2日目(9日) (その2)

** この日の観光コース **

ヴァチカン博物館 〜 
サン・ピエトロ広場/サン・ピエトロ大聖堂 〜 オール・セイント・チャーチ(オペラ鑑賞) 
〜 夜のスペイン広場

広大な美術館で人も多く、皆クタクタ。博物館内のお食事どころはどこも不味いので、博物館前の食堂で遅い昼食。
観光客相手の不味い店かと思ったけどそれほどでもなく(笑)、何とか復活して、サンピエトロ広場へ移動しました。

その1から続く


☆ サン・ピエトロ広場(Piazza San Pietro)   



 何のイベントの準備だかはわかりませんでした。それとも、毎週日曜にはこんな状態になるのでしょうか・・・?(この日は土曜日)広場には椅子が並べられ、スピーカーやスクリーンがセットされていました。
 この広場は、1656年から1667年にかけて、アレクサンデル7世(1655-1667)の命を受けてベルニーニによって実現されました。上の写真は、聖堂側からみたもの。手前が台形、その向うに楕円形の広場が広がっています。

 ↓下左の写真は、広場の中心に立つオベリスク。カリグラ帝(在位37-41)が自分のプライベート戦車競技場に建てるためにエジプトから運ばせたというのは有名な話ですね。このオベリスクを切断せずに運べるようにわざわざ巨大な船を建造させた、というエピソードも残っています。(そんなゼータクができたのは、もちろん、前のティベリウス帝のおかげなんですよ!)ちなみに、その競技場は、現在の広場と聖堂のほぼ南半分を占めていたようです。 オベリスクは、1585年にドメニコ・フォンターナによって広場の中央に移動されました。右は、広場の北側の噴水。多分こっちがベルニーニ作(1675年)で、反対側にはマデルノ作の噴水があります。噴水の向うに、広場を取り囲む4列の列柱が見えます。これがぐるっと広場を取り囲んでいます。楕円の焦点には地面に印があって、ここに立つと4本の列柱が重なり1本に見えます。 写真ではほぼ1本に見えるので、焦点付近で撮影したものですね。欄干の彫刻は、ベルニーニの弟子たちによって1670年前後に作られたそうで、高さ3.2m、全部で140体もあるそうです。

  


   これは、オベリスクの周りに埋め込まれている、方角を示すタイル。2009年の映画、『天使と悪魔』にも出てきました。(あの時は“西”のタイルが出てきたのではなかったかな・・・?) 

 

☆ サン・ピエトロ大聖堂(Basilica di San Pietro) ☆

  
 

 クーポラはミケランジェロが設計し、弟子が完成させており、広場から聖堂に続く階段はベルニーニの、そしてファサードはカルロ・マデルノの作品です。建物の両側に、聖ペテロ、聖パオロの像が立っています。

 このあたりは、もともと“アゲル・ヴァティカーヌス”と呼ばれた地区で、(先にも触れたように)ここにカリグラが戦車競技場を建設しました。5代皇帝ネロの治世であった64年にローマで大火災が起きた際、「火をつけさせたのはネロだ」という噂が立ってしまったため、ネロは放火の罪をキリスト教徒に押し付け、多くのキリスト教徒を処刑しました。その際に、この競技場で殉教した人々の中に聖ペテロがいたそうです。
 コンスタンティヌス帝(在位306-337)の命により、324年前後に、使徒ペテロに捧げられた聖堂の建設が開始されました。329年に奉納式が行われたようです。その後の教皇たちにより増改築も行われたようですが、やがて全面的改築が議論されるようになります。この実行を開始したのは、ユリウス2世(1503-1513)でしたが、その後紆余曲折があります。聖堂が完成したとみなされる奉納式は1626年、ウルバヌス8世治世下に行われています。

     外がいつもと違うのと同様、中もいつもと違いました。中にも席がつくられており、何かしらの行事?が執り行われていました。おかげで・・・残念なことに、ミケランジェロのピエタも見えませんでした。(写真から右側後方の方角にあるんです)。ただ、いつもより内部が明るいような気もしました。多分・・・式典用に、照明が明るくなっているのではないかと・・・。
 ちなみに。はるかかなたに見える、十字架を手にした女性は、コンスタンティヌス帝の母、ヘレナ(エレナ)。ベルニーニの弟子の作品です。クーポラの下は十字の中心で、他に3体の聖人の彫像があり、うち1体のみがベルニーニ本人の作品だそうです。


☆ オペラ鑑賞 ☆
〜 オール・セイント・チャーチ(All Saint Church)にて 〜

  
  

 スペイン広場から、バブィーノ通りをポポロ広場に向かって歩いていくと、左側に教会があります。その、多分2つ目がこの教会。夜でしたので、外からの写真は撮りませんでした。
 The All Saints Churchは1882年から1887年に建立され、尖塔が1937年に追加されました。ここではコンサートやイタリアのオペラアカデミーによりたくさんのオペラのステージが主催されているそうです。

 こんな感じで、祭壇がステージ。その前にオーケストラ、そしてお客さん用の椅子が並べられています。椅子には、祈祷のときに使うのか、膝をのせる座布団のようなものが置いてありました。座り心地のほうは・・・まあ、イマイチかなあ。
 お客さんはほとんど普段着でした。中には着飾った人もいましたが、いかんせん教会の中ですから・・・ちょっと寒そうでした(笑)。
 旅の疲れもあったのか・・・夫、叔父叔母、そして姑さんもみんな、途中からウトウト(笑)。私も最後、落ちそうになりました・・・(汗)
  

    
☆ オペラ 椿姫(La Traviata) (Verdi作曲) ☆

 有名な歌劇ですね。La Traviataは、「堕落した女」という意味とか。あんまりだ・・・。 何でも、初演のときに、結核で死ぬヒロインを、恰幅のよい歌手が演じて大ブーイングだった、というエピソードがあるそうです(笑)。まあ、あらすじのほうは、ネットでもご覧になったほうが早いでしょうから・・・ここでは説明は省略しますが、全3幕のうち、一幕1枚ずつ写真をのせておきいます。
 下の左側は第1幕。高級娼婦ヴィオレッタの住むお屋敷でのパーティでアルフレードとの出会い。かの有名な、「乾杯の歌」は、ここで歌われます♪白いドレスの女性がヴィオレッタ。アルフレードは、ちょっと年配の人が演じていて、ヴィジュアル的にはイマイチ(笑)。
 右の写真は第2幕。二人の愛の生活が営まれている“パリ郊外の”ヴィオレッタの屋敷で始まり。アルフレードの父が、息子と別れてくれと説得に来るシーンなどが描かれています(第1場)。続いて、パリでのパーティの場面(第2場)。ヴィオレッタはアルフレードと別れ、再びパトロン貴族と共にいますが、その訳を知らないアルフレードとの再会は、正直イタいです・・・。ここでのヴィオレッタは、黒いドレス。

  

 そしてこれは第3幕が終わり、カーテンコール。3幕ではアルフレードとの関係を、彼の父も認めてくれるのですが、時既に遅く、ヴィオレッタは、病で床に伏し、最後は命を落とします。ヴィオレッタは、寝間着ですね〜。

 

☆ 夜のスペイン広場(Piazza di Spagnae) ☆


  

 教会から歩いてスペイン広場下(?)の地下鉄駅へ。夜でも結構人がいましたね〜。まあ、東京を考えれば、当たり前か、という気もするんですが・・・。やはり、海外だと「危ないんじゃないか」とかいろいろ考えてしまいますよね。 左がスペイン階段。昼間ほど人が多くなく、心なしかのどかでいい雰囲気です。右が『バッカッチャの噴水』。これは、"パパ"ベルニーニの作品らしいです。
 ・・・まあ、皆疲れも出ていたので、ちょっと広場を見渡したあとは、地下鉄でホテルに戻りました。ちなみに、地下鉄のA線は、車体も綺麗だし、客層もあまり悪くなさそうで、夜でも比較的安心して乗れたように思います。
 交通費をケチったわけではないのですよ(笑)。でも総勢5名だと、普通のタクシーにも乗れないので、基本電車に頼ることになってしまうのです・・・。まあ、私と夫が別れて乗ればいいと言う話もあったのですが・・・。
 

これにて、この日のイベントはおしまいで〜す!



2011.01.23