2日目(8日) (その2)

** この日の観光コース **

(ホテル) 〜 国立考古学博物館 〜 (高速船) 〜 カプリ島(ホテル チェザール・アウグストゥス)

考古学博物館がとにかく長くなってしまいましたが、もうしばらくお付き合いを。
ここのよいところは、ヴァチカンのように混んでいないことですね♪ ゆっくり展示品を楽しむことができました。
それでも、遠足?の子供たちや団体さんはちょこちょこみかけましたが・・・。
午後、ホテルチェックアウト後、カプリ島へ。波が高くて高速船が大揺れ。乗客は次々と脱落してました・・・。

その1から続く

☆ 国立考古学博物館 続き 


 続いては、ファルネーゼ家の司書、古美術管理人?であった、フルヴィオ・オルシーニの宝石コレクション、と説明されている部屋からの紹介です。こちらは、とにかくカメオのようなもの・・・がたくさん!すごく美しい石に彫られたものなど、バリエーションも豊富です。オルシーニさん、ざざっと説明を読んだところ、ファルネーゼ家の所蔵品をきちんと整理、記録していたみたい。(後日解説を真面目に読む気力が出たら追記しますね・・・)。
 場所がナポリのせいか、ここにも結構ティベリウスがありますよ! やはりある意味「地元」とも言えるのか・・・ローマあたりよりティベリウス出現率が高い気がします♪

 というわけで、まずは2つ。これはいずれも、『ティベリウスとリヴィア?』と書かれています。 カメオではなく、『Intaglio(陰刻)』と表現されてました。紅玉髄だそうです。 こういうものが・・・ヴィプサニアと離婚とかさせられていなければ、ヴィプサニアとのツーショットになってたのかなあ。 ・・・ママとのツーショットって、ちょっと微妙ですよね。お母さんがそれなりに権勢を振るっていて、ティベリウス的には面白くなかった、かもしれませんよね(笑)!



     


   ←こちらはラピスラズリのカメオ。これも、ティベリウスです♪

 そして、こちらは・・・No.130 :Agrippa Maggiore(アグリッパ。多分、アウグストゥスの右腕のアグリッパですよね!)縞瑪瑙のカメオ。、No.131:Julia(ユリア、アグリッパの妻(後のティベリウスの妻)の、なんでしょうか?どのユリアか不明です)、No.132:Antonia(アントニア、これまたどのアントニアなんだか・・・?)これらはいずれも玉髄です。



 ここで、再び彫刻に。このあたりは哲学者、詩人??文学者??歴史家??・・・要は文人たちの彫像です。

  この中心は、ホメロス。イーリアスや、オデュッセイアを記した人・・・ということになってますが、そもそもホメロスが実在したかどうか、ってことも確証はなく、諸説あるようです。ちなみに、ホメロスは、イタリア語では“Omero”です。台座のラベルには、よくわからない解説が。『Apollonius of Tyama type 』ですと??アポロニウスって、あの建築家の???意味がわからない。ともかく、紀元前4世紀の終わり頃のギリシャのオリジナルからの、ハドリアヌス帝時代(AD117 〜138年)のコピーだそうです。

こちらは、ソクラテスです。 私は、ありがたいソクラテスの思想などは全く理解していませんが(笑)、彼の妻が悪妻だったらしい、ってことと、彼は美しいものが好きだが、彼自身の見た目は・・・(以下自粛)・・・だったってことが、何となく印象に残ってます。 確かに・・・この像をみると、見た目的には、私の好みでは・・・(以下自粛!)
 解説には、『Type B』と書かれていますが、これまた何のことだか。AD3世紀のコピーで、オリジナルは、BC330年のリュシッポス(Lysippus)の作品のようです。
 

  こちらは、3つともエウリピデスです。『アンドロマケ』、『ヘカベ』、『トロイアの女』、といった、トロイア戦争での女性の悲劇を遺した方ですね。あ、もちろん、他の作品も残されてますよ!! いずれもギリシャBC340 〜330年のオリジナルのコピーで、左はBC23年〜AD14年(アウグストゥスの時代)、真ん中は、1または2世紀、一番右は、1世紀の作品だそうです。



こちらは、『歴史』を執筆した、ヘロドトスです。 BC4世紀のギリシャのオリジナルからの、AD3世紀のコピー。

 ところで、この『歴史』、本は買ったんですけど、実はまともには読んでいません・・・!えっと・・・トロイア戦争のところを拾い読みしただけです(笑)。結構真面目に考察されていて、面白いですよ。「ヘレネがもしイリオンにいたのであれば、(トロイア人もバカではないので)ギリシャ軍に返されたにちがいない」みたいな記述が。確かに〜〜!! そして・・・ここでもヘクトルの評価は最高です♪ う〜ん・・・これを機に、ちゃんと通して読んでみよう!
    

 はい。ここまでは彫刻中心でしたが、ここからはちょっと趣向っが変わってきます・・・!
この博物館、ポンペイやエルコラーノから発掘されたモザイク、フレスコ画が多数展示されているのです。そこで、まずは、モザイクをいくつか・・・。

 こちらは、『プラトンのアカデミア(L'"Academia" di Platone)』。 ポンペイの、『Villa dei T. Siminio Stefano』から出土したみたいです。ただ、綺麗〜と思って写真を撮っただけですが、結構格調高い作品だったのね(笑)!

    

 そして。多分、世の中的にはきっと、この博物館最大の見所のひとつ、アレクサンドロス大王のモザイクです!アレクサンドロスさんは、左のほうで、かろうじて顔と馬が残っている人です。現地で買った本には、「イッソスの戦い(la Battaglia d'Isso)」と書かれていますが、違うことが書いてある本もありますねえ。現地の表示には、「東方征服の戦い(Issus,Granicus,Gaugamela)」というような説明がありました。タイトルは、「アレクサンドロス大王と(ペルシャ王)ダレイオス3世の戦闘図(Particolare coi volti di Alessandro e di Dario)」 元のイタリア語直訳だと、「戦闘図」とは言ってないですが、日本語の解説本にはそう書いてあります。ポンペイの『ファウヌスの家』の居間の床のモザイクですって!!床じゃ絵がよくみえないですよねえ。 ある意味すごいゼイタク!!



ちなみにこれは、想像?復元図。

 これは、解説などは見つけられませんが、綺麗だったので撮りました。演劇用の仮面でしょうね。ゼロナイの、「ポンペイの少女」なんかにも、このような悲劇の仮面の絵が登場していたかと。



 続いては、この博物館の(裏の?)見所でございます! どっかで、「秘密の小部屋」などと紹介されているのを見ましたが、現地では日本語の解説が入手できなかったので、どういう表現が一般的かは不明。イタリア語では、『Gabinetto Segreto(隔離部屋?)』と記載されてます。 ここは性的な表現の作品が展示されているコーナーなんです。
 もちろん、ここにも団体さんは入っていましたし・・・小〜中学生くらいの団体さんも入ろうとしていたんじゃないかな。あくまで、教育の一環なのでしょう。
 また、以前(2011年8月ごろ)、日本でも、大英博物館の古代ギリシャ展で、この手の作品群が展示されていました。その展覧会では注意書きがあって、”古代における芸術、文化としてこれらのものを展示しています”、というようなコメントがありました。 よって、ここでも、(まあ、ちょっとは面白がってはいますが・・・)古代ローマ時代の文化として、いくつか作品を紹介します。

まずは絵です。左は、娼館のメニューみたいなもんです。壁に描かれていたフレスコ画。確か、ポンペイ出土ではなかったかと。他にもいろんなポーズの描かれたフレスコ画があります。客はこれを使って、言葉が分からなくてもサービスを注文できたそうです。(これは、ポンペイでガイドさんから聞いた話です・・・) ローマという、きっと・・・言葉も人種もバラバラな人たちが交錯する社会ならではのシステムなのかもしれませんね。ある意味、現代食堂のメニューと一緒か???(この時代、売春が道徳的に悪いとかいう認識はなかったと思いますので、その点はご理解いただきたいと思います)  右は・・・すいません。解説チェックし忘れました。

   

 下の左は、パンと山羊、です。 え〜〜!パンといえば、ゼロナイのミュートス編でのかわいらしさが印象的でしたが・・・・・でも、実際は、結構こんなかんじのオッサン的に表現されていることのほうが多いみたいです。エルコラーノの『Villa dei Papiri』からの出土品。 右は、詳細不明なのですが、なんか女性が強くて、ちょっと気分いいですね(笑)!!

   

左の写真は・・・水差し?お守り?でしょうかねえ。 それとも、『テルマエ・ロマエ』に出てきた、“ティンティナ ブラム”の一種なんでしょうか・・・なかなかユーモラスな感じです(笑)。ほんとは、作品中に出てきたような形状のものを探したのですが、それらしいものは発見できませんでした。 残念〜〜!! 右も小さな像ですが、これも用途は不明・・・。

   

 ここで、『隔離部屋』コーナーは終了です。  

 続いては、お道具類を。まず左側は、フレスコ画の材料である顔料や道具。う〜ん・・・これではちょっとわかりにくいですねえ。 右側は、ガラス製の食器。 結構綺麗です♪ 埋もれて傷だらけになる前だったら、さぞかし美しかったんだろうなあ、と思います。

   

 
 また突然彫刻が出てきてしまいましたが・・・これは、上階の大広間に展示されている、『Atlante Farnese / Farnese Atlas(ファルネーゼのアトラスってとこですかね)』です。 アトラスが地球背負っています。BC1世紀の作品のAD2世紀のコピー。人類は紀元前から、ちゃんと地球は丸いってこと、知ってたんですねえ・・・。
 この部屋の床には、ローマの、サンタマリア・デッリ・アンジェリ教会にあったのと似たような日時計?暦?がありました。

 続いては、ポンペイやエルコラーノで部屋の内壁を飾っていたフレスコ画の一部を紹介します。
 下は、部屋1つ分の壁画(フレスコ画)ですね。ポンペイの出土だったと思います。(すいません、メモがないです)。こういう、部屋一式の壁面の展示が、いくつかありました。

  

 そして。他にもたくさんのフレスコ画が。イーリアスネタは、かなりたくさんあったみたいですが、その一部しか分かりませんでした。とにかく量も多くて・・・。これらも、部屋を飾っていたものだと思われますが、絵画のように額装(?)されてます。
 左の絵は、ブリセイスを引き渡すアキレウスが描かれています。これはポンペイから出土したもの。二人の間にいるのはパトロクロス・・・のはず。 右の絵はトロイア戦争、確か上のは・・・もはや判別不能ですが、確かトロイア落城のシーンだったかと。→写真資料を見直したら、記載発見!トロイア戦争のハイライト、木馬を街に入れようとしているシーン、とのこと。ポンペイ出土です。下は、楽しそうに踊り、木馬を引きずりまわすトロイ市民。預言者カッサンドラは、松明をもって立ち去っているところだとか。こちらも、ポンペイ出土。

 

 左は・・・確か、ラオコーンですね。二人の息子とラオコーンが、アテナの送り込んだ蛇に絞め殺されてしまう場面です。そして・・・右の絵は・・・わ〜、これ、思い出せません!! オデュッセウスとキルケか、アイネイアスとティドか?????? →とおもったら。全然違うわ〜!この近くに、確かにアイネイアスももあったはずなんですが、写真とってません(涙)。で、これは、といいますと・・・多分恋人同士(・・・てか、不倫だよな〜)のマルスとウェヌスです。ポンペイではよく見られる主題みたいです。 

  

 さあ。これで・・・考古学博物館は最後です!! 左は、アレクサンドロス大王。なんかちょっと、童顔ですね。何となく、他の像とも面差しは似ているので、確かに彼の面影を残しているものなのでしょうが・・・。
 右は、ヘルメス。ヘルメスのシンボル、羽の生えたサンダルを履いています。 これって・・・来年公開の『009 RE:CYBORG』の002=Jetみたい♪ これから、ヘルメスを見る眼が変わりそうです、私・・・

  

 う〜ん。あとになって思い出してみると・・・ポンペイのアポロ神殿にあったアポロンとアルテミス像のオリジナルとかも、全然みてませんでした!!あらら。貸し出し中だったのか、気がつかなかっただけなのか・・・不明。(アルテミスのほうは、以前日本にも来てましたね。)
 ちなみに。 ハンニバルを破った、スキピオ・アフリカヌスの像もあったはずなのですが、こちらは貸し出し中でした・・・残念・・・。




☆ ナポリ湾からカプリ島へ (高速船) ☆


   12時頃にホテルをチェックアウトし、高速船乗り場へ。確か1時頃の船だったのではないかと・・・。 船はさほど混んではなかったですね。で。天気はよいのに2階の客室には上がれず・・・。
 この日、波が高く、船は大揺れだったんです!船内の売店もクローズだし。船の中でワインでも〜・・・というもくろみは見事に外れました(笑)。そして、ビニール袋をもって後ろの甲板?に出る人が何人も! まあ、私は大丈夫でしたが、若干気分の悪くなった母とちょっと外へ出たときに、ちょっと写真を撮りました。後方だったので、カプリ島は見えませんでした。これまた残念・・・。。

 そして、カプリ島・マリーナグランデに到着。 宿泊するホテル『チェザール・アウグストゥス』は、特に事前に連絡していなくても、いつもバンが迎えに来ていて、名前を告げると乗せてもらえます。ただ・・・このたびは、一気に大量の宿泊客がやってきてしまったので、バンはぎゅうぎゅう詰め。 (日本では全然小さくないですが・・・)やはり欧米人と比べると小柄な日本人である私が夫の上に重なるように座って、やっと全員乗車完了。そんな状態で、島の急勾配のヘアピンカーブを上っていきました!!



☆ ホテル チェザール・アウグストゥス (Caesar Augustus) ☆




 アナカプリの町にある、5つ星ホテルです!庭園がゆったりしていて、部屋は明るく開放的。スタッフの方々もとてもフレンドリーで親切。 ・・・そして、今回はほんと、いろいろとすごく、お世話になりました・・・。 部屋は、シービュー。最初に案内された部屋は、角部屋でゆったり広くて、素敵だったのですが・・・なんとバスなし。 そこで、レセプションでお願いして、バス有りの部屋に変更してもらいました!欧米人にはあまり重要ではないバスタブですが、ここは日本人、やっぱりバスタブは必須ですよね〜〜!! (ちなみに、この写真は最終日に撮ったものです。)

 では。ホテルでの風景をいくつか。左は、ホテルの建物とソレント半島。崖っぷちに建っているので、下のほうにも建物が見えます。 そして、右は、このホテルのシンボル、プリマポルタのアウグストゥスのコピーです。何度も書いてますが、オリジナルはヴァチカン博物館にあります!! ただ・・・何かと、この像が使用されていることは多いみたいです。やはり、美術館の中よりは、断然に背景が素晴らしいので・・・(笑)。

  

 なぜわざわざ、大きな街のカプリのほうでなく、アナカプリの、しかもちょっとハズレのこのホテルを選んだのかといいますと・・・。それは、このナポリ湾からソレント半島、そしてカプリ島の東側まで望める風景が楽しみたかったから。初めてのカプリ島滞在の際に、『ジーノズ・コンシェルジュ』に相談して、選んでいただきました。
 左はソレント半島、右の写真では、岩の向うにカプリの街も見えます。そして、いかにも「港」に見えるところが、カプリ島の玄関口、マリーナグランデ。そのちょっと下に見えるサッカー場・・・あのあたりにかつては、アウグストゥスやティベリウスのヴィラの一つである「海の離宮」があったそうで。

     

 チェックイン後、アナカプリの町で遅い昼食を。その後、ちょっと町を散策してましたら、雨がぽつぽつ落ちてきたので、急いでホテルに戻りました。・・・そしたら、部屋についてちょっとしたらもう、大嵐!!!上の写真なんかは、結構いい天気なのに・・・ほんと、この季節、天気が変わりやすいのでしょうか・・・
 そして!ホテルでしばらく休んでいましたら、なんと窓の外に大きな虹が!!しかも、海の上から立ち上ってます・・・! 右の写真は、左の写真の続き、って感じです。大きすぎて近すぎて、全部いっぺんに写らなかったので・・・

 

     虹が出てからも雨は降り続き、夕焼けと霧と虹、という・・・なんともふしぎな光景に!

 そして、やっと雨が上がり夕焼け空。なんだかとっても神秘的な光景でした・・・・・・。遠くに見える島は、イスキア島。

  

 この日、夕食で父が・・・大好きなビールもすすまず、ちょっとヘン?・・・と思っていたら。夜10時ごろ、大変なことに!! レセプションに相談して、救急車にきてもらうことにしました! 病院にいく羽目になるかと思ったら、救急隊員の方が部屋で処置をしてくださいました。 いや〜、父の身体の容態そのものもですが・・・ほんとに悪い状態だったら・・・言葉もあまり通じず、システムも分からない病院に行くのもかなり気が重かったのですが、結果的に処置くらいで済んで、ほんとに助かりました・・・! 

・・・というわけで、怒涛の観光初日は終わり!!



2011.12.06
2011.12.17 ちょっと加筆
 

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