2日目(21日)  その1)

** この日の観光コース **

ヴィラ・ヨヴィス 〜 
サン・ステファノ
教会) 〜 サン・ミケーレ教会 〜 ヴィラ・サンミケーレ  

この日、天気はいまひとつ。
ヴィラ・ヨヴィス観光だけは、ガイドさん+通訳さんをお願いしました。朝8時にカプリの町の時計台下で待ち合わせ。
ここから1時間近く、ひたすら坂道を登っていきます。

ヴィラ・ヨヴィス前で日本人二組に遭遇。なんと、入り口が閉まったまま。ガイドさんが電話で連絡してくれて、それからやっと、
えっちらおっちら係の人が登ってきました!なんとなんと、「天気が悪いから、誰も来ないかと思って」ですって!
しかも、入場料タダにしてくれるって言ったのに、一緒に入ったほかの日本人が同じグループでなかった(先に帰っていったんですね・・・)と、
後から逆切れされ、4人分の入場料を払う羽目に。(こっちは3人プラスガイドさん2人で5人だったから、それでも一人分は浮いたか・・・)
まあ、大好きなティベリウスの遺跡の維持に役立つならば、と泣く泣く€2×4人分を支払いました。

さらに、見学してまわっている間に雨が降りだし、帰り道は雷も鳴る大嵐。水が川のように道を流れていきました・・・。
ほんとに辛い道のりでしたが、この雨もカプリでは貴重な水源と思えば恨めません・・・

○ ヴィラ・ヨヴィスまでの道・・・ ○


        

 ヴィラ・ヨヴィスはティベリオ山頂にあり、カプリの町の中心から1時間近く坂道を登っていきます。上の写真は、道中のところどころにある地図で、ヴィラ・ヨヴィス(と、ヴィラ・リシス=ブルボン朝に建てられたものらしい)までの道のりが示されています。地図上では右下がカプリの中心部で、左上が、ヴィラ・ヨヴィスです。

 ここからは、しばらく、ヴィラ・ヨヴィスまでの道のりでの風景を紹介します。

      

    こちら、ティベリオ山の中腹から南西方向を眺めたもの。  
 
山頂に見えるのは、カスティリョーネ城(Il Castello del  
 Castiglione)。この付近に、アウグストゥス帝の最初のヴィ
 ラがあったそうです。ここは、考古学者のN.ハドワラによ
 って発見されたそうですが、そのハドワラによって盗掘され
 てしまったんですって!何て考古学者だ!!・・・この人、
 他でも盗掘を繰り返していたみたい・・・学者の風上にもお
 けません・・・。
  ちなみにここ、現在は私有地、だそうです。あんなところ
 を所有している個人の方がいらっしゃるんですね〜・・・うら
 やましい!

 ところどころに、こんなかわいらしいマヨルカ焼きのタイル
で道しるべがあります。これはティベリオ(=Tiberiusのイタリア語表記)通りで、ヴィラ・ヨヴィスとヴィラ・リシスの方向が示されています。
 やっぱり、ティベリウスの名前が出ると、嬉しくなります♪

  これは、1900年代に作られた個人のヴィラだそうです。円
 柱などは古そうですので、遺跡などから持ってきたものかも
 しれません。ですが・・・なぜか、これまで人が住んだことが
 ないそうで・・・。住んでみたいような、みたくないような・・・
 (笑)

 途中に見られた朝顔(青紫)とブーゲンビリア。この青紫の朝顔って、最近横浜でもすごくたくさんみますが・・・。なぜか昼過ぎまで咲いてるし、かなり涼しくなってもまだ咲いてる、朝顔らしからぬ朝顔。新種なんでしょうか・・・???
 まあ、朝顔はカプリに特徴的、というわけではありません。カプリで特徴的なのは、むしろ、レモンをはじめとする柑橘類やオリーヴ。レモンは、日本産の3倍以上かなあ。カリフォルニアレモンよりもさらに大きいのです。
 

  そして・・・これは、亡くなった人を偲ぶ記
 念碑のようなもの?(説明を受けたときのメ
 モが不十分でよくわからない)・・・イタリア語
 真面目に勉強しないと!!!
  ちなみに、文中の“TIMBERIO”は、
 TIBERIOのナポリ方言だそうです。・・・しか
 し、名前にまで方言があるって、どういうこ
 と???

さあ、いよいよヴィラ・ヨヴィスが
見えて
きました!!

  こちらは、ヴィラ・ヨヴィスを発掘した
 Amedeo Maiuri氏が発掘したキリスト
 像。なぜか、「ティベリオが作らせた」といわ
 れているらしいです。この像は、オリエント
 の宗教の影響を受けているそうで、(手の
 位置などがそうなんですって!)、オリエント
 に興味のあったティベリウスが作らせたの
 では、と考えられているそうです。
  しかし、あの時代、そもそもティベリウスが
 イエスを知っていたかすら怪しいような気が
 するのですが・・・、わざわざイエスの像を作
 るだろうか・・・ちょっと不思議。もしくは、現
 代ではイエスの姿に見えるこの姿が、実は
 古代の別のオリエントの宗教に由来してい
 るのかなあ、とも思ってみたり・・・

 ・・・途中から、ヴィラ・ヨヴィス発掘者である、Maiuri氏の
名前の道になりました。A.Maiuri氏は、ポンペイの発掘にも関わった、高名な考古学者だそうです!
 

 

  ヴィラ・ヨヴィスがだんだん迫ってきます♪きっと、当時は
 壮麗だったんだろうなあ・・・。でも、やはり近寄りがたい
 
雰囲気もあっただろうと思われます。

 振り返ると、こんな感じ・・・マリーナ・グランデの町が
見えます。ホテルのあるアナカプリは、絶壁の上のほう。

  ここは、Maiuri氏の時代からの発掘隊の基地?だそうで
 
す。今でも発掘は続いているらしく、ここは使用されている
 ようです。でも、このときは門扉は閉まっていて、中の様
 子はわかりませんでした。



☆ ヴィラ・ヨヴィス(Villa Jovis) ☆    
 

 いわずともがな、ティベリウスが晩年をすごしたヴィラです。正確にはA.D.27〜37年、ティベリウスは68歳〜77歳(11月の誕生日を迎える前(3月)に亡くなってますので・・・)の間、この地から広大なローマ帝国を統治し続けたのです。

 まずは、現地にあったヴィラ・ヨヴィス全体図。右の水色がお風呂など入浴設備、上〜右側が皇帝たちの居住スペース、中心の濃い青が貯水設備・・・などなど。『ローマ人の物語』にも出ていますけどね!大きくは4つのパートにわかれており、高いところは住居、エントランスは1段低くなっています。ガイドさんによると、建物は、一番低いところから200mの高さがあったそうで、南イタリアで最大の規模の建造物だったそうです。(う〜ん、でも・・・本には、高低差最大40mの土地、と書いてあるので、やっぱり200mはちょっと大きすぎるのでは??とおもわれます)

 カプリ島には、アウグストゥスとティベリウスによって、12のヴィラが建てられたといわれています。ですが、この中で、ティベリウスが建てたと『確証』できるものは、このヴィラ・ヨヴィスだけ、と書かれたガイド本がありました。が、他のヴィラも、「ティベリウスが手を加えたと思われる・・・」などの記述があるので、詳細がよくわかりません!!やはり、Maiuri氏の論文でも読まないとわからないのかなあ・・・。
 このヴィラは、広さ約7000平方メートルで、ティベリオ山頂(海抜335m)にそびえ、東側にはソレント半島、西はカプリ島全体、北はナポリ湾からミセーノ岬、そしてイスキア島まで・・・全て見渡せます。半島や岬の向うにはイタリア本土(って言い方するのかな??)も見えますから・・・ローマ帝国を見渡している気分にもなれるかもしれません。・・・もちろんそれでも、視界に入るのは、広大な帝国のごく一部ですけどね。
 ここからの発掘品は、あちこちに散逸してしまっているんですよね。食堂(トリクリニウム)にあった大理石の床は、サン・ステファノ教会に、その他の建材なども教会にもちいられたり、盗掘にあったり。・・・でもその一部は、ナポリ考古学博物館にもあるようです。いつか・・・訪ねてみたいです!!(サン・ステファノ教会の大理石の床は後日紹介します!)

 まず、こちらが、ヴィラ・ヨヴィスへの入り口。とっくに開園時間過ぎているというのに、閉まったまま。はあ〜〜・・・この時間に入れていたら、見学時間に雨にも降られなかったよなあ・・・・・・
 一応、この入り口手前の左側には、ヴィラ・ヨヴィスについての解説が展示されていました。

 

 ・・・30分くらい待ったでしょうか・・・そして、やっと入れました!!!
ガイドさんのあとを追いかけて説明を聞くのに必死でしたので・・・今思い返すと、自分がどの部分を歩いてて、どの部分の写真を撮っていたのか、イマイチ曖昧(汗)
 あとは・・・発掘とかに関係するのか、「以前は通れたのですが・・・」ってところが見学できなかったり。残念ながら、私が行ってみたかった、展望台を兼ねたテラスを見ることが出来ませんでした・・・。半円形の広間も、今となってはどんなだったか思い出せもせず・・・(泣)。
 
 で。ここは多分、お風呂場の側面あたりではないかと・・・見学者用の門(入り口)のほぼ正面に見えます。防火用ホースみたいなのが写っているのはご愛嬌・・・

       

  これは、この時代の建築方式?ってことで説明を受けたの
 で写真を撮ってみました。ちょっと黄色っぽくみえているのは
 凝灰岩だそうです。これはちょっと珍しいのかな?建物の基
 本は、石灰岩や素焼きレンガとセメントを交互に積み上げて
 形成されています。この建築方法、ラテン語で『OPUS
 NETICOLPTUM』とかいうそうです。
 カプリ島の建物は、現在もこの方式で建てられている・・・と
 説明されたような???

 ↓これは、現在教会が建っている、屋敷の北側から南〜南西の方向を眺めています。左の写真は、貯水槽の天井の上が右側に見えており、左側は広間につながる部分。右の写真は、貯水槽の上がメインでうつっていますね。天井が落ちている部分も多いようなので、ほんとはもっと広いのです。かつては、ここに中庭がしつらえられていたらしいです。

   

 ↓上の写真からさらに右側。このあたりは、皇帝たちの居住区になると思われます。右の写真のほうは、床の大理石がまだ一部残っているのがわかります。

   

 この、中途半端な写真(すいません〜汗)が、ヴィラヨヴィスの上というか・・・横っちょに建てられた教会、サンタ・マリア・デル・ソッコルソ(S.Maria del Soccorso)教会です。この斜め前に、巨大な聖母子像が。遠くからでも、海からも見えたのは、この像のようです。でも・・・私としてはティベリウスの銅像でも建てといて欲しかった・・・。それにしても、こんなところにまで教会を建てるなんて、クリスチャンはすごいですね。ちなみに、この教会はボルボニクス教(??)のもので1700年代のものだそうです。毎年、9月上旬にサンタマリア際が行われるそうです。

  

 この教会のある広場・・・というか、テラスからみえる風景。きっと、ティベリウスもみていたことでしょう・・・。ただし、左のヴェスヴィオ山は、A.D.76年の噴火で形状が変わってしまっているので、全く同じとはいかないですが。・・・むしろ、富士山のように美しい山が、海の向うに見えたんでしょうね。右は、ソレント半島。その向うにイタリア半島の本土?もみえます。

  

  こちらは、北〜北東の方向です。ナポリ湾の北側。
 山が幾重にも見えています。
  ・・・天気はいまひとつなんですが、それでもこれら
 の風景は美しいものです・・・。かえって幻想的な雰
 囲気をかもし出しているような気もします。ティベリウ
 スだって、ここに住んでいたのですから、こんな天気
 の日の風景も見ていた・・・はず。

  崖から下を覗くと・・・こんなかんじ↓。天気はイマイチなのに、海の色はとても綺麗です・・・♪この海の色はティベリウスが見ていたものと同じ・・・でしょうか・・・?

  これは・・・廊下、っぽいですが・・・もう、どこの廊下か分か
 りません(涙)・・・。でも、皇帝居住区であることは確か。

 そして、お次は巨大な貯水槽内部です!!ななんと、容量は8000立方メートル以上!!・・・左の写真のほうは、天井までちゃんと残っています。(先ほどの屋上みたいなところの下と思われます)ここには現在の係員さんの詰め所のための発電機、など、文明の利器が隠されているそうです(笑)右は、天井が落ちてますが、より巨大さがわかりました・・・。天井も高ければ、下もずっと深いのです。

    

 多分、貯水槽の反対側だと思うのですが・・・右の写真の端っこに手すりが写っているから。航空写真と対応させてみると、このあたりは使用人たちのスペースですね。景色は十分によさそう(笑)・・・。

  

 ここからはもう・・・どこをどう歩いているのか・・・??ガイドさんについていくのが精一杯、という感じでした(泣)。でも、巨大な建物の雰囲気はよく分かると思います・・・。

  
  

   これは、先ほどの貯水槽を下から見上げたところ
  です。ちょっとピンボケですが・・・その巨大さがわ 
  かるかと。だから、写真を撮った場所は、使用人た
  ちのスペースですね。

 このあたり↓も使用人たちのスペース。

      

 こんな風に、部屋が続いているんですね。右と左の写真は、同じところを中からと外からと撮っていると思われます。↓左写真から左側に出ると廊下があって、左側は狭く人一人がやっと通れるくらい。(上右写真)見学コースは右側の廊下を通りましたが、こちらはやや広かったです。そこを通り抜けて、下左写真を撮った場所へ。ここは・・・まあ、そこそこの広さのお部屋なのではないかという印象です。地図みると使用人の部屋の続きみたいなのですが、説明聞いたときは、このあたりは客人の部屋、といわれたような。結構広々している印象ですから、快適な生活だったのでは・・・?

   

 そして・・・となりの玄関広間に向います。雨で滑りそうな坂道(あれ〜・・・階段だったかなあ・・・汗)の下には、床にわずかにモザイクがのこっていました。ここを右に曲がると、玄関スペースです。

       

  ピンボケ写真ですみません(汗)。こちら、玄関広間
 エリアからお風呂スペース方向に行く廊下と思われま 
 す・・・。あちこち通行止めなのは残念。

  そして、こちらが、玄関広間。雲母大理石の4本の柱がある、『アトリウム』の、中庭風中央玄関、なのだそうです。やはり正面玄関はかなり立派。奥の四角い入り口は、使用人スペースにつながっています。

   

 さあ・・・そしてこれが、いわゆる『ティベリウスの落下台』『ティベリウスの拷問台』『ティベリウスの絶壁』・・・などなどと訳されている、『Salto di Tiberio』といわれる場所付近からの眺め(のはず・・・)です。高さは297m。まあ・・・散々な言われ方をしてますよね。ひどい本とかになると、突き落としてそれでも生きていた人は、棒?で海に沈めて殺した、とまで書かれてます!!(まあ、昔のことですから、確かに、突き落とされたひともいたかもしれませんが・・・???)でもとにかく・・・美しい海が眼下に広がっています。少なくとも見た目は平穏です・・・。

 最後は、ティベリウスが崩御する数日前に地震で崩壊した、という、灯台(Torre del Faro)です。かつては25mの高さがあったそうで、ティベリウスはこれを信号所として使い、松明とのろしの合図でローマ本土と執政の指示・報告のやり取りをしていたそうです。同じ形状の灯台が、ソレント半島のカンパネッラ岬と、ナポリ湾北側のミセーノ岬にも置かれていたとか。
 この灯台は、その後、ドミティアヌスにより再建され、17世紀まで使用されていたそうです。

  そして・・・雲行きがどんどん怪しく・・・さらに雷まで。ユピテルの名前にふさわしいといえないこともないですが・・・

 

 ・・・天気がいまひとつであったためか、ヴィラ・ヨヴィスからの風景は、塩野さんが「官能的な地中海の中でも、人の心を魅了してやまない」と表現し、人間を拒絶したティベリウスと不調和、と述べられていたイメージとは、ちょっと違う印象でした。幻想的で美しい風景には違いないですが、かえって、彼の孤独や寂しさを垣間見たような気がしました・・・。まあ、場所が場所だけに・・・どんなに美しく官能的な景観でも、『寂しさ』を完全に取り去ることはできないのかもしれません・・・。


 わ〜、すっかり長くなってしまいました!!!この日はこれで半日。まだまだ続きます。→ その2へ
 

*** すごいおまけ(笑) ***

  Villa Jovisの、再現CGなるものを見つけました!
↓こちらをごらんください!あまりの豪華さにため息がでてきます。(私は夢にまで出てきました・・・笑)
頭にhをつけてくださいね。(直接リンクがついてしまっていたようなのですが、外しましたのでご了承ください) 
ttp://temi.repubblica.it/espresso-festival-cinema-archeologico/2008/07/01/una-notte-a-villa-jovis/    



 
***  番外  ***

 現地ガイドさんの説明による、ティベリウスのエピソードについて・・・「???」と思う部分も多いのですが、一応ご紹介したいと思います。  →こちらへ


2009.10.19
2009.10.22 訂正・追記