3日目(30日)  (その2)

** この日の観光コース **

ルメリ・ヒサール(第二ボスフォラス大橋) 〜 考古学博物館 
〜 タイル博物館 〜 地下宮殿 〜



考古学博物館・・・長い!!マニアでもなきゃ、とても耐えられないかも(笑)
まあ、適当に飛ばしながら眺めていただければ・・・


(その1) から続いています・・・


☆ 考古学博物館(Arkeoloji Musesi)
Uの上にウムラウト その2   ☆  
 

 続いては、 トロイからの出土品 コーナー。第I市から第IX市まで、世代ごとに発掘品が展示されていました。そして、それらの前に、当然ながら、トロイア戦争の解説が展示されています。それが下の写真。中身は、おなじみのものなので、かわいいイラストのほうをアップで紹介します。ただし、映画に出てこない神々のアップは省略(笑)


 

 左は、プリアモスパパたち。母ヘカベや、武器を持たない悲しき預言者、カッサンドラなどの姿も。中央はヘクトルの家族。ヘクトル、アステュアナクス、アンドロマケ。そして後ろにはなぜかラオコーン。ラオコーンは、ヴァチカン博物館の彫刻が有名ですね!(ローマの旅に写真&解説あり。 →こちら ) 右はアホ(笑)パリスと、ヘレン。


  

 続いて、アカイア側。おなじみの顔ぶれがずらり。ブリセイスまでいますねえ。

  


 それでは、いよいよ出土品へ。最初はII市からシュリーマンが発掘した、黄金の頭飾りなどの装飾品。


 

 続いては、トロイアVI市。トロイアが最も栄えた時代です。出土品も結構洗練された感じがしますね。

 


 いよいよ・・・トロイア戦争の起きたと思われる、トロイアVII市の出土品で〜す♪もしかしてもしかしたら・・・ヘクトルやアンドロマケが触れたものだって、あるのかも♪(笑)

 

トロイの木馬・・・の模型。トロイにいけなかったので、これで我慢、我慢(苦笑)。しかし、このデザインってば、“中に人が入っていますよ〜〜!!”って言わんばかりですよね。映画TROYの木馬のほうが、デザイン的には洗練されてますよね〜!

 ちなみに・・・ここで購入したトロイア関係の本には、トロイア遺跡を訪れた人々のエピソードも紹介されています。アキレウスに心酔していたアレクサンドロス大王は、紀元前333年にアキレウスの墓に参り、この際パリスの所有物だった竪琴を贈られたそうですが興味を示さなかったとか。この頃は英雄たちの武具も残っていたようで、(本物かどうかは・・・?ですが)彼は自分の武具を捧げ、代わりにこの英雄たちの武具を持参して東方遠征に赴いたそうです。一方、カエサルはローマの祖アエネイアスの故郷をみようと紀元前48年にやってきましたが、草ぼうぼうでヤギの糞だらけの丘をみて興ざめしたとか(笑)。廃墟と化したこの地を訪れたのはスルタン・メフメット2世。しかし、彼はこの場所の地勢の良さに感嘆したとか。さすがです。そして彼は、こういったそうです。「偉大なるアラーは、この土地と人民の恨みを晴らすために我をつかわされた。我らはトロイアの敵を撃ちやぶり、復讐したのだ。ギリシャ人どもこそこの土地を略奪したのだから、その子孫たちは今こそ我らに償うべき時なのだ。・・・」なるほど〜!
 トロイア戦争の大昔から現在に至るまで、ギリシャ人とトルコ人はず〜〜〜っと、極めて仲が悪いようです・・・(ガイドさんの言動からも感じました!!)



 さて、続いては、石棺シリーズ。この博物館建設のきっかけとなったとも言われる、レバノンのシドンで発掘された、フェニキアの王家の数々の石棺が展示されていました。
 
 このシリーズからは、代表的な、 アレクサンダー(アレクサンドロス)の石棺 をご紹介。モチロン、彼は遠征先で亡くなっているので、彼の遺体はこの中に入っていません。また、本当にアレクサンドロス大王のために作られたものかも、いまひとつはっきりしていない模様。左の写真はその石棺で、一番左の馬を駆っているのがアレクサンドロス大王といわれているそうです。そして、この石棺、よく見ると彩色が残っているのです。それを再現したのが右の写真。

  


 そして、なぜか、こんなものが!!!なんと、ティベリウスの浮き彫りです!!・・・これは、トラキアービティニアのコーナーにあったもの。タイトルは、 神官兼知事ティベリウス フラヴィウス ミカルスの陵墓ファザードの浮き彫り  で、Kamaradere Perinthus カマラデレ (Marmara Edeglisiマルマラエレリシ)で出土した、紀元前1世紀後半のもののようです。まだ皇帝にもなっていない時期なのに、こんな地方の人のお墓の浮き彫りになっているなんて♪もう、感慨もひとしおです。・・・だって、嫌いな人を彫りませんよね、お墓にまで。皇帝でもないのだから、お追従の可能性もさほど高くないのでは、と信じたいです・・・。ただし・・・やや、全体のバランスが悪いのはちょっと気になります(笑)なんか、足が短い!!!

  


 続いて、ビサンスのコーナーにあったティベリウス頭像。このコーナーは、ビサンス時代(西ローマ帝国滅亡から、コンスタンティノープルがオスマントルコに征服されるまで)の、ビサンチン各地からの遺物が展示されているのだそうです。コメントには、コンスタンティヌス1世の時代にフォーラムで再利用されたもの、と書いてありました。出土はCemberlitas( sの下に髭 )、1世紀の作品です。
 この頭像は、正直あまり好きではないですね。年取ってからの像でしょう、なおさら険しい顔をしています。髪の毛は明らかに手抜きっぽく見えますね(笑)。“え〜〜、これがティベリウス???”と思いましたが、よくよく見ると、やっぱりそうだなあ、とも。目が寄ってて、唇の薄いところはやっぱりティベリウスらしいといえますね・・・。

 


 同じくビサンスのコーナーにあった、アルテミス像。これは、シラフタラァ(イスタンブール)出土、2世紀の作品です。

 


 考古学博物館の最後をかざるのは、スルタン・メフメット2世のコンスタンティノープル攻略の際、ビサンチン帝国側が金角湾封鎖に用いたという、大鎖です!!リファレンスがないので大きさが分かりにくいですね。鎖の鉄の太さが女性の腕くらい・・・ってとこでしょうかl。
 後ろの絵に、封鎖の様子が描かれています。塩野さんの“コンスタンティノープルの陥落”には、この鎖を設置したときの様子も生き生きと描かれています・・・。


 

☆ タイル博物館(Cinili Kosk  Csの下に髭、oはウムラウト つき  )  ☆  

  考古学博物館と同じ敷地内にあります。この建物が建設されたのは、1472年だそうで、非宗教的建築物としてはイスタンブールで最古の歴史を持つ重要な建築だそうです。かつては夏の離宮としてもちいられていたとか。中には暖炉(シュミナSomine  Oはウムラウト付 )その他、“館”としての面影も残しています。展示物はタイル、その他陶磁器が主でした。(写真は考古学博物館から撮ったもの)
 中にいらした警備員の方々ってば、よっぽどヒマだったようで、私たちの行くとこ行くとこにくっついてきてました。ちょっかい出したくてしょうがなかったようでした!(笑) しかも、みんな日本人好き!!


 こちらでは、写真をちょっとだけ。左は窓のステンドグラス。同じようなデザインのタイルもありました。右は・・・なんだったっけかなあ、これ・・・。だんだん記憶も薄れてる・・・まずい!!ともかくこれ、ヒマそうな係員さんが撮影してくれました(笑)

 
 

 考古学博物館は、私のわがままで相当長居しました。途中でいったん昼食をとりに外へ。(本当はだめらしいですが・・・)出るときには、係員さんに、半券をもう一度みせれば入れる、って言われたのに、入るときには駄目といわれ。・・・困っていたら、再びタダで券をくれました!・・・そっちのほうが問題のような気もしたのですが、まあ入れたのでよしとしました♪  

 一つ、すごくあとで後悔したのは・・・やはり同じ敷地内にあったオリエント博物館に行かなかったこと!!ここに・・・あの“イシュタルの竜”が展示されていたんですよ!!!!!!“魔人”の浮き彫りも・・・・・・。ペルガモン博物館で見てきたからいいじゃない・・・と、自分を慰めていますが、やっぱり悔しい・・・!

 
 これは、博物館の敷地(ということは、宮殿の敷地)を囲む城壁です。あちこち城壁だらけですが、ここのは、メフメット2世の時代に作られたもののようです。



 下の写真は、お昼を食べた軽食屋。後ろには城壁が・・・。 城壁はいたるところに残っています。ビサンチン時代のものあり、オスマントルコ時代のものもあり、で・・・。







☆ 地下宮殿(Yerebatan Sarayi) ☆

 これは宮殿といいつつ、ローマ時代の貯水池なんです。でも、数多くの柱が並んでライトアップされた姿は、“宮殿”と呼ばれるにふさわしいと思います。・・・最近TVで見かける、荒川の地下貯水池を思い出したりも(笑)
 この貯水池が作られたのは6世紀だそうで、当時は裁判所なども入った公会堂の地下だったようです。水は、黒海に近いベオグラードの森の水源から引かれました。柱の数は全部で336本。高さは8mで、約8万立方メートルの貯水が可能だったそうです。
 左は、入り口付近から、下の見学通路を写したもの。右は、地下宮殿内にあるカフェ。結構涼しくて気持ちよかったです。

 

そしてこれが正面。結構壮観です・・・!下のほうには今も水がたたえられていて、魚もいました・・・。


 続いては、 メデューサの首 。何でこんなもんが・・・と思うのですが、何でも、古代では侵入者を防ぐ魔よけとして、門柱などに据えられることが多かったそうです。ここでは、柱の基石として使われているのです。逆さと横向きの二つがありました。あと、写真はないのですが・・・このほかに、涙目の柱、と呼ばれる面白い模様の柱もありました。

   



 以上でこの日の観光が終わりました。ホテルへの帰り道、この日は地下鉄、というか地下ケーブルカーにのりました。駅には、こんな大きな滑車が。色鮮やかなペイントがかわいらしかったです。



2008.10.11