その1から続く
☆ ナポリ湾(Golfo di Napoli) の眺め ☆
ガイドさんにまず連れられてきたのがこの景色を望む丘の中腹。 駐車スペースのあるちょっとした展望台のようなところでした。ここでやっと、港で買ったパニーニを食べることができました(笑)。
遠くにヴェスヴィオ山、その手前で海に張り出して見えるのが卵城、手前の小さな船がたくさん停泊しているのがメルジェッリーナの港です。 あの、「ナポリを見て死ね」の風景が、このあたりからの眺めなのか、それともホテル近くのヴォメロ(Vomelo)の丘(ホテルはこの丘の中腹?あたりのようです)なのかが、よくわからないのですが。いずれの風景も素晴らしいものです!
ちなみに、ヴェスヴィオ山は、ヨーロッパ大陸唯一の活火山だとか。 現在は2こぶの山に見えますが、これは79年の大噴火のためというのは有名な話。で、私は、噴火で真ん中が吹き飛んだのかと思っていたのですが、どうも噴出物が降り積もって2つ目の山(外輪山というかんじらしい)ができたのだとか? 狭義では、この外輪山のほうは「ソンマ山」というのだそうです。
あの「アエネーイス」を執筆したウェルギリウスの墓がこの展望台から近い場所にあるようなのですが、残念ながら今回見に行くことはできませんでした。 ちなみに、ウェルギリウスはナポリに住んでいたそうで、魔法使いとみなされていたとか??
☆ 卵城 (Castel dell'Ovo) ☆
1139年に、南イタリアを支配下においたノルマン王ルッジェーロ2世によって築かれた要塞。古代にはメガリスと呼ばれた島だったようで、前1世紀の大富豪ルクルスの別荘の廃墟に5世紀に修道士が住み着いていたそうです。 ルクルスの別荘といえば・・・豪華で趣味がよいイメージですね。確か、戦利品の美術品なども飾られていたんじゃなかったでしたっけ? ミセーノの別荘には、ティベリウスも好んで滞在したようですが、もしかしたらこちらの別荘にだって滞在したことがあったかもしれませんよね? そんな別荘跡でもあれば面白いだろうなあ、と思ったのですが・・・残念ながら、残っていないか、もしくは見学不可のようです。
なぜ、「卵」城なのか・・・いろいろと伝説があるみたいで。本にでているのは、城のどこかに魔術師ウェルギリウスが卵を隠し、これが無事なうちはナポリは安泰といわれていた、というもの。ガイドさんは、地震計みたいな使われ方をしていたのかも?とおっしゃってましたね。このほか、上からみると卵のような形をしているから、という説もあるようで。
左の写真は、卵城の手前、城に向かって左側の港。これが、かの有名な「サンタ・ルチア(Santa Lucia)港」です。 このあたりには、海鮮レストランが軒を連ねてます。 一方、右の写真は卵城の中。エレベータで上のほうに上がってから展望台?方面に歩いてるところです。城の中が町みたいになっているんですね。全然規模は違いますが、ちょっと、フランスの「モン・サン・ミッシェル」を思い出しました。ちなみに、このエレベータにはタダで乗れました。
下左の写真は、何やら発掘だか修復だかの途中といった感じですかね。ルクルスの別荘跡とかではないんでしょうかねえ。そういった遺跡も発掘して、見学できるようにしていただきたいものです! 右の銅像は、発掘品のようですが、詳細は不明。
そして、開けたところにでてきました。これ、展望台というのか、屋上っていうのか、テラスというのかよくわかりませんが・・・ともかく、広いところです(笑)。
ここの特徴は。大砲が、海ではなく、陸に向かって設置されていることです。 複雑なこの街の歴史を端的に示しているのですね。 この地を治めてきた王たちは、宮殿ではなく、このような城の中に宮廷を構えたのだそうです。それは、彼らはいわば「よそ者」であったため、権威を誇示して威圧するとともに、自らの安全を確保するためであったとのことです。 |
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そして・・・なんと、ここで、ウエディングの記念写真を撮影しているカップルがいたのです! 遠くにソレント半島と、そしてカプリ島が見えるテラスにて・・・スタッフさんたちが上のほうに何人もいて、結構大がかりな感じ。 ガイドさんによると、新郎の衣装は警官かなにかの正装だとか。結構、こういう職場の正装で式を挙げる人は多いそう。 いや~かっこいいです!絵になってます・・・!
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なんかもう、スターの写真撮影みたいな気合いの入りようです(笑)。 でも、絵になるから許せちゃう!
ここで、卵城見学は終了です。 |
☆ ウンベルトI世のガレリア (Galleria Unberto I) ☆
有名な、ミラノのガレリアの20年後、1890年に建設されたもの。イタリアが統一された後なんですね・・・。 コレラが流行した後に、この地のスラム街が撤去されて建築されたのだそうです。ちなみに、ドームの高さは58m。 こちらは、ホテルから見えるガレリア。真夜中も中から光が漏れて美しかったです。 ちなみに、ガレリアの奥は船みたい。夜中にも、明け方にも船の行き来は見えました・・・。
こちらは、ガレリアの内部。左の写真の、ガレリアの向こうは、イタリア4大歌劇場のひとつ、サン・カルロ劇場。1737年、ブルボン家のカルロ王の聖名祝日に落成した、イタリアで最も由緒ある、最も豪華なオペラ座・・・なのだそうです。 いつかここでオペラでも鑑賞したいですねえ・・・。
右と下は、ガレリア中央の床のモザイク。12星座が花びらのような形のなかに描かれています。右は夫のてんびん座、下左は父のおうし座、そして下右は私と母、(あと妹も・・・)のかに座です。 |
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こちらは、外から見たガレリア。右の写真は入り口がよくわかりますね。中も入り口も、「商店街」というには豪華すぎる作りです。そういえば、海外のガレリア、って、結構、洒落た造りのものが多いような気がします・・・。
☆ プレビシート広場 (Piazza del Plebiscito) ☆
ヴァチカンのサン・ピエトロ広場によく似た広場。正面は、サン・ピエトロ広場と同様に半円形の列柱を持つ教会(聖堂と教会、って厳密にはちがうのかもしれませんが)が鎮座しています。これは、サン・フランチェスコ・ディ・パオラ教会(San
Francesco di Paola)。広場のほうは、ナポレオン統治下の1809年にナポリ王ミュラが“王宮前を市民のフォーラムにしよう”と言い出して建築が始まったのだそうですが、その後ミュラは失脚、銃殺されてしまったそうです。その後、スペイン系ブルボン王家のフェルディナンド1世が王位に復帰しましたが、広場の建設は続けられたそうです。一方、教会のほうは、フェルディナンド1世がナポレオン追放を祝うために建てた教会で、1817年着工、1846年に完成したそうです。
教会と向き合っているのが王宮。建築家・ドメニコ・フォンターナにより1600年に建設が開始されたようなのですが、工事は何度も中断し、王家がここに住んだのは1734年になってからなのだそうです。 写真の旗があるあたりの部屋が玉座の間らしいです。そして、この建物の裏は港に向いているのですが、そちらはプライベートゾーンだとか。
ファサードには、ナポリを治めた王8人の彫像が飾られたそうです。(今飾られているのもそうなのかな・・・?)この辺も歴史をきちんと学んで一つ一つ見てみれば、楽しそうですね・・・。 宮殿内の見学も可能なようですが、もちろん今回はそんな時間もなく、外から眺めて終わり。
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☆ カフェ・ガンブリヌス(Caffe Gambrinus) ☆
カフェ飲むわけでも、お菓子を買うわけでもないのに、わざわざ立ち寄ったので、一応名所らしいです。ナポリの由緒あるカフェで、内装は1800年代のままだそうです。 オーストリアのあの、エリザベート妃も訪れたことがあるようで、下右写真のように、何やら説明パネルが掲げられていました。当然、読む時間はなし(苦笑)。 いや、どうせイタリア語読めませんが!!
そして、たくさんのドルチェですね。たぶん、左写真の右下にあるのが、ババ、右写真の上にあるのがスフォリアテッラで、いずれもナポリ名物。
☆ カステル ヌオーヴォ (Castel Nuovo) ☆
こちらも、卵城に引き続き堅牢そうな「城」です・・・。 カルロ・ダンジョー(フランス、アンジュー家の方で、フランス名はシャルルなんですって)により建設され、1282年に竣工したそうです。 ロワール地方のお城と作り方が一緒?とか。そういわれてみれば、そんな気も・・・。 この建物のグレーの石はパペルノ石、黄色は凝灰岩(トゥーフォア)だそううです。凝灰岩はナポリの地盤を形成している岩で、柔らかく加工しやすいのだそうです。
正面の白い部分は、アラゴン家のアルフォンソ王が1442年にナポリを陥落させた後に、王の凱旋と有徳を讃えるために造らせた凱旋門。この距離では何がなんだかさっぱりわかりませんが、一番上の彫像は私も好きな(笑)大天使ミカエル、その下の4つの像は、「四徳の像」、すなわち「節度、剛毅、厚生、雅量」を表した寓意像、上側+のアーチの下はアルフォンソ像の凱旋行進、下のアーチ上はナイルの神、という構成になっているそうです。
ナポリ王国の歴史も複雑で、王家がコロコロ入れ替わっているので、ちょっと資料の眺め読みでは理解できません(笑)。
ちなみに、ここも中に入るのは可能なようでしたが、残念ながら、やはり時間はなく、通り過ぎただけです・・・。
これは、城の裏側です。 ・・・カプリからの高速船が到着した港から撮りました。 ほんと、「要塞」って感じです・・・。 |
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☆ サン・ロレンツォ マッジョーレ教会(San Lorenzo Maggiore) ☆
私と夫にとっては・・・一番の見どころ!・・・ですが、ガイドブックには出ていませんし、現地でもらったパンフレットは英語/イタリア語・・・。なので、ここから、きわめて怪しい解説が続くかもです(笑)。 もちろん、この教会の存在を知った日本語の本はありますので、それをまずはよりどころにしたいと思います。
この教会、教会の中も本当は見どころがあったようなのですが、今回の目的は・・・「地下」。正確には、教会に隣接する修道院の地下、らしいですが・・・ここに、古代ギリシャ、ローマ時代の街並みの遺構があるのです!
まずこちら(上の写真の下のほう)が入り口です。17時までに入場しないといけなかったらしく、ガイドさんに必死でついて歩きました・・・!どこで車から降ろされ、どこを歩いたのかはもう、さっぱりわかりません・・・。
教会は、ローマ帝国時代はフォロであったガエターノ広場(Piazza S.Gaetano)に建っています。司教(?)ジョバンニII世によりサン・ロレンツォに捧げられたようです。そして、教会部分は1270年から1300年の間に、フレンチゴシック式に改築されたようです。 |
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左の写真は教会内の回廊部分。その隅に、何やら跡?遺跡?が見られたのですが、これが何かはわからないといわれました。
こちらは地下への入り口近くにあった模型。昔はこういう感じだった、ってことだと思うのですが・・・。現在の建物は透明パネルに描かれているもののようです。 |
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さあ。地下に入ってきました! 地下の歩く高さのさらにその下にも、このように遺跡が見られます。一番下はギリシャ時代、その上の層はローマ時代の遺跡らしいです。
右側の写真説明の立て看板ですが・・・一番左がイタリア語、隣が英語(米語ではない)、そして右がフランス語です。ヨーロッパの資料は、こういうのが結構あります。英語パンフや表記はあくまで「英語」ユニオンジャックのマークであり、決して星条旗ではありません~♪
このあたりは、このように目の高さより下に遺構が見られます。ちょっと詳細不明ですが・・・。やはり、「一番下はギリシャ時代」を信じると、これらはギリシャ時代のものなのかなあ???
しばらく歩いていくと、目の高さに遺跡が。このあたりは、ローマ時代の商店街だそうです。左の写真、ベンチみたいになっているところは、商品を並べるところだったとか。右の写真は、建物の明り取り、通気口・・・だったっけかな??
ちなみに、このあたり。石がナナメの網目状に組まれています。これは、オプシウム・レティウスといい、ローマ時代に入ると出てくる方式なのだそうです。力が分散されて、耐久性があるのだとか。なるほど。
奥に行くと、邸宅跡が。ポンペイにあったような、アトリウムの跡がありました。
神棚跡の説明もあったのですが、それがどの写真かわからず・・・。やはり日がたつと記憶が怪しくなって、駄目ですね・・・。穴のところ、とメモに書いているんですが・・・わからない。もしかしたら、の候補の写真を下に二つ載せておきます(苦笑) |
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そして、床のモザイクや、壁のフレスコ画の跡も少し残っていました。 ほんと、結構裕福なお宅だったのでしょうね・・・。
そして、地下の旅が終わり、外に出てきました。入り口はこの写真では右下のところ。正しくはきっと、右側の建物が修道院で、黄色い建物のほうが教会本体なんでしょうね。 教会のほうも見どころがあるようですので、ご興味のある方は是非訪ねてみてください・・・。 |
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ちょっとおまけですが・・・こちらは、サン・ロレンツォ・マッジョーレ教会の反対側にある、サン・パオロ・マッジョーレ教会です。正面に大きな2本の柱がありますが、これは、昔ここに建っていた双子神ディオスクロイ(カストルとポルックス)の神殿の円柱が再利用されているのだそうです。 |
☆ プレセピオ ☆
イタリア版クリスマスツリー、といったところなのでしょうか・・・。イタリアでは、クリスマスを祝う際に、キリストの生誕を再現したドールハウスのような「プレセピオ」を作るのだそうです。 ナポリの人は、とりわけこれに愛着を持っているのだとか。 教会の横の通りには、このプレセピオの完成品や材料のお店が並んでいました。
こちらは、飾り付けられる前の家。結構立派です! ここに家具や人形を並べたりして、素敵に仕上げていくのでしょうね・・・! まあでも・・・結構な大きさです。 我が家には置けないなあ(笑)。 |
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これが、通りのお店。この界隈は、プレセピオ用品のお店が軒を連ねています。 時間があったら、もっとゆっくり眺めたかったです・・・。 |
☆ ドゥオモ (Duomo) ☆
・・・ドゥオーモとは、イタリアで街を代表する教会堂のこと。ナポリでは、これがそうです。ナポリ大聖堂、とも表記されてます。 ナポリの守護聖人、聖ジェンナーロ(ラテン語でヤヌアリヌス?)に捧げられたものです。 シチリア王シャルルI世により建築が開始され、完成は14世紀初期とのこと。
おそらくはほかの守護聖人もそうなのでしょうが、この聖ジェンナーロさんにも、さまざまな逸話が残されています。・・が、まあ、キリスト教徒ではない私が解説してもしょうがないのでここでは省略します。 ・・・ともかく。ジェンナーロは最後斬首されたそうですが、その際に乳母が血液を小瓶に集められたそうで、この小瓶がここに収蔵されています。 なんでもこの血液は、1)聖遺物がナポリに戻った5月第1日曜、2)聖人の殉教記念日の9月19日、3)聖人のご加護に感謝する12月16日、の年に3回融解するのだそうです。 科学的にはとても信じられないことですが・・・・・・。 (⇒そしたら、Wiki・・・で科学的説明がなされてました。ナルホド) ともかく。溶けてから1週間くらい、信者がこれを拝観(というのか?)することができるそうです。
とりあえず、まずは正面。彫刻は建設当時のオリジナルだそうです。この写真では全然わかりませんが、マリア様と、あと、平和のシンボルの鳩が飾られています。 |
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こちらは、聖堂の右側にあるジェンナーロの礼拝堂で、後から作られたものだそうです。ナポリ市の評議会員の寄付により1527年に建立されたとか。
左の写真、これは礼拝堂の正面ですが、真ん中の彫刻が聖ジェンナーロ。それから、手前左側にある像も聖ジェンナーロです。ガイドさんによると、この像の中には彼の骸骨が入っているとか??? ちなみにこの像、銀の表面に鍍金されているそうなのですが・・・それはなぜかというと、聖ジェンナーロはどうも「黄色い顔」をしていたようなのです。それで、「ファッチャ ジェッラ(黄顔さま)」と呼ばれてそうです。黄色い顔、ってことは・・・おそらくは、オリエントのほうの人だったのでは?とも言われているようです。
右は、礼拝堂右側に飾られていた聖ジェンナーロさんの絵。少々東洋人っぽさがあるかな~、という気もしないこともなく。
こうして、駆け足のナポリ観光はおわりました。 この日の晩は、(ナポリの街中に繰り出すのが怖かったってのもありますが・・・)ホテルのリストランてで夕ご飯でした。結婚した年のワインを飲もうとしたら、ソムリエさん(っていうのか今となっては不明・・・笑)の粗相で澱が舞ってしまい、結局2年後のワインを開けなおしていただいて飲みました。(・・・デキャンタージュするとかして飲めない??って言ってみたんですけどねえ。もったいない・・・・・・) ともかく。イタリアの高級銘柄ワインの十数年ものが日本では考えられない値段で飲めたのですからすごいです! やっぱ、高級ワインは現地で飲んだほうがお得です♪
以上で、今回の観光の記録は終わりです。・・・が、番外編で、ホテル(修道院だった建物をホテルに利用しているらしいので)と、ヴェスヴィオ山の写真を紹介したいとおもいます。もう少々お付き合いください・・・。
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