3日目(10日) (その2)

** この日の観光コース **

ボルゲーゼン公園/美術館 〜 コロッセオ 〜 フォロ・ロマーノ 〜 カンピドーリオの丘 〜 トレヴィの泉

昼食で気持ちよくワインを飲んだ後、地下鉄でコロッセオへ・・・

その1から続く

☆ コロッセオ(Colosseo) ☆


  

 もう、何度も訪れていますので・・・まず簡単な解説は、過去のコピペで(笑)。・・・ヴェシパシアヌス帝が72年に建造を始め、息子であるティトス帝の時代80年に完成しました。この場所は、ネロ帝のドムス・アウレアのアトリウムの跡地だったそうです。コロッセオの語源は、かつてこの場所の近くに立っていたネロの巨像(Colossus)から。ヴェシパシアヌスは、この巨像を取り除くことはしませんでしたが、顔をネロから太陽神に変えたらしいです・・・。ちなみに、コロッセオの正式名称は、フラヴィウス円形劇場(Amphitheatrum Fravium)、となるそうです。なお、ここでキリスト教徒の処刑が行われた、という通説がありますが、それは誤りです。(ネロ帝による処刑が行われたのは、戦車競技場です。2日目、その2のサン・ピエトロ大聖堂をご参照ください
 構造、用途、その他諸々のことはもう、あちこちに解説やらなんやら出ているので・・・ここでは、内部の写真を中心にご紹介しましょう。

    まずは、入り口付近から見上げた姿。円周方向にも、そして直径方向(縦方向?)にも、アーチが形成されています。こういう構造で強度を保っているんでしょうね。
 何とか、柱の構造が見えます。一番下は柱頭のみしかみえませんが、これはドーリア式(もしくはトスカーナ式)、中央はイオニア式、そしてとても見づらい・・・というかほとんど見えませんが、上のはコリント式。

 いよいよ、コロッセオの中。アレーナの地下は、かなり深いです。ここに猛獣の檻やら、いろいろな舞台装置やら・・・があったんですね。そして・・・上の方は、かつては観客席だったんですね・・・。今はアーチ構造がむき出しになってしまってますが。

    

     これは、1階のアレーナの周辺部分。崩れる前であれば、観客席の下になるのかな。現在は天井が落ちてしまってますから、イメージしにくいですが・・・
 こちらは、上からアレーナを眺めたもの。「アレーナ」の元々の意味は「砂」でしたっけ??    

 アレーナの一部には板が張られています。かつての姿を再現しているのでしょうか・・・。その向うには、残っている観客席もみえます。結構下のほうですから・・・元老院議員など、おエラいさんたちの席なんでしょうね! 

  


 こちらは、コロッセオからみた風景。左は、コンスタンティヌスの凱旋門。(昨年の解説はこちら→) 右は、原っぱのあたりがウェヌスとローマの神殿。ハドリアヌス帝のデザインだったかと記憶してますが・・・。その向うの、比較的レンガ?の構造が残っているのが、マクセンティウスとコンスタンティヌスのバシリカ。 

      

 これは、コロッセオの中に転がってた柱の破片や柱頭。手前の柱頭の外側は白い石で覆われていますが、中はレンガ。白い石のほとんどは大理石ではなく、「トラヴァーチン」と呼ばれる石灰岩のようです。多孔質な材質のため、細かい細工を施すことは難しいらしく、仕上げが少々荒っぽいようです。仕上げの細かさよりも、スケール感を優先させたとのこと。このトラヴァーチンは、ティヴォリ近郊のアルブラーエ採石場から運ばれてきたそうです。   
    コロッセオ内の見学を終え、外へ。コロッセオの横には、ローマ時代の道が残っています。 ポンペイの道と比べると平らで、状態はいいように思います。さすが首都?
 向うに見えるのは、コンスタンティヌスの凱旋門です。



  
☆ フォロ・ロマーノ(Foro Romano)〜カンピドーリオの丘(Il Campidoglio) ☆


 コロッセオからまっすぐに伸びた道「フォーリ・インペリアーリ」を通って、カンピドーリオの丘に向かいます。昨年は、フォーリ・インペリアーリは工事中でしたが、今年は綺麗に歩道が整備されていたように思います。フォロ・ロマーノは、今回もフォーリ・インペリアーリを通りながら、あとはカンピドーリオの丘から眺める・・・ということになりまして・・・残念ながら中を歩くことができませんでした(涙)。 ・・・というわけで、前年にも通ったところで、ほとんど紹介済みなので、再びリンクを貼っておきます。 

 いきなり去年も載せた図になってしまいまた・・・。これはマクセンティウスのバジリカの側面に飾られた、ローマの版図。 でも、去年の写真と違って人が写っているので、大きさがよく分かりますね!一番右が、トライアヌス帝の時代で、ローマ帝国最大版図。   

 今回初登場は、カンピドーリオの丘へ向かう坂道。CLIVUS CAPITOLINUS(クリウス・カピトリヌス=カピトリーノ坂)というらしいです。凱旋式の際、凱旋将軍の行列が丘の上のユピテル神殿に向かった道。ティベリウスも何度もここを通ったはずです・・・オクタヴィアヌスの凱旋式のときも含めて(笑)。
 左の写真は、丘の左側から坂道を眺めたもの。ちょっと遠くて、「坂」が分かりにくいですが・・・。右は、丘の右側から眺めたもの。

   

     毎回しつこいですが(笑)・・・この3本柱は、カストルとポルックスの神殿。数少ない、ティベリウスによる建造物なので、やはり外すわけにはいきません〜!。
  これは、カンピドーリオ広場に設置されている、マルクス・アウレリウス帝の騎馬像のコピー。本物は、カピトリーニ博物館に保管されています。この広場は、ミケランジェロが設計したもの。
  
    これは、現在の丘への正面入り口となる階段。このあたりも、ミケランジェロの設計により整備されたようです。両側に、カストルとポルックスの像が飾られています。この彫像は、帝政時代のものだそうです!
 なお、この階段を下りたところに、アウグストゥスが早世した甥っ子の名をつけた「マルケルス劇場」がありますが、今回いい写真がなかったので省略(笑)。ご覧になりたい方は、こちらをご参照ください(ページのだいぶ下のほうになってしまいますが・・・)。


 




☆ トレヴィの泉(Fontana di trevi) ☆



 カンピドーリオの丘を降り、ヴェネツィア広場からコルソ通りを歩いて、トレヴィの泉にたどりつきました。ホテルからも割りと近い場所でしたので、今回は結局3回くらい訪ねたでしょうか・・・コインも投げないのに(笑)。 ちなみに上の写真は、一番天気のよかった帰国日(泣)の午前中に撮影したもの。・・・でもそういえば、肝心の“水”がほとんど写っていませんね・・・(笑)。
  (以下、過去の文章のコピペ・・・笑)ローマは古代から上下水道が発達していました。水道は、水質維持のため流しっぱなしとなっており、水道の末端に泉を作るのが慣わしだったようです。この泉の起源は古く、アウグストゥスの右腕であったアグリッパの浴場のために引かれた“ヴィルゴ水道”から水が供給されています。(この上水道は、古代ローマの水道のうちただひとつだけ修復され、ローマ中の噴水に水を供給しているそうです) 現在の泉を完成させたのは、1730年、ニコラ・サルヴィという、当時ほとんど無名の建築家だそうです。でも、ベルニーニの残したデザインという説は根強いとか・・・。
 ・・・まあ、最重要ポイントは、「アグリッパのヴィルゴ水道」ですかね!すなわち、ティベリウスもこの水道からの水に触れていたであろう、ということ♪(・・・と、何となくこじつけてみる・・・)

 一応、全体像も・・・といってもこの写真、人が多すぎてやはり水面が写っていませんね(笑)。・・・なんだか、年々人が増えているような気がします・・・。     

これにて、この日のイベントはおしまいで〜す!


2011.05.01  

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