2日目(22日)

** この日の観光コース **

ヴィラ・アドリアーナ

 テルマエ・ロ○エが公開されたのちの2013年版のガイドブックには、結構親切にアクセスの解説が載っているようですが、
近年ガイドブックなるものを購入していないせいもあって、なかなか危なっかしい旅になってしまいました(笑)




☆ ティボリ(Tivoli)へ ☆

 地下鉄B線(A線と比べて汚い電車が多く、治安も悪そうな路線です)で、Ponte Mammoloで下車します。いわゆる駅の出口は階段を下に降りるのですがティヴォリなどへ行くCOTRAL社の(たぶん)、中・長距離バス乗り場は、ホームから続きの出口から外にでたところにあります。
 私たちは、それがわからなかったのと、トイレに行きたかった・・・とか、朝ごはん食べたかった・・・とかの理由で、下に降りてしまいました。下には路線バスの乗り場などありますが、こちらではないのでご注意!! ちなみに。この時、駅のトイレは使用できませんでした(涙)。駅のトイレはあてにできない!! なお、COTRAL社のバスチケットは、下のBarで購入できました。ほかにも売り場があったのかもしれませんが・・・。

 COTRAL社のバスは市バス、路線バスとは異なるように思ったのですが・・・でも、座席指定とかではなく、座れない人もいっぱい。しかも、バス停の目印もない途中のバス停で人が乗ってきたり、降りていったり。ほんと、システムがわかりません!

 おそらく地元の人のほうが多かったのではないかと思うのですが・・・結構満員のバスは、ローマ(の既に郊外・・・でしょうが)、そこから町を抜け、Tivoliの町がある丘の上に向かってどんどん登っていきます。途中には、ローマのあちこちの建造物に使用されたであろう、トラバーチンの石切り場がありました。残念ながら、写真は撮れませんでしたが。 

 その代わりといってはなんですが・・・バスの中から撮った、丘の中腹からのふもとの眺めです。手前はたぶん、オリーヴ畑!イタリアらしい風景・・・ですかね♪

 本当は、途中のバス停で降りて歩く、という選択肢もあるのですが・・・私たちは、バス停の場所がわからなかったので、Tivoliの町でバスを乗り換えることにしていました。 しかしそれでも、降りるバス停はよくわからず(汗)。 そうすると、一緒に乗っていたお客さんが、「Villa Adorianaに行くなら、ここで降りなきゃダメよ!」とかなんとかいうことを言って、半ば無理やり降ろされました(笑)。

 Villaでお昼が食べられるように思えなかったので、まず町のBarで早い昼食(&トイレ(笑))を。 そして、いよいよVilla行のバスに乗ろうとしましたが・・・それにはチケットが必要!現金支払いは不可で、チケットがないと、バスに乗せてもらえません!! 
 私たち、そして他にも途方に暮れた人たちは・・・仕方がないのでバスを見送り、道の反対側の(ローマからのバスを降りたところの近くの)売店でバスのチケットを買いました。 そして、あとはひたすらバスを待ちます。何しろ時刻表らしきものも見当たらず、いつバスが来てくれるのかもさっぱりわからないのです。




☆ ヴィラ・アドリアーナ(Villa Adoriana) ☆


 やっと着きました! バスの着いた小さなロータリーの端に売店やチケット売り場があります。ここででチケットを買い、敷地の中へ。下の右の写真が、入り口です。 なお。中には食事をするところはありませんでしたが、このロータリーの端っこに小さなお食事処??う〜ん、リストランテ?バル??みたいなところは、一応ありましたよ! 

 Villa Adorianaは、ハドリアヌス帝が、2度の帝国内視察をした際の思い出深い場所をちりばめ、作り上げた別荘です。・・・というより、この規模はひとつの町です! 当然ながらハドリアヌス帝の趣向が色濃く現れており、ギリシャやエジプトなど、彼の愛したところの印象をもとにアレンジが加えられて構成されているようです。 「皇帝の歴史(Histria augusta)」の著者の一人であるヘリウス・スパルティアヌスが、思い出の場所をリストアップしているそうですが、現在残っている中で確認できているのはカノープスのみで、他の名称は、そのほとんどがルネッサンス以降の研究者たちの呼びならわしだそうです。
 広さは、資料によって違いますが、126haとも、300haとも書かれてます。どこまでをヴィラの範囲としてみるか、によって異なるのかも。このヴィラの建築やその後の維持、管理のために、近隣の町ティブル(今のティヴォリ)も栄えたそうです。 着工時期は、建築に用いられたレンガの刻印から判明しているとのことなのですが、現地で購入した資料では118年、「ローマ人の物語」では、123年と書かれています。ともかくそれから、134年まで(これは現地資料の記載)の長い時間をかけて、この別荘は完成したようです。巡航の先々から、ティヴォリにアイディアを送り続けたのであろう、と塩野さんは書かれています。
 
 建物だけでなく、このヴィラの中に飾られていた彫刻などの美術品も、量、質ともに素晴らしかったようです。今は、世界各地に散逸してしまったようですが、それでも、かなりの数の作品をローマ市内の博物館で見ることができます。
 そしてハドリアヌス帝がなくなったのはその4年後。 頑張って理想郷を作り上げたものの、あまり別荘を楽しむ時間はなかったのですね・・・。

     

 柵の中へ入ってから、なだらかな坂を登っていくと、Tivoliの町が遠くに見えてきます。いいところですね・・・。    
    結構歩いたような気がします。すると、城壁のようなものが見えてきます。結構高い! 高さは9mあるみたいです。
 Villaの入り口の手前に小さな建物があり、その中にはVillaの説明や模型が展示されています。ほんとに広大!これは確かに、カプリのティベリウスの別荘なんて霞んでしまう規模です!
(そういえば、テル○エ・ロマエでルシウスもあまりの規模にびっくりしてましたよね。)

   


☆ ポイキレ( Pecile) ☆

    

  壁の一部に穴があけられたような入り口から入ると、目の前に広がるのが、この“ポイキレ”です。大きな池、ですね。でもこれ、傾斜地に作られているので、しっかりとした基礎が必要だったそうで、この基台の下(おそらく写真では正面から右側方向)に、使用人の部屋があるのです。「百の小部屋」と呼ばれているようです。
 実際にはこの池を囲むように柱廊が存在していたようです。結構広い池ですから・・・圧巻だったでしょうね・・・!!! この別荘の玄関にあたる建物のようで、ハドリアヌスがアテネの色鮮やかなポイキュレー(柱廊に囲まれたアーケード)に感銘して建設したものと考えられているそう。(競馬場だった、という説もあるとか・・・) 
 そして、右の写真は、入り口から向かって左側方向を眺めたもの。海の離宮などは、この方向です。私たちはこちらの方向から見学することにしました! 

 →入り口、塀の外側の写真は撮り忘れてしまいました(苦笑)が、塀の内側はこんな感じです。この向こうに哲学者の間、そして海の離宮が。    


☆ 通称・海の離宮/島のヴィラ("Teatro Marittimo" o Villa dell' Isola) ☆

 ここは、雰囲気的には、テルマエ・ロマエにも出てきたところですね!今は廃墟のようですが、なかなか素敵なデザインであることが私なんかでも容易に予想できます♪ この風景を撮ってすっかり安心していたのですが、島の中に小さな建物が建っており、噴水を配した中庭を中心に部屋がいくつも並んでいるのだそうです。この跡の写真は撮ってないです・・・残念〜!周囲の回廊の柱は、(写真では小さくて見えませんが)イオニア式です。 用途などは不明のようですが、いろいろ研究者たちの想像をかきたてているようですね。

    


☆ 通称・哲学者の間(Sala del Filosofi) ☆

     名称は、通称、俗称のようで、実際の用途はあまりはっきりしていないようです。半円形のエクセドラはやはり、洒落てますね。 
 でもそれにしても・・・カノープス以外は通称だ、といいながら、解説本でさらに「通称」が書いてあるのと書いてないのがまたあるですが・・・それはなんでなんでしょうか・・・?


☆ 通称・図書館 (Detto Bibliotecha Greca/Latina) ☆

 通称図書館、ですが、実際の用途は不明、もしくは実際は夏用の食堂、などと本などには記載されています。そのせいか、現場の表示は
     TRICLINO ESTIVO A TORRE
     DETTO BIBLIOTECA
GRECAもしくはLATINA
と、併記されてます。
 同じつくりの建物が二つあるので、ギリシャ語図書館、ラテン語図書館、と通称されているようです。
こちらは、GRECAのほう・・・を、横から見てる感じじゃなかったかなあ、と思います。(何しろもはや1年近く前になってしまったので、記憶が・・・・・)
   
     地面に転がっていた敷石。おしゃれな模様ですよね。「テルマエ・・・」でルシウスが、トイレの床の模様までセンスがよいことに感心した(そして自信を喪失していたのですが・・・)シーンが思い出されて、思わず写真を撮ってしまいました!
 こっちは
     TRICLINO ESTIVO A TORRE
     DETTO BIBLIOTECA LATINA
表記は、右側の四角いパネルにされていました。

 このあたりは、皇后サビーナのための施設、という記載も見られますが、どうなんでしょうかねえ。詳細は周辺も含めた発掘が進まないと解明されない、とも。
   

☆ ? ☆

      とっても情けないことに・・・ここが何なのか記憶をたどっても、本を見ても、よくわかりません・・・    


☆ 客間(Hospitalia) ☆

    

 中央は広いスペースがあり、その両側に、やや狭い部屋が並んでいます。3人用の寝室とのこと。狭いせいか、本には、「賓客というよりは、役人の宿所であったのだろう」と書かれています。でも、それぞれの部屋の床のモザイクはすべて異なる模様で、なかなかに凝ったものです。 下にその一部をご紹介します。「3人用」ということは、くぼみのような形状のところにそれぞれ寝台をセットするような感じでしょうか。

    
    
    
 小さい写真だと分かりにくいので、一部拡大も載せておきます!モノクロですが、なかなか美しくて繊細だと思いませんか??
  


☆ 皇帝のトリクリニウム(Triclinio Detto Imperiale ) ☆

       要は、食堂、ですね! 結構広くて立派です・・・。ハドリアヌス帝は大食漢、大酒飲み7だったようですから、ここでのディナーでは、大ご馳走が並んだんでしょうか・・・


☆ テンペーの楼閣 (Padiglione di Tempe) ☆

  ここは、ハドリアヌス帝が、「テンペー谷(ギリシャ本土テッサリアの聖地だそうです)と名付けた景色を愛でるための楼閣、だそうです。 なるほど、開けて気分がよい、素敵な景色です♪ 
 ・・・とおもったのですが。本には、「ここのテラスから見える光景は、残念なことに当時の素晴らしさを残してはいない」だそうで。 いったい、どんな景色だったのか・・・?

   


☆ 宮殿のペリステュリウム(Peristilio del Palazzo) ☆

    

 何となく記憶は微妙・・・ですが、写真を撮った順番、表示板の記載から、このあたりは、「宮殿のペリステュリウム」で大丈夫と思います。まあ、その周辺も含んだ風景、と思われますが。    


☆ ドリス式柱の間 (Sala dei pilastri dorici) ☆

 ここは、入念な修復が行われたようですね。現地購入の本にも説明があります。「ヴィッラ・アドリアーナに特徴的な、主に曲線を利用したラインを持つ、あかぬけた空間である。柱と周壁の間を走る半円形の天井や、またぐっと高さを増した結果、ドリス式の概念を根底から覆すことになった柱に、ハドリアヌス帝の英知が感じられる。」だそうです。(ちょっと日本語が変なような気も・・・。 別の本に、その元と思われる英語の表記があったので、和訳の問題でしょう。)

    
   
 反対側から撮ると、こんな感じ。かなり広いスペースです。そして柱の根元だけ、ちょっと残っています。 
 ここはバシリカ様式になっていて、司法業務が行われていたらしい、です。






☆ 消防士宿舎(Caserma dei vigili)

 ここは、ちょっと狭いスペースですね。別の本には、近衛兵のための兵舎、と書かれてました。Casermaが兵舎、宿舎、vigiliは警官、の意味。まあ、どっちもどっちな和訳というところですか。ともかくスタッフ用の宿舎で、それゆえ、少々狭い造りなんでしょうね。
 わざわざここを撮ったのは、ちょっと建物の構造を理解しやすい部分があったためです。右の写真、コンクリートの柱の回りに大理石(もしくはトラバーチン?)の板が張られているのがわかります。こうやって、比較的豪華な雰囲気を、安価に作れるのですねえ。

    


☆ ニンファエウム(泉水堂)(Ninfeo) ☆
    
    

 “泉水堂”というものをイメージできるものは何も・・・見当たらないのですが。 噴水とか、水を感じるようなものがあっても??と思うのですが・・・
 真ん中へんの金網の下には、通路のようなものが見えます。 ここに限らず、このヴィラには地下通路が張り巡らされているようで、召使たちや、建築の作業員や物資の運搬などにもちいられていたようです。 もちろん、自分やお客さまの素早い移動にもつかわれたのではと本には書かれてました。
 ここは、結構壁が高く残っていました。あまり広いスペースではないので、若干圧迫感も。
   


☆ 養魚池(Peshiera) ☆

     これまたでっかいところです!真ん中のプールに水が張られている写真もあったのですが、今は残念ながら空っぽです(涙)。 これだけでっかいプールだったら、たっくさんのおさかなが育てられそうですよね。
 ここも、周囲には天窓を持つ地下通路が巡らされているのだそうです。



 ☆ ?  ☆

 これは、場所はわかるのですが、特に名称がつけられていないよう。でも、何の跡だかわかりませんが、何やらきれいだったので・・・ 
 この左側にちらっと見えるのが、大浴場。(後で出てきます) そして、手前のほうには、なにやら地下通路のようなものも見えますね。

   


☆ 通称・近衛兵の宿舎(Pretorio) ☆

    

 Pretorio、というほうが、先の消防士宿舎よりも、より「近衛兵」の宿舎に近い気がします。結構巨大な建物ですが、下層は倉庫で上層が宿舎であったようです。
 そして、その斜め前が、次に紹介する大浴場です。(右の写真の右側) プレトリオの前の広場(赤っぽいほう)は、浴場の運動場のようです。

 

☆ 大浴場(Grandi Terme) ☆

    上のPretorioとほぼ同じ写真ですが、こっちは残っている建物が中心に入ってます。 
 今はむき出しの白い床のところにも、昔は建物があったっぽいです。
そして、矢印のあたりが冷浴室(Frigidarium)とのことです。
柱の下には、下右の写真のようなくぼんだスペースが。浴槽みたいなものかなあ、と思いながら写真を撮りました。

 下の写真は、冷浴室の内部です。とにかく、大きいですよね、お風呂と思うと(笑)。 右は、左の写真の床部分。周囲の床よりも少し低くなっています。なので・・・浴槽かな、と。

     

 下左の写真は、冷浴室の床の中心あたりにあった排水口らしきもの。右は、上写真の向かい側にあったものだったと思うのですが。記憶はあやふや。やはり床が低くなっており、こちらも浴槽かな?

     

 ここも大浴場の一部だったと思うんですけどね。今となっては詳細不明。

    


☆ カノープス(Canopo) ☆


 やはりこのヴィラのハイライトでしょう・・・!ということで、今回一番の大きな写真です(笑)。カノープスは、別荘内で唯一名前がはっきりしたもののようで、エジプト・アレキサンドリアの近郊にあった町の名前に由来するのだそうです。この池は、運河を模したものなのだとか。

 大浴場の見学を終え、そこからさらに先に進むと、目の前に大きな池が現れます!ここで気分はぐぐっと盛り上がります♪
 このちょっと高い丘?の上から池を眺めながら、奥のほうに歩いていき、そこから写真を撮ったのが上の大きな写真です。このあたりから、ちゃんと下に降りることができます。
 そしてその場所あたりはかつて  神殿ではといわれていたことがあるそうですが、お手洗いが発見されたりしたのでそれは違うということになったようです(笑)。結局、トリクリニウムという説が有力? ちなみに、右の写真では、そのトリクリニウムは一番奥のドーム状のところです。
   

 池の対岸に設置されている彫刻。これは石膏?コピーで、オリジナルはこのすぐ近くの博物館にあります。 中の4体の女性像は「カリアテューデ(Cariatidi)」というらしく、アテネの彫刻のコピーのようですが、本家の彫刻より保存状態はよいようです!(パルテノンの横っちょの神殿?に残ってる像かなあ、と思いますが未確認です)


 そして手前側の柱廊が残っている部分がこちら。マルス像、(たぶん)ミネルバ像と、そして、ワニ!!ワニさん、実は後ろに回ると鉄骨が見えてます(涙)。もちろん、これもコピー。 あと、本当は、メリクリウスも建っていたようです。

    

 池の手前に転がっていた(笑)、ファサードにでも飾られていそうな彫刻。

    


☆ 博物館(Museo) ☆

      確か昼休み時間があったので、しばらく博物館前で待つはめになってしまいました。 ご見学されるかたは要注意!
 夏休みのせいか、イベントとしてアンティノウス(イタリア語だとアンティノー)の企画展をやっていました。 もともとはこの辺りで発掘されたものの、他の博物館に収蔵されてるようなハドリアヌスやアンティノウスの像が(日本式での)1階に集められていました。 ただ・・・残念ながら、この博物館、写真撮影が不可だったんですよね。よって、「美しさならば完璧」ながらも、「ゼロとしてもよいほどの知性の欠如」と塩野さんの表現した、素敵な彼の像をここで紹介することができません・・・
 博物館の2階は、カノープス周囲の彫刻のオリジナルなど、常設の作品が展示されています。中からは上がれず、一旦外に出て裏に回って2階フロアに入ります。
 ちなみにこちらは、博物館裏のオリーブ林に立っていた巨大なオリーブの木。この大きさからすると、もしかするとハドリアヌス帝のご存命のころから生きていたのかなあ・・・と。
 ちなみに、博物館の建物自体も、遺跡として残っていた建物を利用しています。壊したりさえしなければ、今でも立派に使用できる、ってことですね!
    
    

☆ 小浴場(PiccoleTerme) ☆

     こちらは、おそらくは女性のための施設だった、とのこと。小ぶりながら、建築的にはいろいろ斬新なつくりとなっているようです。この写真1枚では、ちょっとよくわかりませんが (笑)。 


☆ 玄関ホール (Vestibolo) ☆

 正確には、この出入口の向こう側がそうなんでしょうね。広々としていそうです。そのまた向こうには車廻しもあったようです。    


☆ 百の小部屋(Cento Camerelle)と、アンティノウスの墓苑 ☆

 これは、カノープスのほうから、入り口入ってすぐのポイキレ方向に向かう途中で撮った写真です。台地の下に部屋が作られているのか、屋上に庭園が造られているという方が正しいのか、よくわかりませんが・・・。ともかく、ポイキレの池が、建造物の上にあることになります。 部屋のほうは、奴隷、使用人のためのものだったようです。 
 そして、その百の小部屋の前あたりが、アンティノウスの墓苑なのだそうです。 ただし、これは未完成だったようで、本来なら墓苑に飾られるはずのアンティノウスの像が百の小部屋のなかから発見されたとのこと。 このアンティノウスの像は、ヴァチカン博物館に所蔵されています。それを紹介したのがこちら→。 墓苑は、近年になって発掘されたようです。
 ちなみに、手前の石が敷き詰められた道のようなものは車廻しのようです。 この車廻しやアンティノウスの墓苑は、現地購入の資料には載っていません。 発掘されたのが最近(でも具体的にいつかはわかりませんが・・・)だからかもしれません。

     


☆ 3つのエクセドラを持つ建物(Edificio con tre esedre) ☆

 ここは宮殿の入り口部分であったと考えられているようです。 でも、用途は不明・・・。本の解説には、「ハドリアヌスがローマ建築にもたらした新たな工夫を見ることができる。」とあるのですが・・・すみません、その素晴らしさを理解することはできませんでした(涙)。

    


 そしてポイキレまで戻ってきて、入り口のあった壁に突きあたります。ここは入り口とは別の場所で、最初これは出口なのかと思いました・・・が、実はこの先にもまだ遺跡が! 糸杉?の並木道を、緩やかに下っていきます・・・。     


☆ ウェヌスの小神殿(Tempio di Venere) ☆

    

 ドリス式円柱の神殿で、1958年に再建されたものなのだそうです。中央にあるのは、クニドスのヴィーナスの石膏コピーとのこと。クニドスのヴィーナス(Venere di Cnido)は紀元前4世紀のもので、そのレプリカがここに設置されていたようですね。(その彫刻は、カノプス横の博物館にあります)
 そして、その周辺には、床の敷石が残っていました。やはり美しいデザインです。右と左は同じデザインのようですが、右のほうは、色が褪せてる、もしくは表面が汚れているのでしょうか・・・残念ながら、鮮やかさが見えなくなってしまってます。 

    

 本当はさらにこの先に、運動場やら劇場やらもあったようなのですが・・・見ることはできませんでした。見学のための整備がされていないのか、行く道に気が付かなかったのかは不明です。 



 そして、見学は終わり。チケット売り場、売店のあるロータリーまで戻ってきました。正面は、アンティノウスの特別展のポスター。
 ちなみに。しば〜らく、この前でバスを待っていたのですが、まったく来なかったので、チケット売り場でバス停の場所を確認しましたら、この敷地から外に出て少し歩いたところだというのです。 「え〜!?」と、疲れた足を引きずってバス停に向かって歩いていきました。 ですが・・・やっと来たバス、やっぱりロータリーを回ってきたんじゃないかという気もしました。 どうもこのあたりのシステム、よくわかりません!!!
   

      バスでティボリに戻り、またしばらくローマ行のバスを待って・・・やっと地下鉄のPonte Mammolo駅まで戻ってきました。で、ホームから反対側を見ると、ホーム横にバス乗り場への出口があるのが見えました。行には気が付かなかったんですよね(笑)! まあ、こんな失敗を山ほどしながらの旅ですが、それもまた良い経験かと!! 




 さあ、ローマに戻ってきました。帰りはまた、(スーパーに寄ったりしたので・・・)テルミニ駅から寄り道して、Via delle Quattro Fontane通りを歩いていきました。途中にあったのが、下のお店。アンティークコインなどが売られていたのです!! ここで、ティベリウスのコインを発見!! 勇気を出してお店に入り、ティベリウスのコイン2枚を購入! すごい〜♪本当に幸せ!! ティベリウスが触った可能性はないでしょうが、彼の時代のものには間違いありませんからね! 銀貨とか、大きな銅貨なら、ある程度の価値があるのかもしれませんが、この小さなコインは、結構ゴロゴロ出てくるレベルなのでしょうか・・・思ったほど高くありませんでした。 

      買ったのは、こちらのコイン。大きさは、500円玉くらいのものです。左の裏はLiviaの坐像。右のほうは、大神官の何たら・・・と書かれていますがよくわかりません(涙)。

         
        



 これは、夜のバルベリーニ広場の一角。おなじみの、蜂の噴水です。小さいながら、立派に、ベルニーニの作品です。目立つのは貝なのになぜ蜂??・・というと、貝の下のほうに蜂さんがいるからです。(たぶん)。
 今回、夕食は、初日に行ったお店の店員さんのサーヴィスが良すぎて、連日同じところに行くことになりました(笑)。毎晩、サーヴィスが良すぎて、つい、飲みすぎに・・・。 

 またしても長くかかってしまいました!



2013.7.13

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