3日目(23日)

** この日の観光コース **

マッシモ宮 〜 サンタ・マリア・ソプラ・ミネルヴァ教会 〜 パンテオン 

 これまで行ってみたいとおもっていながら、なかなか足を運ぶことのできなかった、
マッシモ宮をやっと訪問することができました♪。
ここはテルミニ駅の真ん前で、交通の便はすこぶるよいのですが・・・
少々マイナーなため、初ローマの方々を連れては行きづらいところだったのです。
でも、いざ訪れてみると、素晴らしい(っていうか、私好みの)収蔵品に大感激です♪



☆ マッシモ宮 : ローマ国立博物館
(Palazzo Massimo alle Terme : Museo Nazionale Romano) ☆



 テルミニ駅前の500人広場に面して建っている宮殿(・・・とまでは言えないけど、大きなお屋敷?)。ここにローマ国立博物館が入っています。ローマ国立博物館は、いくつかに分館されているようです。だから、ここにあるのはローマの所蔵品のごく一部なんですよね。でも、それでも・・・ゆっくり見るとすごい量!古代ローマの彫刻、室内装飾など、マニアにはたまらない(笑)逸品揃いです。一見の価値あり!です。
 実はマッシモ宮ってもう一つあるのです。そちらはドミティアヌス帝の劇場跡にあります。ちなみにマッシモ家とは、ハンニバルを相手に消耗戦にもっていった「イタリアの盾」ファビウス・マクシムスの子孫です。
 あ、そういえば、マッシモ宮の外観を撮っていませんでした・・・・・・。仕方がないので、2010年に共和国広場から撮ったマッシモ宮の写真を載せておきます。このとき、アウグストゥス像の垂れ幕などが、あちこちに下げられていたのですが・・・何のイベントだったか今となっては不明です・・・・・・



 まずは、ユリウス・クラウディウス朝の時代の彫刻などが集められたコーナーです。

 はい、本日最初の展示品です。こちらはミネルヴァ。キトンとヒマティオンを纏っています。胸元にはゴルゴンのアイギスが飾られており、これがこの像がアテナ(=ミネルヴァ)であると特定される根拠のようです。顔から首までは、オリジナルは失われてしまっており、現在はめ込まれているのは石膏だそうです。アヴェンティーノの丘にあった?ミネルヴァの神殿と関連しているものと考えられているようです。 
 紀元前5世紀後半の特徴を有しており、異なる材料を使用しているのは金と象牙を組み合わせるギリシャのフィディアスの作品と関連しているようです。作品自体は、アウグストゥスの時代のもののようです。
 こちらは、カリグラ。彼って、本当に神経質そうな顔だちのような気がします。 彼の性格の歪みはティベリウスの恐怖政治のせいとかいろいろ言われてるけどさ。結局親の教育じゃないの?・・・と私は思います! 
 で。展示されている台座の解説をみると、彼の時代のコイン(に描かれている像…という意味?)からカリグラと考えられるが、意識的に?ティベリウスの彫像に似せて造られているとか。その理由がよくわかりません(涙)。 権力者へのおべっかってところなんでしょうかね?まあ確かにティベリウスに似てないこともないか・・・。そもそも一応血のつながりもあるし。
 ちなみに、こういった皇帝のポートレートは、皇帝を賞賛するために国内の(もしくは家庭の)祭壇に飾られていたそうです。
 ティベリウス自身も思えば、少々神経質そうですかね(苦笑)。

 
    
 

 こちらは、ティベリウスの弟のドゥルーススかゲルマにクスか、ティベリウスの息子のドゥルーススのいずれか、と考えられているようです。彼らの顔の特徴が似ているので、識別が難しいのだそうですよ。なるほど。 みなさん親戚同士ですものね。ティベリウスとだって似ているような気がします。

    

 こちらは、正真正銘、若いころのティベリウス。鼻が欠けているのが残念・・・! 確かに神経質そうな気もしますが、やはり凛々しくかっこいいです(笑) カリグラほど顎の線が細くないところが、カリグラよりはまだ健全な顔立ちに見えるのかなと思います。
 真面目に解説を読みますと・・・オリジナルは、ティベリウスがアウグストゥスの養子になった際に早急に作られたものとか。ティベリウスと特定できる根拠もちゃんとあるらしく、髪型と(?)中央のSwallow's tail=Coda di Rondineと短い縁取りから判断されるそうです。訳がイマイチへんですが、これはもしかして、クラウディウス家独特の後ろが長い髪型って意味かな??え〜〜!真後ろ見てないよ・・・。う〜ん、確かに他の人の像と比べると、ティベリウスって、ちょい長いですかねえ。それとも、真後ろにもっと特徴的に長い毛があったりするんでしょうか・・・。 ほんと、その場でちゃんと解説は読むべきですね(涙)。 
 ちなみに、この像は、ハドリアヌス帝の時代のコピーなんですって。ほらほら、なんで、嫌われ者の像をわざわざコピーしますか??・・・やっぱりそんなに古代での評判は悪くなかったんじゃないでしょうか・・・???

    

    こちらはアルテミス。 解説は残していませんでした・・・いつも極力撮影するように心がけていたはずなのですが・・・まだまだ注意力散漫。駄目ですね。

 こちらは有名なアウグストゥス像ですね。 トーガを頭に巻いた最高神祇官のスタイルで、革靴(?)を履いた足元にある切り株(のようなもの?・・・と呼ばれるもの?)は、文書の保管容器だとか。 犠牲式を執り行っているところで、右手には、犠牲式の献酒を入れる杯を持っていたようです。
 頭部は別に作られ、トルソにはめ込まれており、写実的な特徴はヘレニズム時代の描写に幾分染まっているようです。作成されたのは、アウグストゥス時代の後期、紀元前1世紀(の最後の10年間)とみられています。

     

 これはリヴィア。かわいらしい顔だちです。小顔で大きな瞳なのはティベリウスに受け継がれていると思います。やはり、男の子はママに似るんですね〜。
 で、これがリヴィアと特定されているのは、前面が凸の?特徴的な顔だちと大きな目、および象徴的な髪型からだだそうです。この特徴は、スヴェトニウスの記録にものこっているとか。(ティベリウスの悪評を読むのが耐えられないので、私はまだ未読なんですが・・・。)
   
 こちらもリヴィア。こちらのほうには髪型の解説が少し詳しく出ていました。前(髪)は膨らんでいて、編んだ髪が後ろの巻き髪に結び付けられているスタイルだそうです。で、これは、最初にオクタヴィアが始めた髪型とか・・・?。オクタヴィアって、リヴィアにしてみれば小姑ですが、真似したいもんなんですかね。それとも流行???

 こちらはオクタヴィア。まあ、アウグストゥスに似ていますかね。リヴィアのようなかわいらしい印象とは違う美人。 確かに髪型、前髪がこぶみたいに膨らんでいます・・・。顔の特徴とまさにリヴィアと同じスタイルの髪型から、オクタヴィア・ミノルといわれているそうです。(アウグストゥスの姉のオクタヴィアが”ミノル”とは、初めて知りました) 解説には、アウグストゥスが彼女の貞操と美貌に敬意を払っていたこと、あと、彼女は薄幸の人であったと記されていました。

    

 こちらは、アントニア・ミノル。おそらく、ティベリウスの同志でもあったんだろうなあ・・・・・・。 あまりお母様には似ていないような気もします。お父さん似としたら、マルクス・アントニウスもそんなにブサイクではないんでしょうか(笑)。
 シンプルで、こめかみの上にかぶって降ろされた、カールした髪型は、コインなどでも知られたアントニア・ミノルを思い起こすそうです。オクタヴィアとマルクス・アントニウスの娘でアウグストゥスの姪、そして皇帝クラウディウスの母であり、帝国で最も重要な女性の一人と解説に書かれています。そして、彼女の像は、彼女が年取ったあとでも、若々しい姿で描写されているのだそうです。 アウグストゥスもそんな感じですよね・・・。

    

      こちらは、ドゥルースス・ミノル、すなわち、ティベリウスの息子のドゥルーススですね。やはり、どこかお父様の雰囲気を受け継いでいるような気がします。(男の子はママに似る、ってのとは矛盾してますが・・・笑)
 解説には、他の像と比べることにより、彼と特定できるのだと書かれています。

 これは、ゲルマニクス。私は決して彼を好きではない・・・ですが。やはり、クラウディウス家の人っぽい顔のような気がしますね。
 これは胸像や全身像?にはめ込むために首のところでカットされていると解説に書かれていますが・・・ほかの像の切れ方と何か違うのかよくわかりません・・・。 そしてこの像、若々しさと優しさが表れているそうで。 私的には、「あっそ」って感じですが。。。
    
     こちらはユリウス・クラウディウス朝の皇女(?)。
解説は以下のとおりです。まず髪型は、ネロの母のアグリッピーナ・ミノルのものに見えるそうです。クラウディウス帝とメッサリーナの娘のオクタヴィアといわれてますが、彼女は20歳で殺されていますから、それよりも年齢が上に見えるこの女性は30歳程度のポッペア・サビーナを示しているのではないかとも。彼女がネロと結婚し、アウグスタの称号を得た(冠をかぶっているので)頃の紀元後63年のものではというわけです。なお、彼女は65年にネロに殺されました。作品はもちろん、ネロの時代のもの。
 こちらは、ちゃんとオクタヴィア。うなじとか眉の上に並んだ巻き毛?の髪型が特徴のようです。(⇒もう面倒になった解説の訳。ちょっと意味合い違うかもですが)顔だちと髪型から、オクタヴィアと特定できるようです。彼女は特にネロと結婚後、ユリウス・クラウディウス帳のプロパガンダで重要な役割を果たしたとか。女帝の地位を表す冠は、ネロと結婚し、そのネロが皇帝になった時に得たもの。こちらもネロ時代の作品。     

 こちらはなぜか、公式な描写の流行?から、カエサルを殺害したブルータス、もしくはアグリッパ・ポストゥムスと考えられているらしいです。なんか、この二人に共通点が見えないのですが(笑)それは、私の無教養さ故でしょうか・・・?下のアグリッパ・ポストゥムスとは結構顔だちが違うようにも見えますが・・・。 ともかく、解説には、アグリッパ・ポストゥムスのかわいそうな身の上も記されていました。
   



       こちらは、アグリッパ・ポストゥムス。結構かわいらしい顔だちです。
 こちらの像は、彼がアウグストゥスの養子となり皇位継承者となる前のものだそうです。


 すいません、これ、何かわかりません・・・(涙)。 情けない。 後ろに例のアウグストゥス像が見えています。    

 こちらは、ローマ時代のカレンダーだそうです。解説中にラテン語の引用があったりしてよくわからないのですが・・・A〜Hが現在の1週間を表しているらしいです・・・。解説中には、従来の太陰暦のしくみや、ユリウス暦の話が出ていました。

    

 
  これらはいずれも、アレクサンドロス大王です。 まず左側。実際の人の頭より小さい造りです。カールした髪、後ろで髪に固定された冠(表からはわかりませんね???)から、この像がアレクサンドロス大王と特定できるようです。作品はどうも紀元後2世紀のもののようです。 右側は、ギリシャの紀元前4世紀の、槍を持った彫刻が元になっている・・・のかな。頭にある穴は、金属の冠を固定するためのものみたいです。発見された場所から、この特別な像はアレクサンドロス大王はヘラクレスと同一視されていたことを示すようです。紀元前1世紀のもののようです。   
  
 この戦士に見える像は、フィリギュアのヘルメット(?)を被っていますが、それはマケドニア人に一般的なもののようです。そしてこの像は、マケドニア王のピリッポス5世(B.C229-179)です。これは紀元前200年頃のペルガモンのオリジナルをハドリアヌス帝の時代に再現したもののようです。 結構、ハドリアヌス帝の時代に再現された彫像は多い気がします。 やはり大きな別荘を作り、そこを飾り立てるには、多くの彫像が必要だった・・・ということなんでしょうかねえ。
   

 ユリウス・クラウディウス朝やそれ以前の人たちの彫像や関連のものが一堂に会した展示の次には、こんなモザイク。(でも、中央がほんとにモザイクかどうか、記憶がないし、写真からもちょっと判別が困難でした・・・涙)でも、絵柄がかわいらしいし、色合いも素晴らしいです。

    

   上これは確か、そんなに大きな作品ではなかったと。背中を矢で攻撃された(背中に矢が刺さったってことかな?)ところのようです。彼女はニオベの14人の子のうちの一人とか。ニオベはレドの怒りを買って、アポロンとアルテミスに自分の子を全員殺されてしまうのですね。

 解説がピンボケのため、詳細を読み取る気力がますますなくなってしまいました。こんなところでご勘弁を・・・。

 すいません、これ何の像かまったく記憶も記録もなし(汗)。
 
    

  これも記録がわかりません(汗、汗)。たぶん、アフロディーテ・・・かな? なんだか、写真が歪んでいるような気がします。頭でっかちで・・・。カメラのレンズが広角なため、なんでしょうかねえ。他の写真では気にならないのに、なぜかこの像は、何回撮ってもバランスが実物と異なってしまうように見えます・・・。本物はもっとバランスがよく、魅力的です・・・(涙)。

    

  こちらは、哲学者・文人シリーズ。そういえば、たいていどこの博物館に行っても彼らの像ってちゃんとありますね。やはりローマ人たちにも尊敬されていた人たちなんでしょうね。 
 左はソクラテス、紀元後1世紀に作られたレプリカです。 中央はエピキュロス。快楽主義が知られていますかね。紀元前3世紀の像の紀元後1世紀のコピーです。 右は、「Pseudo−Seneca(偽りのセネカ(?)」としてよく知られるレプリカのひとつ、だそうです。で、セネカか、ギリシャ詩人のヘシオドス(紀元前8世紀の人)、もしくはラテンの詩人エンニウス(紀元前238-169年)、と考えられているそうです。作品自体は紀元後2世紀のものだそうです。



  やはりこの二人は一緒じゃないとね!実際近くに展示されていました。ご存じ、ハドリアヌス帝(左)と、アンティノウス(右)です。
 ハドリアヌス帝の像は、テルミニ駅近辺から発掘されたみたいです。
 一方アンティノウスは、1907年にAntioとLanuvioの間の楼閣?の上??から発見された??? すいません、イタリア語しか解説がなくて、辞書引き引きのこんな説明になってしまいました。。。

   ,

  これらはいずれも、マルクス・アウレリウス。右の像には解説があって、ティボリのヴィラ・アドリアーナで発掘されたもののようです。ハドリアヌスが住んでいた頃はまだ彼はずっと若かったはずなので・・・この別荘もハドリアヌスの死後も使用されていたんでしょうかね??

   

     いずれも、ルキウス・ヴェルス。元々あまり興味はない人ですが、右の像の目元は結構ハンサムに見えます。
 左の像は、アッピア街道あたりで発掘されたものみたいです。
 右の像は、「ルキウス・ヴェルス?」と、クエスチョン付きの解説です。

 左は、ドミティアヌス。ラティーナで発掘されたもの。右は、ヴィラ・アドリアーナで発掘された、クリスピーナ。最初誰かわからなかったのですが、コンモドゥスの妻でした。紀元後178年頃、すなわち、ちょうど結婚したころの作品のようです。彼女、姦通罪でカプリ島に流されているんですねえ。     
    この像も記録なし、記憶無・・・です。美しい彫像ではありますが・・・・・・。 後ろの消火設備がやけに目立ってます。


 各時代の皇帝や一族の彫像を中心としたコーナーが終わり、新しく開けた部屋にやってきました。ここにもたくさんの像がありますが、もうギブアップしてます(苦笑)。雰囲気だけ味わってください、こんな感じです・・・。

   

  ここで一番奥に展示されていたのが、下の円盤投げの像です。この像もギリシャ時代の作品のローマ時代のコピーですが、同様のものが大映博物館にもあります。ロンドン五輪を記念した大映博物館収蔵のギリシャ彫刻の世界巡回の一環か何かで上野で開催された展覧会のメインの展示物でした。でもあちらは、顔が前を向いています。先に発掘されたこちらの作品はちゃんと首と顔がつながっていて、こちらが正しいことは分かっているようですが、あちらはあえて前を向かせたみたい・・・。
 さ、では、気合いを入れて解説を読みます。 紀元前450年のミュロン?(Myron)のブロンズ像のコピーです。円盤を投げる右手の重量を支えるために、おしりのところに支えがあります。 たくさんのコピーが作られた、作るのが難しいこのタイプの像は、建物内、特に住居などに飾られ、とても大切にされていたようです。ちなみにこれは、ハドリアヌス帝の時代(117〜138年)のもの。

  


  続いて、カリグラの建造させた、超豪華船(航海用ではなく、中で宴を開いたり娯楽用の大型船)の装飾品の展示コーナーです。船はネミ湖の底から発見されたそうですが、第二次大戦のときに消失してしまったそうです。もったいないですね!
 で、下左は、舵のシャフトにかぶせられたもの??で、いかめしいライオンの顔です。誇り、、強さを表しているようですね。ライオンの頭は、ローマ時代の、特に戦闘用船の船の飾りに用いられていたのだそうです。 
 右のほうは、両側はライオンで中はオオカミのようです。牙で保持された輪っかには、花冠が飾られていたのでは、と・・・??? もうちょっと解説あるのですが、イマイチ理解ができてなく。すいません。

    

  こちらは、船の手すりのようです。顔が両側に向いているので、船の外側も、内側も飾られているということみたい。これは、ディオニソス祭をモチーフにしているようで、マイナス(ディオニソスの巫女)が、サテュロスとシレヌスのペアと交互にあらわれているらしいです。 ・・・え。全部同じ顔かと思ってました。しまった!! 現場でなかなか ゆっくり英語orイタリア語の解説を読む気がしないんですよね。それで後で後悔するパターンが多いですね・・・

    

 これは、アポロの姿をしたゲタ???209-212年ってことだから、ほんとにゲタか・・・。ゲタの顔って、カラカラが消し去ったりしてるので、残ってるのは珍しいんじゃないですかね。 (・・・でも、ネットでちょっと検索したら結構ありました。)     
    

  こちらはセプティミウス・セヴェルス帝と息子のカラカラ帝。



 こちらは、セヴェルス アレクサンデル。(アレクサンデル セヴェルスかと思ってました・・・が、彫像の下に貼ってあったプレートにはそう書いてありました)    


  さあ、それでは。この博物館の目玉展示にはいります・・・! こちらは、かのリヴィアの家の壁のフレスコ画です。プリマポルタのリヴィアの別荘(有名なアウグストゥス像が発掘されたところと一緒じゃないかな?)の、トリクリニウムを飾っていたものと思われます。
 主に地中海沿岸や小アジアの植物が描かれており、それは少なくとも24種に上るそうです。ただし例外があって、亜熱帯原産のナツメヤシも描かれているみたいです。春の花と秋の果物が同時に描かれる矛盾は(一部に?)あるものの、夏の終わりから秋の初めにかけての現実的な植生が描かれているとのこと。 

    

 

 

  中央には椅子があり、ゆっくり眺めることができます。なかなか美しい絵ですし、癒される空間です・・・。こんなところで食事したら、気分よかったかもですね。ティベリウスも招かれたことはあったでしょうか・・・???
 ともかくこの部屋、おそらく、当時の部屋をそのまま再現しているのだと思います。入り口の位置も一致しているのでしょう・・・。
     

  これも現場で解説を見てなくて後悔した一品・・・。トロイの王子(そしてローマ人の祖先)アエネイアスやロムルスのエピソードが描かれているようです。・・・今見ても、何が何だかわかりませんが・・・。解説も一部ちゃんと写真に撮ってはあったのですが、どうも途中からみたいで(汗)真面目に読む気が失せてしまいました・・・。



  続いては、アグリッパが妻ユリアに贈ったという別荘、ファルジネーゼ荘の壁画シリーズです。このヴィラの壁画、かなりな数に上ります。ヴィラのほとんどの部屋のフレスコ画がここに保存されているのではないでしょうか。保存状態も比較的よく、見応えはかなりあると思います。 ・・・が。ここにたどり着いたころにはもう、疲労困憊気味になっておりまして・・・写真の数もさびしい限りになってしまいました(涙)。
 まず、最初の部屋ですが、これは寝室(cubiculum)のようです。 左側にはアフロディーテ、右側にはディオニュソスとニンフなどが描かれていたよう。しかし・・・こんな派手な色に囲まれてゆっくり休めるものなんでしょうか・・・??

    
      こちらは別の部屋。 
とにかく、結構、色味としては赤や黒などはっきりした部屋が多かったように思います。ほかにも立派なフレスコ画満載でした。 今思い返すと、これしか写真を撮ってなかったこと、ちょっともったいなかったですね・・・。

  こちらはモザイク。・・・ということは、どこかの部屋の床、でしょうかね。

      

  最後のコーナーは・・・コインです。共和制時代のものがあったかどうかは記憶無。でも、カエサルあたりからはあったんじゃないかなあ・・・。帝政は当然、アウグストゥスから揃ってます! そして、ビサンティン時代や近代のコインも展示されていました。
 まず最初は、コインの製造方法の解説です。レリーフで表現されていますが、これはおそらく新しいものです。テルマ○・ロマエのルシウスが依頼して作成した、お風呂の入り方レリーフを思い出したりしますが。。。。

   


  こんな風に撮ったら、もう何が何だか、ですけど・・・一応この辺、ユリウス・クラウディウス朝時代のコインです。しかも、1〜16(2段目)までティベリウス!! ティベリウスの金貨があるよ〜〜!!欲しい・・・(笑)

    
    

  さあ。これにて、この日の博物館見学は終了。 時間がかかりすぎて、このあとは遅い昼食。そして、やっすいお土産を買いに、パンテオン裏の店を目指します・・・。(安くてちゃっちいリモンチェッロやオリーブオイルなど、「ばらまき土産」に重宝しそうなものをいっぱい打っているお店があるのです・・・)



☆ サンタ・マリア・ソプラ・ミネルヴァ教会 (Santa Maria Sopra Minerva) ☆



  かつて、カエサルの政敵であったポンペイウスが建設したミネルヴァ神殿の上に建てられた教会で、建築着手が13世紀、完成が15世紀だそうです。外観はすっごく地味です。ガイドブックにも「ファサードは極めて簡素で・・・」と書かれています。それでも。ローマで唯一のゴシック様式の内部構造を持つそうです。・・・そういえば、ローマではゴシック建築って見てないか・・・???
 さて。内部構造は下左の写真。確かに、ゴシック様式ですね。青色に金色で縁取られた天井は、豪華だけどさわやかな感じです。あの正面からは、こんな素敵な内部は想像できません(笑)。
 そして、右の写真は、教会の出入口からミネルヴァ広場のオベリスクをみたもの。その向こうの丸い屋根は、パンテオンの屋根です!ちなみにこのオベリスクはイシス神殿の近所から発掘されたものを再利用しているもののようです。そして、このように象の上にオベリスクを載せたのはベルニーニですって。ただし、彫刻は、弟子のE.フェッラータ作だそうです

    

 そして・・・この教会内部には、いろいろと有名な美術品があるらしいですが・・・ここでは彫刻だけ。左のは、ミケランジェロの「贖いの主イエス・キリスト」 。右は不明です。

    



☆ パンテオン (Pantheon) ☆


    

 もう、何度も訪れていますので、解説はこちらで。⇒。前回は洗浄修復中のようでしたが、この時は綺麗によみがえった姿を見ることができました♪




☆ テヴェレ川 (Fiume Tevere) ☆


  ローマ市内を流れる川ですね。古代ローマ時代からずっとここを流れていた・・・。昔はたびたび川が氾濫していたようです。ティベリウスもその対策を講じたりしていたのでしょうね。




☆ アウグストゥス皇帝廟(Mausoleo di Augusto) ☆

 これは、アウグストゥスにより、紀元前28年に作られた皇帝一族のお墓です。今はレンガむき出しですが、当時は大理石張りの壮麗な建造物だったそうです。ティベリウスも・・・ちゃんとここに眠ってます。 
 ローマを訪ねる度に立ち寄ってますが、工事が始まってkら、あまり進歩はありません。それでも・・・今年は建物周辺の床が少しきれいになっていたかな・・・??? いつか、ここをちゃんと見学できる日を楽しみにしています!!


   




 やっと・・・今となっては2年前の旅の記録が終了しました。。。 ここまでお付き合い下さり、目を通してくださった方々、大変ありがとうございました!!!


2014.5.11

2012年 ローマの旅 Topへ