3日目(30日)

** この日の観光コース **

ルメリ・ヒサール(第二ボスフォラス大橋)〜 考古学博物館
〜 タイル博物館 〜 地下宮殿 〜



この日からは、自由行動。朝ホテルを出て、タクシーでルメリ・ヒサールに向いました。
まとめていったら、考古学博物館が異様に長くなってしまいましたので、この日も2つに分けることにしました。


☆ ルメリ・ヒサール(Rumeli Hisari) 最後のiに点なし     

 1542年、コンスタンティノープル攻略を前に、スルタン・メフメット2世がボスフォラス海峡のヨーロッパ・サイドに建築した要塞。1万人の労働者、1000人の石工職人らを動員し、3人の高官たちに競わせるように建築を進めさせた結果、わずか4ヶ月で完成したそうです。ルメリ・ヒサールとは、ローマの城塞、の意味。この要塞と対岸のアナドル・ヒサールにより、コンスタンティノープル攻略時に海峡は封鎖されたのでした。また、攻略前にも、航行する船から通行料を巻き上げ、これを拒否した船を両岸から大砲で攻撃したそうです。
 ここ、本当は内部の見学が可能だったのですが・・・なんと訪れた日はお休み。がっくし・・・あとからガイドブックで確認したら、確かに水曜休みって、書いてありました・・・(でも、遠出を最終日に持ってくる気になれなかったんですよねえ・・・)
 ま、めげずに海側から写真は撮りました!・・・この上から、海峡に向って大砲をぶっ放していたんですよ〜!!!
 

  

  対岸のアジア・サイドにある、アナドル・ヒサール。すっごく分かりにくいですが・・・船の向こう側の四角い城塞が、そうです。ちゃんと、旗もはためいているんですが・・・写真では、わずかに紅い点が見えるだけですね。残念・・・
 アナドル・ヒサールとは、アジアの城塞、の意味。1391年にスルタン・ベヤズット1世によって築かれた要塞で、1452年にメフメット2世が拡張したのだそうです。




 

  

  ルメリ・ヒサールの横にごろんと置かれていた大砲。大きさからすると、コンスタンティノープル攻略に用いられたものと同じサイズなのかもしれません。

 ハンガリー人、ウルバンが巨大な大砲の製造技術を売り込んできたとき、ビサンチン帝国はまったく本気にしませんでしたが、オスマントルコのスルタン・メフメット2世は彼を賓客として迎えます。そして、ウルバンの指導のもと、その巨大大砲製造にとりかかります。  
 鉄壁で、その突破など誰も信じなかった、コンスタンティノープルの
3重の城壁は、この巨大大砲によるダメージが元でついに突破されてしまい、ローマ帝国は終焉を迎えました。  


 こちらは、ルメリ・ヒサール付近から見た、第2ボスフォラス大橋。ボスフォラ海峡で、この辺りが一番狭くなっているようです。だからこそ、海上封鎖も効果的に行われたわけですね。  橋をくぐってずっと行くと、黒海です。しばらく眺めているだけでも、何隻かの船が行き来してました。やはり、交通の要所なんですね。

 





☆ 考古学博物館(Arkeoloji Musesi) Uの上にウムラウト    ☆  
 

  トプカプ宮殿の第一庭園に隣接した博物館です。トルコ人考古学者・ハムディ・ベイによって1881年に開設されました。当時は、ヨーロッパ列強がトルコでの発掘品を国外に持ち出しまくっていたようです。(トロイア遺跡や、ペルガモンのゼウス神殿などもそうですもんね・・・涙)考古学的遺物の散逸を惜しんだ彼は、遺物の収蔵施設として、この博物館を造った、とガイドブックには記述されています。しかし、現地で購入した本には、シドン(現在のレバノンのサイダ)の王家の墓地から発見された一群の石棺を収めるのが主な目的であったと記されています。ともかく・・・収蔵品は紀元前15世紀から20世紀までの10万点に及ぶそうで、 1991年には、100周年を記念して新館が増設されました。
 ここの目的は、何といっても、ティベリウス像です(笑)。古代ローマとか言ったって、所詮、ティベリウス以外にはさして興味がない私ですから(汗)。あ、あともう一つの目的は、トロイア遺跡の出土品、ですかね。ただ・・・トロイ関連の発掘品って、別にヘクトル由来のものがあるわけでもないんですよね・・・。むしろ後代の壷絵とかのほうが、ヘクトル出現率は高いのかも。でも、今回は、探し方が悪かったせいかもしれませんが、壷絵にはめぐり合えませんでした・・・。
 





  それでは・・・ここからは、博物館内の、私的推薦作品の紹介を(笑)。 なお、出土地やタイトルは、日本語で分かるところ(
本に出ているもの)は日本語で記しますが、わからないものはアルファベット表記のみになってます。

 
アルカイック時代の彫刻は、私的にはあまり興味をそそられなかったので・・・まずは・・・ヘレニズム時代(330-30B.C)の彫刻類です。

 最初は、 勝利の女神ニケ 。これは、ペルガモン(Pergamun)から出土したもの。B.C.2世紀の作品です。一歩前に踏み出したポーズが、ルーブル美術館のニケ像を彷彿とさせます・・・。



  アレクサンドロス大王の頭部 3種。左は、B.C 3世紀後半の、Cymeキメ(Namurtナムルト)からの出土品。中央は 、B.C.2世紀 Cosコス島(Istarlkoy)の品。 右はBC2世紀前半、ペルガモンのアクロポリスの下のアゴラで出土したもの。右の頭像には、本に解説が出てました。かすかに首をかしげたポーズ、額の真ん中から分けた、ふさふさしたライオンの鬣を思わせる巻き毛、濃い眉毛と重たげなまぶた、丸い目とかすかに開いた唇・・・これが、アレクサンドロス大王像の特徴なんだそうです。アレクサンドロス大王は、自らをアキレウスの末裔だと信じ、彼を崇拝していたんですよね。(つまり、アンドロマケの子孫でもあるわけですね♪) 

   


  アレクサンドロス大王像  シプリウム山のマグネシア(マニサ)で発見された、紀元前3世紀中期の作品。この像には、作者の銘も残っているそうです。碑文に“ペルガモンのメナス、アイアスの息子 これを作る”と記されているそうです。武器を持っていなければ、アポロンと見紛うかとおもうような美しさです。



  続いては、ヘレニズム彫刻と、その影響を受けたローマ時代の彫刻。まずは、 アフロディーテ像  BC3-2世紀Priene(Gullubahce)出土  uの上ウムラウト、cの下髭) 。これ、実は高さ1mもないくらいの小さな像なのです。でも、すごく精密につくられていて、素敵な像でした。この 美しさと迫力は、やはりアフロディーテって感じ。



 “トロイアの女”などなど、トロイの女性の悲劇もいくつも残した、悲劇作家 エウリピデスの浮き彫り です。 スミルナSmyrna(イズミールIzmir)出土。後期ヘレニズム時代である、紀元前1世紀〜1世紀の作品。エウリピデスが、悲劇の英雄ヘラクレスの仮面を若い女性に渡しているところ。エウリピデスの背後に立っているのは、ディオニソスの像。


 
 

 
 さあ、いよいよ、“Roman Portrait Art”すなわち、肖像彫刻です〜♪♪・・・もう、『ローマ人の物語』を読んでしまうと、どの人も親近感が湧いてくるのですが(あ、アグリッピーナは除く、ですが・・・笑)ちょっと全部だとボリュームが多すぎてしまうので、ここでは、ユリウス・クラウディウス朝の方を中心に。

 まずは、やっぱり、 アウグストゥス 。私的にはどーでもいいけど・・・(笑)初代皇帝ですから、まあ一応。まあ、美男子ですよね、毎度のコトながら・・・でも、このお方、
若い頃の像しか残っていませんからね。左はペルガモン出土で、紀元前1世紀後期〜1世紀初期のもの。右はキメ出土。

  

 こちらは、“ オクタヴィア? ”。クエスチョン付きなんです(笑)。ニコメディア(Nickmedia)で発見されたもので、1世紀前半頃の作品です。

 ・・・しかし、クレオパトラに勝る美人、のはずなんですが、これってそんなに美人にみえますかねえ??鼻が抉れちゃっているから、わかりにくいですけど・・・意外とたいしたことないような気もします。まあでも、見方によっては、アウグストゥスに似ているかなあ・・・オクタヴィウス家?の顔かも。そう思ってみると、アウグストゥスとオクタヴィアはちょっと似てて、ティベリウスとリヴィアもやっぱり似ているのかも。リヴィアとティベリウスのほうが、顔のつくりが小さくてかわいらしい雰囲気のような気がしますね。(ローマの旅5日目に、リヴィアの彫像があります)
 まあ、私のイメージとはちょっと違いますが、良妻賢母的な雰囲気はでていますかね??

 ちなみに、左側に、3つ目のアウグストゥス像が写ってます。やっぱりアウグストゥス像は数が多いですね。

 さて、いよいよ(笑) ティベリウス です!絶対、アウグストゥスの写真より小さくしたくない!・・・と思ったので、苦労しました(笑)彫像は一つだけですが、3方向からの図。これもペルガモン出土で、1世紀の作品。私は・・・やっぱり、顔立ちもティベリウスのほうが好きなんですけど・・・。オクタヴィアヌス時代のアウグストゥスを落としたほどの美貌(いや、見た目で落ちたのではないでしょうが、笑)のリヴィアの息子なのだから、絶対二枚目だったと思います・・・。

   


 続きましては。私はキライですけどね。でも美人な 大 アグリッピーナ 。特に左側のは美しいですよね〜。気も強そう・・・。顔のところで割れてるのをみて、“ざま〜みろ!”と思ってしまった私は、相当性格が悪いです(笑)。一方、右側のほうは、顔が崩れているところが、パンダテリア島に流刑になったときに激しく殴られ目がつぶれてしまったというエピソードを思い出してしまいますね。
 ちなみに、左の像は1世紀ペルガモンの作品です。右も1世紀なんですが、出土場所が不明。(写真の字がぼけて解読できませんでした・・・。プレートの写真撮るのを忘れてて・・・) 

    


 続いて・・・皇帝を3人。左は クラウディウス帝 。Nikomediaニコメディア(Izmitイズミット)のユリウス・クラウディウス朝時の作品です。やっぱり、華奢な感じですね。中央は、 ネロ 、なんですって。何でこれで分かるんでしょうかねえ。Omerbeyit、Germencik-Aydin?出土、やはりユリウス・クラウディウス朝の作品ですね。右は突然、 ハドリアヌス帝 (笑)ヒェラピトゥナ(クレタ島・ギリシャ)の2世紀の作品。
 他にもローマ皇帝像などあったのですが、ユリウス・クラウディウス朝以外はあまり興味がなくて(笑)。でも、5賢帝の一人のハドリアヌスは、比較的好きなんですね。めちゃくちゃ評判のよかった皇帝の次だったことや、年取ってから偏屈になっちゃったところなど、ちょっとだけティベリウスと共通点があるような気がして・・・。しかし、この像ってば、何なんでしょうか。足蹴にしているのって、子供みたいです。でもこれって、ひどすぎないですか??シチュエーションが分からないんですが・・・。

   

 
さて。胸像が並んでいたところ、全部でこんな感じでした。 うまいことに、ティベリウスが中央なんです♪

        



 しかし、やはり彫刻となると、たとえローマ時代でも、おそらく一番メジャーで庶民にも喜ばれたのはきっと、ギリシャ神話の神々でしょう。ここでは・・・やはり、代表して、アポロンとアルテミスを。
 左 アポロン は、2世紀・ローマ時代のミレトス(バラト,ソケ)の作品。オリジナルはヘレニズム時代だったようです。足がやや短いのが失敗、ですって!(笑) この作品、もともとは彩色が施されていたようです。
  一方、右の アルテミス は、キレネ(リビア)のローマ時代の作品です。こちらも紀元前2世紀、ヘレニズム期の作品のコピーだそうです。この時代は、ヘレニズム時代のコピー作品が多いんですよね。

   


  こちらは・・・誰に見えますか??何と、 クレオパトラ 、です!!Limenas,Thasos出土と記されてました。ローマ時代、2世紀の作品だそうです。プトレマイオス王朝はギリシャ人、といわれるとおり、ほんとギリシャ人っぽいですね。

        

 

 すごく長くなってますが、まだ続きます こちら


2008.10.11