも塩野氏により否定されています。36歳が14歳や11歳の子供に嫉妬するわけもない、また、妻との不仲もこのときに始まったことでもない、というわけです。もちろん、個人の感情だから、実際どうだったかどうかは不明、とはしていますが。でも、塩野氏の見解は以下のとおりです。『アウグストゥスもティベリウスも、卓越した器量の持ち主であったことでは共通していた。つまり二人とも、「見たいと欲しない現実まで見通す」、真正の現実主義者であることでは共通していたのである。この二人の葛藤が、つまらない問題から発したとは思えない。それどころか、卓越した才能の持主同士であったがゆえに起こった、意見の相違ではなかったか。』私もこの説を採用したいです・・・・・・。ずっと我慢していると、何かが引き金となって、突然、ぷつん・・・と糸が切れるように、何もかも放棄したくなってしまう・・・。きっかけは、彼の場合は、東方への移動命令。レベルは違うけど・・・私はこの気持ちはわかるような気がします・・・。

 そして、ティベリウスは、ロードス島で学問三昧の日々を送るようになります。母リヴィアは息子を心配して、アウグストゥスに、「代理」の資格を与えてもらうよう取り計らったようですが、アウグストゥスの怒りも大きかっただけに、かなり大変だったらしいです・・・・・・。しかし、こういうところをみると、お母様はやはり、結構息子を構うタイプなのかもしれませんね・・・・・・。

 まあ、こんな状況になれば、確かにティベリウスだって、逃げたくなるでしょう。私だったら、もっとさっさと逃げてただろうな。