4日目(24日)
** この日の観光コース **
スペルロンガ 〜 ティベリウスの洞窟 〜 国立博物館
〜 モーゼの噴水 〜 サンタ・マリア・デッラ・ヴィットリア教会 〜 ピンチョの丘
☆ スペルロンガ(Sperlonga)へ ☆ 電車の切符の買い方は、数年前(2009年)より改善されてました。以前は窓口で並んで買ったのですが(当時でもネット予約などはできていたようです)、今は窓口は整理券を取る方式になってますし、自動券売機でも長距離切符が購入できます。この方式なら、前回ナポリで遭遇したような、ムカつく思いはしないで済みそうです(笑)。 あと、電車の切符を買うとき、もしくは事前に必ずチェックをしておかないといけないのは、自分の乗る電車の終着駅! ホームに表示されるのは、○○行、だけですから・・・。 さらに、電車の発車予定ホームは一応時刻表にかいてありますが、これもしょっちゅう変更があるようですので、ほんと、乗る電車は注意深く確認しないといけません!!!
途中で、左手に、あの!!クラウディア水道橋が見えてきました♪最初はぽつぽつのこった部分が見え、やがてこのように連なった部分が見えてきたんです! 電車で走っても、結構続いていましたから、かなりの長さ残っているんですねえ。 ちなみに、クラウディア水道橋を訪ねたときの記録は、こちら→。 ☆ スペルロンガ (Sperlonga) ☆ スペルロンガの駅に着いたのは、20分遅れ。特に事故があったわけでもなく、順調に走っていたはずなのに・・・なぜにさらに遅れたのか???まったく不明。 駅の名前チェックを途中で怠ったため、10分前に着いた駅で間違えていったん降りてしまいました! ほんとに毎回ドキドキな旅です(苦笑)。 駅名が違うことに気が付き、あわててまた電車に乗り、もう一駅、でした!
上の写真の右奥のほうに、湖のようなものが見えます。たぶんあのあたりだと思うのですが・・・かつては沼地でマラリアなどが蔓延するような土地柄だったのを、ムッソリーニが改善してくれたのだそうです。悪名高きムッソリーニですが、いい施策も結構やっているようですよ!
ある建物の壁には、このような絵が描かれています。これは、海賊・バルバロッサ(オスマン帝国の提督)との攻防や、ジュリア・ゴンサーガという貴族の娘さんの話・・・(すみません、今となってはメモがもう意味不明で・・・)が描かれて「いるのだそうです。スペルロンガは、バルバロッサの被害にかなりあっているようで、今でも「トルコ人のように」とは、悪い意味で用いられるようです。 どこをどう歩いたか・・・アーチを抜けたところに、こんな風景が広がっていました! 上の最初の海の写真と同じ方向ですが、ちょっと下った場所から撮ってる、という感じでしょうか。ビーチが良く見えます。また、天気も少しずつよくなってます。
さらに歩いて、視線を北から西のほうに移していきますと、こんな風景です。海の色がきれいです! 右の写真・・・右端にうっすら見えるのが、ポンツァ島、もしくはヴェントーテネ島です。(う〜ん、どっちかわからなくなってます・・・でも、たぶんポンツァかな?左の写真が、ヴェントーテネ島を撮ろうとしたけど見えなかった、ってところじゃなかったかな・・・) ポンツァは、アグリッピーナの長男が流刑された島、そしてヴェントーテネ島はアウグストゥスの娘にしてティベリウスの妻・ユリア、またその娘のアグリッピーナが流された島ですね。
ちなみにこちらの方向(南のほう)にはガイエタという町があります。 私のアヤシイメモですが・・・スペルロンガからガイエタあたりまでの、海を守る組合があるようで、この名前が「Riviera di Ulisse」というのかな。すなわち、オデュッセウスの海岸・・・?
☆ ティベリウスの洞窟/国立博物館 (Antro di Tiberio / Museo Alchelogio Nationale) ☆ ティベリウスが、カプリ島に隠遁する前に愛用していた別荘の跡地です。 まあ、Villa Adrianaを見たあとでは、なんとささやかな!と思わずにはいられませんが。 しかし、洞窟の中にニンファエウムをしつらえたり、部屋もいくつかあったりで、なかなか洒落たつくりではないかと思います。 ここで落盤事故が起きた際に、セイヤヌスがティベリウスを助けたことから、セイヤヌスはティベリウスに重用されるようになったとか? まあ、そういったいわくつきの場所、ということですね。 洞窟とその周りの遺跡も、一応博物館の敷地内、ということになっているようです。 まず、博物館の中をぐるっと回ったあと、洞窟に向かいました。
まずは内陸側から。ここの特徴は、床のレンガの敷き方が、麦の穂のようになっているところ。 Opus spicatum(たぶん・・・笑)という様式らしく、お掃除なんかするときの水はけをよくする特徴があるそうです。で、どういうところに用いられるかというと、お手洗いとか、だそうです。すなわち、ここはお手洗いの可能性大、ということです!
左写真の左端から1/3くらいのところ、緑の草が生えているあたりに素焼きの管が残っていました。 ここに温かい蒸気を通して部屋を温めていたのでしょう。・・・でも。この広さって、なんだか大したことないような気もします。もちろん、個人的なお風呂としては十分な広さだとは思いますけれども・・・どうも、前日のヴィラ・アドリアーナが目に浮かんでしまって・・・(笑)。
そしてこちらは、キッチン。このあたりは2階建てのようです。洞窟とも結構近くなってきました。 洞窟内なんかでお食事するのに、温かい料理を提供するには距離はあまり離れていないほうがよいですものね。 ちなみに右の写真は確か・・・このキッチンの床だったと思います。
さあ!そして、いよいよ・・・洞窟です! 洞窟の周辺は水で満たされているので、向こう側まで行くのはなかなか気を遣います。これはお年寄がいたら・・・ちょっと難しかったかも!
洞窟の前までたどり着きました。左の写真の奥、養魚池の端の、狭い道ともいえないところを歩いてきました。手前はベンチだったか・・・・・・? 一方、右の写真の少しへこんだ部分には、装飾が施されていたようです。たとえば、仮面の形をした石造りの彫刻を明かりで照らすような。 仮面は、博物館にもいくつか展示されています。 そして洞窟の中。左の写真は、洞窟の左側で、この奥に寝室などがしつらえてあったようです。洞窟の中の部屋って、ちょっと薄暗くて嫌な気もしますが・・・夏涼しく、冬温かな洞窟のなか、意外と快適なのかも?? 寝室の入り口?と思われる部分。一応横に、解説のパネルがありました! まあただ。中はそんなに広そうではないような気がします。ほんと、ティベリウスは質素ですよ・・・・・・。(ハドリアヌスと比べると特に・・・笑)
こちらは大きな洞窟の向かって左側。ここは崖っぷちというか、半分洞窟という感じのところです。 ここはニンファエウムだったとか・・・? 壁の彩色が結構残っていました。色鮮やかな部屋です・・・。 保存状態が比較的よいのは・・・ここが後に教会として使用されていたこともあったためのようです。洞窟内は涼しくリラックスできるので・・・クリスチャンのみなさまにも居心地がよかったようですね。 これで大体、洞窟およびその周辺の遺跡を観終わったことになります。そして、改めて博物館へ・・・。
下、左は母ヴェヌスのレリーフ、紀元前1世紀の作品。 右はアイネイアスと思われるヘルメス柱像で、ティベリウスの時代のもの。ヘルメス柱像って、頭像または胸像を上部に着けた四面の柱体の記念碑、なのだそうです。しかしこれ、私、ぱっと見女性かと思ったのですが・・・。 よくよく見ると、顔だちはやっぱり男性かな??? さ。そして・・・この博物館の主要な展示のひとつ、スキュラの群像(Gruppo di Scilla e della nave)です。この作品、なんとあのラオコーンの群像を製作したアテノドロス、ポリュドロス、ハゲサンドロスの3人組のサインが入っているのだそうです!彼らはロードス島の彫刻家グループだそうです。ロードス島隠棲時代にでもお知り合いになったんでしょうか・・・。 ともかく、これ、残っていれば結構な大作なのではないかと思います。すると・・・確かに、ラオコーンの群像と一緒にかつてはここにあったかも・・・と思わずに入られません。 そして・・・こちらが現在残っている彫刻群です。これ、完全に残っていたら、素晴らしかっただろうなあ・・・。ちなみにわかりにくいですが、最初の左の写真、船の艫(とも)に、かの3人の名前が刻まれているのだそうです。私には、「何か字がかいてある〜!」程度にしかわかりませんでしたが。 こちらはアンドロメダ。・・・でも、ちょっとバランスの悪い像に見えませんか??実はこれ、下から見上げてちょうどよく見えるように作られているのだそうです。写真の上にカーソルを合わせると、下から見たバージョンの写真になります!なかなかの迫力で素敵です♪ これ、洞窟のどこか高いところに飾られていたもみたいですね。(想像図を見ると、正面の高いところとは違いそう・・・) なお、顔部分と服の部分の石が違うのはロードス島スタイルのようです。 このケースの中は建物だか室内だかの装飾とか・・・でしょうか。説明までは全部撮影してなく、詳細が不明です・・・。あ、真ん中の写真の中段は、後で出てくるモザイク原料ですね。
このショーケースの中は、フレスコ画のようなものかと思います。中段の真ん中の拡大が右の写真。すごく繊細な表現がなされているようですよね。これしか残っていないのが残念!!きっと、とても素晴らしい絵だったんじゃないかなあと・・・・・・。
左は、2世紀、トライアヌス帝の時代の男性の頭像。右は3〜4世紀、帝政後期、(ディオクレティアヌス帝により始められた)四分統治の頃の男性の肖像。 そういうティベリウスの時代からするとずいぶんと新しい像もあるのですねえ。そうすると、ここの洞窟別荘って、ティベリウスが住んでた頃より後も使用されていたのでしょうか・・・??? ここの詳細な資料を持っていないので、どうも詳細がよくわかりませんね。(手持ちの本とか、写真に撮った解説とかでそういう記述をいつか見つけたら、また紹介します・・・!) 左は、1世紀の女性の頭像。右も1世紀のもので、シレヌス(ディオニュソスの従者の半獣神)の頭像。この辺のものは、ティベリウスも目にしていたもの、なんでしょうか・・・・・・
こちらは、Palladioの強奪。トロイの町からパラス・アテナを持ち出そうとするオデュッセウスとディオメデスですね。全部は残っていないのですが、想像復元図と、それぞれどの部分かの表示がされているので、イメージがしやすいです。 左はガニュメデスの頭像。右は、鷲にさらわれるガニュメデス。どっちもガニュメデスですね。そしていずれも1世紀のもの。 絶世の美少年だったというガニュメデスですが・・・この彫刻の顔、そんなに美少年な気がしません(笑)。右の像に左の頭が乗っていたのかもしれませんが、それならなぜそのようにセットしなかったんでしょうかね? 頭像のほうにも右みたいな図があったのですが、「この部分」って表示されていなかったので、別の像の同様な部分、というものかもしれなくてよくわかりません。 こちらは、パスクィーノの群像、と呼ばれるものらしいです。パスクィーノとは、辞書によると「ローマのブラスキ宮殿の側に置かれた、メネラオスパトロクロス像を模した大理石像の俗称。」だそうですが・・・どうもちょっと違うシーンですよね。もっと広義の意味があるのかもしれません。ともかく、トロイア戦争がらみということなのかも。 ちなみにこれは、ヘルメットをかぶったオデュッセウスの頭像と、アキレウスの脚の一部だそうです。アキレウスの亡骸をオデュッセウスが抱えているシーンのようですね。 さあ。そして、この博物館の二つ目の目玉展示品がこちら。 ・・・とはいっても、まずは復元像からですが。 これ、すごく巨大な群像です。中央は一つ目の巨人、ポリュペモスです。 眠っている隙に、この巨人の目をつぶして脱出を図ろうとするオデュッセウスと仲間たちの群像です。これも、ティベリウスの時代だそうです。 実際に残っているのは、そのごく一部ですね。まずは巨人の大きな手と脚。 そしていくつかの人物像。 そして・・・このシーンの主役、オデュッセウス! 顔がラオコーンの神官に似ているような気がしませんか? …と思ったらやはり、スキュラの群像と同様、彼らの作品のようですね。
左は、塑像(粘土とか石膏像だと思います。彫刻でない→コピーっていうニュアンスもあるのかな?)で、同じようなシーン(ポリュペモスの目をつぶす)での、オデュッセウスの仲間の顔なのだそうです。で、ヴィラ・アドリアーナからの発掘品(のコピー)らしいです。 なぜここにそれがあるのかはよくわかりませんね。もしかしたら、ハドリアヌスがここにあったものをヴィラに持ち帰ったってことなのかなあ?? そしてこちらがキルケ。オデュッセウスの仲間が豚さんに変身させられてしまったところですね! キルケは結構な美女。 先にも述べましたように、クラウディウスのルーツでもあるお方・・・。 ここからは主に食器類。 まず左の写真ですが、上3つは、7〜13世紀のアンフォラ。中断の両側は8〜9世紀のアンフォラ。 中央は4〜5世紀のアンフォラの破片。掻き絵が施されているようですが、写真では見えませんね。 下段は、12〜13世紀の水盤。 Protomaiolicaの陶器、とのことです。 左の写真は解説の撮影を忘れてました・・・!で、省略。右の写真の上段、とっても見づらい右は紀元前5世紀のアッティカ地方の形の(特徴があるということかな?)赤い焼き物のアンフォラ。 左も壺ですが、こちらはアンフォラではなく、Pelikeと書かれていました。こちらもアッティカ地方の(形の?)もので、やはり紀元前5世紀。中段、まず右は白大理石製の子供の頭像。(英語表記ではやはり、Cupidになってますが・・・) おそらくレリーフの一部と思われるそうで、1〜2世紀のものです。 左側は1世紀の女性の頭像。白大理石製で、女神をかたどったものではないかということです。 下段の右はアントニヌス・ピウスの妻のファウスティーナだそうです。そして真ん中と左側は、大理石製の彫刻の足の部分。帝政時代、だそうです。 壺二つとファウスティーナの頭像のアップがこちら。 数々の彫刻、装飾をご覧いただいた後で、今一度、洞窟の想像復元図を見てみましょう。オデュッセイアの場面を再現した優雅な彫刻たちに囲まれたスペース。夏涼しく冬暖かい(と思われる)、なかなか素敵な場所だったのではないでしょうか・・・。 ここでの落盤の際にティベリウスを助けたというセイヤヌス。彼も・・・始めっから壮大な野心を抱いたわけではないのかもしれません。 重用されていくうちに、増長してっちゃったんでしょうかね・・・。ふと、そんなことを考えてしまいました。 ☆ 昼食など ☆
店内はこんな感じ。ちょっと暗くみえてしまいますが、それは外が明るすぎるから・・・。なかなかいい感じのリストランテ?でした。そして、底で飲んだのが右のワイン。ファランジーナという白ワインは、ナポリやカプリ島でもおすすめされるワイン。
こうして、スペルロンガ観光は終了。ローマに戻りました。 続いては、戻ってからローマ市内散策です。
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2013.11.10
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