3日目(10日) (その1)

** この日の観光コース **

ボルゲーゼン公園/美術館 〜 コロッセオ 〜 フォロ・ロマーノ 〜 カピトリーノの丘

朝の広々とした公園は、本当に清清しく気持ちがいい〜!
でも、ボルゲーゼ美術館は人が一杯。


☆ ボルゲーゼ公園(Villa Borghese)   




 ホテルでの朝食後、歩いてヴェネト通りを上っていき、アウレリアヌスの城壁を越えると、ボルゲーゼ公園が目の前に。私はまだ、ボルゲーゼ美術館までの道しか歩いたことがないのですが・・・全体はとても広い公園で、湖(・・・って、サイズは池程度、だと思いますが・・・)や神殿、そして動物園や馬場まであるらしいです。
 公園、そして現在美術館となっている荘館は、17世紀、ボルゲーゼ家出身の教皇パウルス5世の甥であるシピオーネ・ボルゲーゼ枢機卿により造営が開始されました。設計はフラミニオ・ポンツィオとフランドルの建築家ジョバンニ・ファン・サンテンによるもののようです。17〜19世紀で、いろいろ変更も加えられているようです。

  


    
☆ ボルゲーゼ美術館(Museo e Galleria Borghese) ☆

 新婚旅行でローマを訪ねた十数年前は修復中でした。おそらくその修復により?・・・現在では17世紀のオリジナルに近い荘館が甦ったそうです。しかし、今回は、なんと「玄関大広間」が修復中!
 コレクションは、シピオーネ・ボルゲーゼ枢機卿によるものが中心となっているようですが、ナポレオンに盗られたり(笑)して一部散逸したり、逆に後の世代で新たにコレクションが加わったりして現在の状態になったようですね。一部ガイドブックには、ボルゲーゼ枢機卿が16世紀の大作家の作品を盗賊まがいの不正な手段で集めさせたとも。でも、彼は、ベルニーニなど、当時の芸術家を庇護した「賢明なメセナであったことも見逃せない(ボルゲーゼ美術館の本より)」そうです。いや・・・略奪は悪いですけどね。 
でも、こうやってきちんと現代まで保管され、一般の人が鑑賞することができるのなら・・・結果としては、責めることはできないのではないかとも思ったりします。

 それにしても、年々人数が増えているような気がします。だんだんメジャーになってきているのか、それとも、美術館側が儲けに走っているか??・・・予約制だというのに、今年は何だか人が多すぎて、あまりゆっくり眺められなかったような気がします。
 なお、このページで何度となく引用している、「美術館の本」は、館内で販売されている、『最新ガイド ボルゲーゼ美術館 解説 クリスティーナ・ヘルマン・フィオレ』という本です。

    建物正面(ファサード)の上のほうには、数々のレリーフや彫刻が。これらも傷みが激しかったり紛失?していたものを修復して、オリジナルに近づけたようです。中には古代の彫刻もあったようで・・・?(柱廊内だけなのかな・・・?雨ざらしではさすがにもったいないですもんねえ。)

 珠玉の名品ぞろいなのですが、ここはやはり私の趣味で、主なもの数点を紹介したいと思います。ただ。ともかくこの美術館、欧米では珍しく、写真撮影不可なんですよ。それどころか、ハンドバックなども持ち込めないという厳しさ。 ・・・というわけで、前回同様、『WEB GALLERY OF ART ( http://www.wga.hu/ )』に掲載されている写真を使用させていただきます。

 まずは、やっぱり、ジャン・ロレンツォ・ベルニーニ特集で。美術館内の順路にそって紹介しま〜す!

 こちらは、『ダヴィデ』。1623年から1624年にかけて製作されたもので、通称「太陽の間」に設置されています。私は旧約聖書は未読なので、ダヴィデのキャラクター像はよく知らないのですが(汗)・・・これは、石投げ器だけで武装し、巨人ゴリアテに立ち向かう場面で、シピオーネ枢機卿の委託されたものだそうです。 
 以前にTV番組でルネッサンスとバロックの美術、音楽の比較がなされていたことがあり、その際にこの像、ミケランジェロのダヴィデと比較されていました。ベルニーニ好きな私なのですが・・・実は私、ダヴィデ像は圧倒的に、ミケランジェロの作品のほうが好きなんです(爆)。(ミケランジェロの作品の実物は、まだ未見なんですけど・・・)子供の頃写真で見て、マジで惚れましたからね〜・・・。ベルニーニといえど、その強烈な印象にはかないません・・・(笑)。

   

 そして、私が一番大好きな、『アポロとダフネ』。これは1622年から製作が開始され、1625年に、今と同じ「アポロンとダフネの間」と呼ばれる広間に設置されたそうです。物語のクライマックスの劇的な場面胸を打ちます・・・。アポロの左手はまだ、ダフネの心臓の鼓動を感じ取っている、その様子も見事に表されています。 アポロは若々しく美しい均整の取れた肢体で、ほんとに見惚れます♪筋骨隆々過ぎないところがまた私好み(笑)。やはり、よくよく見ると、ベルヴェデーレのアポロに似てますね〜。 対するダフネも、若く瑞々しいすらっとした身体が美しいです。次のプロセルピナが、オトナの女性の体つきなのに対して、こちらはまだ“少女”という雰囲気。

  

 やはりここで、一応ストーリーのおさらいを。
 アポロがエロス(ローマ神話表記だとクピドかな?)と彼の持つ小さな弓を馬鹿にしたため、エロスはアポロへの仕返しに、黄金の矢(愛情を芽生えさせる矢)でアポロを、鉛の矢(愛情を拒絶させる矢)でダフネを射ました。すると、アポロはダフネに夢中になりますが、ダフネは彼の愛を拒絶します。アポロは彼女を奪おうと追いかけ、ダフネは逃げ続けますが、疲れ果て、ついにペーネイオス河畔に追いつめられてしまいます。ダフネは河の神である父ペーネイオスに助けを求め、追いつめたアポロがダフネに触れかけたまさにそのとき月桂樹に姿を変えたのです。失意のアポローンは「せめて私の聖樹になって欲しい」と頼むと、ダプネーは枝を揺らしてうなずいたそうです。この後、月桂樹はアポロのシンボルとなり、デルポイのピューティア祭で行われる競技の優勝者には、月桂冠が与えられることになった・・・とさ!
 なお、この彫像の設置されている「アポロンとダフネの間」(美術館の本に、なぜか「アポロ」ではなく「アポロン」と書かれています)の天井には、この彫像と同じ場面が描かれています。


 続いては、『プルトンとプロセルピナ』もしくは、『プロセルピナの略奪』。ギリシャ神話の「ハデス」「ペルセポネー」のほうが、何となく耳になじんでますが・・・。 この作品は、1621年から1622年にかけて製作され、枢機卿シピオーネにより完成の年1622年に枢機卿ルドヴィシに贈られましたが、1908年その館が国家に買い上げられた折にボルゲーゼコレクションに戻されたのだそうです。
 先に述べましたように、こちらのプロセルピナは、ダフネと比べて体つきがふくよかで大人の女性という感じです。彼女の柔肌に、プルトンの手が食い込んでます・・・。これが大理石なんですよ・・・!! 
あと、写真ではみえませんが、プロセルピナの頬には涙が伝っているんです・・・。こういった個々の表現もさることながら、全体の構成も素晴らしいです・・・。

      

  

 こちらも、一応ストーリーのおさらいを。
 プロセルピナはユピテルと大地の女神ガイア(ギリシャ神話ではデメテル)の娘。(美術館の本には、母女神の名前は「ガイア」と表記されていますが、「ケレス」のほうが一般的?) プロセルピナは冥府を司る神プルトンに見初められ、誘拐されてしまいます。するとガイアは激怒し、大地に実りをもたらすのをやめ、オリュンポスを去って地上に姿を隠してしまいます。 さすがに困ったユピテルは、プルトンにプロセルピナを解放するよう命じます。しかし、プロセルピナが冥界を去ろうとするそのとき、プルトンは彼女にザクロの身を食べさせます。実は・・・冥府の食べ物を食べた者は、冥府に属するという神々の取り決めがあったんですね〜。何でも、プロセルピナは、ザクロの実12粒のうち4粒だか6粒だかを食べてしまったらしいので、1年の1/3もしくは1/2は冥界に住まなければならない、ということになったようです。このため、ガイアは、娘が冥界に居る時期は、地上に実りをもたらすのを止めるようになり、『冬』という季節が生まれてしまいました。一方、娘が帰ってくる喜びのときが、『春』の始まり、なんですね。
 ・・・でも。嫁ぎ先に1/3いればいいっって、なかなかゼイタクじゃないですか?(笑) また、結婚してからは、結構プロセルピナはプルトンを尻に敷いていたらしいです。(どこかでそんな記述がありました・・・)やっぱ、結婚は、「惚れられて」した方が勝ちですね〜!!

 ちなみに、この彫刻の置かれているのは玄関の後ろ側の大きな部屋で、「皇帝の間」と呼ばれてます。壁に沿って歴代皇帝像が並んでおり、ティベリウス像もあるんですけどね〜。写真が撮れないので残念ながらご紹介できません・・・。
 

 続いては、 
「剣闘士の間」に設置されている、『アエネアスとアンキセス』。アイネイアスって、やはりローマへの祖国愛を表しているんですね。 これは、アイネイアスが、老父アンキセスを背負い、幼い息子アスカニウスと共にトロイを脱出する場面を現しています。「アスカニウスは、家の聖火を携え、アンキセスはペナテス、すなわち古代ローマの家の守護神の像を捧げている」(以上、ボルゲーゼ美術館の本より) この作品は1618〜1620年にわたって製作されたものですが、「父の寄与の方が著しい」と評する研究者も多いらしいです。 (ちなみに・・・美術館の本に記載された作品タイトルは、「アエネアス」なのに、説明文は「アイネイアス」なんですよね〜。どちらを採用すればよいのやら)
 私は、この彫刻って、「トロイネタだ〜(笑)」とか、ローマの始祖、程度の興味しかなかったのですが・・・叔父が、父アンキセスの年をとって肌の張りがなくなった質感に感動してました。なるほど・・・言われてみれば。 若々しい、とか、筋骨隆々、とかいう美しい表現のみならず、こんな年寄りの身体の質感まで表現できるなんて・・・ほんと、ベルニーニって、すごい!!

   

こちらは、同じく「騎士の間」に展示されている、『真実』。今までの作品と比べるとやや小ぶり。これは、以下、美術館の本から引用したいと思います。
 「ベルニーニは、彫刻芸術を彼自身のものとした記念碑として『「時」にヴェールを剥がされた「真実」』を創作した。しかし、上部に置かれるはずであった「時」の姿が制作されることはなかった。この作品は、彼がサン・ピエトロ教会での仕事に敵対する者たちからのいわれのない告発に遭って、教皇庁で困難な位置に立たされていた時期に生まれた。ベルニーニは『真実』の準備作業を1645年頃、つまり教皇ウルバヌス八世の死後という危機的時期に始めた。1652年には彫像はほぼ完成していたが、1665年になってもベルニーニは「時」の彫像を加える意向を語っている。ベルニーニの遺言により『真実』は家族の長子に「久遠の」訓戒のごとくに遺された。」
 いろいろ、ベルニーニの思いのこもった作品なのでしょう・・・。
   
   
 こちらは、「ランフランコの回廊」にある、『フランス王ルイ十四世騎馬像のためのテラコッタ習作』で、1669年から1670年の作品です。写真では分かりませんが、ごく小さなものです。ベルニーニは、この作品を山の山頂に配置するように、企図したそうなのですが、このように設置されてしまうと、ちょっとイメージと異なってしまうようです。「絶対王制のイメージを彷彿とさせるような垂直に聳え立つ姿に欠ける」と。イメージとしては、アレクサンドロス大王の像に近づけようとしたようです。

 以上、ベルニーニの主な作品でした!! ほんと、ここを訪れれば、かなりのベルニーニ作品が押さえられます♪ ・・・ですが・・・例の映画『天使と悪魔』には、ボルゲーゼ美術館って全然出てきませんね。キリスト教との関係の希薄な作品ばかりだからかな?(笑)

続いては、絵をいくつか。まずは、左側。前回も紹介した、F.バロッチの『アエネイアスのトロイ脱出』・・・でも、今回、見た記憶がありません・・・。右は、レオナルド・ダ・ヴィンチ構想による『レダ』。こちらは、探したのですが・・・以前あった場所付近では見当たりませんでした。貸し出し中・・・かな?
 これらの説明、MuseumのTroy関連に載せてあります。⇒こちら

   


 続いては、「シレノスの間」に展示されている、カラヴァッジォのローマ滞在初期の作品を二つほど。 
左は、『バッカスに扮する自画像』 通称『病めるバッカス』ともいうそうで、1593年の作品です。右は、『果物籠を持つ少年』、1594年ごろの作品です。・・・これ、少年ですか〜??女の人かと思った! ・・・そんなことはともかく。これらの作品は、まだ、後の作品の特徴である、「力強い造形をなす闇はあらわれていない」と。なるほど。

    

 こちらは、ラファエロの『一角獣を抱く貴婦人』1506年の作品です。 かつては「ひどい加筆」がされていたようですが、粘り強い修復によって、現在の状態に戻ったそうです。
この作品、日本で「ボルゲーゼ美術館展」が開催された際に、日本に来たかと思います。(私は見に行っていませんが)
   

 以上、ボルゲーゼ美術館でした。この美術館、ヴァチカンなどと比べるとこじんまりとしてはいますが、名作ぞろいです。機会があれば是非、訪れていただきたいところです。・・・でも最近、人が多すぎてゆっくり鑑賞できませんが・・・(ブツブツ)。
 


その2


2011.04.07  

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