2日目(21日) ( その1)
** この日の観光コース **
ヴィラ・ヨヴィス 〜 ( サン・ステファノ 教会) 〜 サン・ミケーレ教会 〜 ヴィラ・サンミケーレ
○ ヴィラ・ヨヴィスまでの道・・・ ○ ヴィラ・ヨヴィスはティベリオ山頂にあり、カプリの町の中心から1時間近く坂道を登っていきます。上の写真は、道中のところどころにある地図で、ヴィラ・ヨヴィス(と、ヴィラ・リシス=ブルボン朝に建てられたものらしい)までの道のりが示されています。地図上では右下がカプリの中心部で、左上が、ヴィラ・ヨヴィスです。
ここは、Maiuri氏の時代からの発掘隊の基地?だそうで いわずともがな、ティベリウスが晩年をすごしたヴィラです。正確にはA.D.27〜37年、ティベリウスは68歳〜77歳(11月の誕生日を迎える前(3月)に亡くなってますので・・・)の間、この地から広大なローマ帝国を統治し続けたのです。 カプリ島には、アウグストゥスとティベリウスによって、12のヴィラが建てられたといわれています。ですが、この中で、ティベリウスが建てたと『確証』できるものは、このヴィラ・ヨヴィスだけ、と書かれたガイド本がありました。が、他のヴィラも、「ティベリウスが手を加えたと思われる・・・」などの記述があるので、詳細がよくわかりません!!やはり、Maiuri氏の論文でも読まないとわからないのかなあ・・・。 このヴィラは、広さ約7000平方メートルで、ティベリオ山頂(海抜335m)にそびえ、東側にはソレント半島、西はカプリ島全体、北はナポリ湾からミセーノ岬、そしてイスキア島まで・・・全て見渡せます。半島や岬の向うにはイタリア本土(って言い方するのかな??)も見えますから・・・ローマ帝国を見渡している気分にもなれるかもしれません。・・・もちろんそれでも、視界に入るのは、広大な帝国のごく一部ですけどね。 ここからの発掘品は、あちこちに散逸してしまっているんですよね。食堂(トリクリニウム)にあった大理石の床は、サン・ステファノ教会に、その他の建材なども教会にもちいられたり、盗掘にあったり。・・・でもその一部は、ナポリ考古学博物館にもあるようです。いつか・・・訪ねてみたいです!!(サン・ステファノ教会の大理石の床は後日紹介します!) まず、こちらが、ヴィラ・ヨヴィスへの入り口。とっくに開園時間過ぎているというのに、閉まったまま。はあ〜〜・・・この時間に入れていたら、見学時間に雨にも降られなかったよなあ・・・・・・ 一応、この入り口手前の左側には、ヴィラ・ヨヴィスについての解説が展示されていました。
・・・30分くらい待ったでしょうか・・・そして、やっと入れました!!!
↓これは、現在教会が建っている、屋敷の北側から南〜南西の方向を眺めています。左の写真は、貯水槽の天井の上が右側に見えており、左側は広間につながる部分。右の写真は、貯水槽の上がメインでうつっていますね。天井が落ちている部分も多いようなので、ほんとはもっと広いのです。かつては、ここに中庭がしつらえられていたらしいです。
↓上の写真からさらに右側。このあたりは、皇帝たちの居住区になると思われます。右の写真のほうは、床の大理石がまだ一部残っているのがわかります。 この、中途半端な写真(すいません〜汗)が、ヴィラヨヴィスの上というか・・・横っちょに建てられた教会、サンタ・マリア・デル・ソッコルソ(S.Maria del Soccorso)教会です。この斜め前に、巨大な聖母子像が。遠くからでも、海からも見えたのは、この像のようです。でも・・・私としてはティベリウスの銅像でも建てといて欲しかった・・・。それにしても、こんなところにまで教会を建てるなんて、クリスチャンはすごいですね。ちなみに、この教会はボルボニクス教(??)のもので1700年代のものだそうです。毎年、9月上旬にサンタマリア際が行われるそうです。
この教会のある広場・・・というか、テラスからみえる風景。きっと、ティベリウスもみていたことでしょう・・・。ただし、左のヴェスヴィオ山は、A.D.76年の噴火で形状が変わってしまっているので、全く同じとはいかないですが。・・・むしろ、富士山のように美しい山が、海の向うに見えたんでしょうね。右は、ソレント半島。その向うにイタリア半島の本土?もみえます。
崖から下を覗くと・・・こんなかんじ↓。天気はイマイチなのに、海の色はとても綺麗です・・・♪この海の色はティベリウスが見ていたものと同じ・・・でしょうか・・・?
そして、お次は巨大な貯水槽内部です!!ななんと、容量は8000立方メートル以上!!・・・左の写真のほうは、天井までちゃんと残っています。(先ほどの屋上みたいなところの下と思われます)ここには現在の係員さんの詰め所のための発電機、など、文明の利器が隠されているそうです(笑)右は、天井が落ちてますが、より巨大さがわかりました・・・。天井も高ければ、下もずっと深いのです。
多分、貯水槽の反対側だと思うのですが・・・右の写真の端っこに手すりが写っているから。航空写真と対応させてみると、このあたりは使用人たちのスペースですね。景色は十分によさそう(笑)・・・。
ここからはもう・・・どこをどう歩いているのか・・・??ガイドさんについていくのが精一杯、という感じでした(泣)。でも、巨大な建物の雰囲気はよく分かると思います・・・。
このあたり↓も使用人たちのスペース。
こんな風に、部屋が続いているんですね。右と左の写真は、同じところを中からと外からと撮っていると思われます。↓左写真から左側に出ると廊下があって、左側は狭く人一人がやっと通れるくらい。(上右写真)見学コースは右側の廊下を通りましたが、こちらはやや広かったです。そこを通り抜けて、下左写真を撮った場所へ。ここは・・・まあ、そこそこの広さのお部屋なのではないかという印象です。地図みると使用人の部屋の続きみたいなのですが、説明聞いたときは、このあたりは客人の部屋、といわれたような。結構広々している印象ですから、快適な生活だったのでは・・・?
そして・・・となりの玄関広間に向います。雨で滑りそうな坂道(あれ〜・・・階段だったかなあ・・・汗)の下には、床にわずかにモザイクがのこっていました。ここを右に曲がると、玄関スペースです。
そして、こちらが、玄関広間。雲母大理石の4本の柱がある、『アトリウム』の、中庭風中央玄関、なのだそうです。やはり正面玄関はかなり立派。奥の四角い入り口は、使用人スペースにつながっています。
さあ・・・そしてこれが、いわゆる『ティベリウスの落下台』『ティベリウスの拷問台』『ティベリウスの絶壁』・・・などなどと訳されている、『Salto di Tiberio』といわれる場所付近からの眺め(のはず・・・)です。高さは297m。まあ・・・散々な言われ方をしてますよね。ひどい本とかになると、突き落としてそれでも生きていた人は、棒?で海に沈めて殺した、とまで書かれてます!!(まあ、昔のことですから、確かに、突き落とされたひともいたかもしれませんが・・・???)でもとにかく・・・美しい海が眼下に広がっています。少なくとも見た目は平穏です・・・。
最後は、ティベリウスが崩御する数日前に地震で崩壊した、という、灯台(Torre del Faro)です。かつては25mの高さがあったそうで、ティベリウスはこれを信号所として使い、松明とのろしの合図でローマ本土と執政の指示・報告のやり取りをしていたそうです。同じ形状の灯台が、ソレント半島のカンパネッラ岬と、ナポリ湾北側のミセーノ岬にも置かれていたとか。
そして・・・雲行きがどんどん怪しく・・・さらに雷まで。ユピテルの名前にふさわしいといえないこともないですが・・・
・・・天気がいまひとつであったためか、ヴィラ・ヨヴィスからの風景は、塩野さんが「官能的な地中海の中でも、人の心を魅了してやまない」と表現し、人間を拒絶したティベリウスと不調和、と述べられていたイメージとは、ちょっと違う印象でした。幻想的で美しい風景には違いないですが、かえって、彼の孤独や寂しさを垣間見たような気がしました・・・。まあ、場所が場所だけに・・・どんなに美しく官能的な景観でも、『寂しさ』を完全に取り去ることはできないのかもしれません・・・。 *** すごいおまけ(笑) *** Villa Jovisの、再現CGなるものを見つけました!
現地ガイドさんの説明による、ティベリウスのエピソードについて・・・「???」と思う部分も多いのですが、一応ご紹介したいと思います。 →こちらへ 。 |
2009.10.19
2009.10.22 訂正・追記