2日目(7月19日)


** この日の観光コース **

 ブルーモスク ~ トプカプ宮殿 ~ 旧市街散策 ~ ベリーダンス鑑賞 

前回も・・・なんですが,到着翌日のこの日のみ,雨に見舞われてしまいました。





☆ ブルーモスク(Blue Mosque(Sultanahmet Camii)) ☆


 本当に,とても美しいモスク.正式名称は、 スルタンアフメットジャミィ 。この建物の中のイズニックタイルのブルーの美しさから、ブルーモスク、と呼ばれるようになったそうです。もう一つの大きな特徴は、 ミナレット と呼ばれる尖塔の数。全部で6本ありますが、これは世界中のモスクの中の最多なのだそうです。 スルタン アフメット1世が1609年に建造を命じ、オスマントルコの高名な建築家スィナンの弟子・メフメット・アーによって7年かけて建てられました。
 この日,写真を見ても雲行きが怪しいですね.見学が終わるころにスコールのような大雨が.傘なんて役に立たないほどの大雨で,いったんホテルに引き返したんですよね・・・


 右の写真は中庭と回廊. 

 ここからは,ブルーモスク内の写真を並べておきます.美しさをご堪能ください.・・・でも.天気がイマイチなので,ステンドグラスの輝きもいまひとつかも.前回の写真のほうが美しいかもしれません...(前回はこちら→)
 正面を写した写真には,あまり人が写っていませんが…実際には,仕切りの手前に大勢の人が.蒸し暑いし,人のにおいもすごくて,なかなかつらい空間でした(涙).しばらく雨宿りをかねて建物の中にいたのですが,一向にやむ気配がなかったので,勇気を出して外に出たのでした・・・. 
    
    
    
 
      こちらの写真は,雨上がり,次のアヤソフィアを見学した後に撮った写真です.まだ空は曇り.



☆ アヤソフィア(Ayasofya)   ☆



 ビサンチン時代にキリスト教会堂として建てられましたが、2度の火災に合い、さらにイスタンブールを征服したメフメット2世の命によりモスクに改修さます。その後 トルコ独立の際、トルコ建国の父アタテュルクは、ここを無宗教の博物館としました。詳細は,前回の記録に記載しているので,ご興味のある方はぜひこちら(→)をご覧ください.

 下,左の写真は入り口の古い遺跡.テオドシウス帝時代の教会跡だそうです.右は入り口の門で,「皇帝の門」です.

    

 下,正面の聖母子像のモザイクです.右の写真,上のほうには聖母子像,両脇の円盤はアラーとかのイスラム教が崇拝する人物が記されてます.そして右下の階段はミンバル,その横の真正面よりちょっと右にずれたところにある祭壇のようなものはミフラブです.ミフラブは,メッカの方向を示しているので,真正面から少しずれてます.・・・まあ,このキリスト教とイスラム上の象徴の入り交ざった正面の姿が,この建物の歴史を端的に表している,ということですね.

    
  床の色大理石が美しいので,写真とりました.ローマ帝国各地から取り寄せたものでしょうね.     

 下,左の写真は,中央のドーム.前回は修復中で,一部足場に覆われてましたが,今回はドーム部分はみえますね.まだあちこち修復中のところはありますが.
 そして右の写真は,大天使ガブリエル.聖母子の向かって右側,すなわち南側にあります.写真は,2階の回廊から撮ったもの.

    

 美しい照明をいくつか.・・・これ,映画の009(Re : Cyborg)の聖堂のシーンの参考にもなっていると思います.上のほうから釣り下がった,豪華で幻想的な照明です.

    

      これは2階への通路.馬や輿で登れるように坂道になってます.この写真は前回よりきれいに撮れてます!・・・カメラの性能が若干よくなってるので. 

 ここからは2階です.繊細な装飾やモザイクをいくつか.それぞれのモザイクの解説は前回,こちら(→)で紹介してます.

    
    
      こちらは,天国と地獄の門.
     

 こちらは,出口付近.鏡でモザイクが見えやすくなっている様子もわかりますかね.

    
   外のお浄めスペース.泉亭というものです.この辺り全部,昔来たときと同じです.今回,猫はみませんでしたが・・・.



☆ トプカプ宮殿(Topkapi Sarayi)   ☆



 宮殿は、スルタン・メフメット2世が1462年に建設を命じ、1467年に完成しました。その後増改築が繰り返され、1856年にドルマバフチェに宮殿が移されるまで、スルタンの住まい・公式行事の場所としての役割を果たしました。またハレムは、1588年にスレイマン1世により旧宮殿からこちらに移されました。 こちらも,前回訪れておりまして,そのときに頑張って解説を書いていますので,もしよろしかったらこちらをご覧ください→
 
宮殿内部には、3重の門を抜けていきます。上の写真は最初の入り口,1478年に建設された、 皇帝の門(バーブフマユーン) 。ここからは、大臣と海外からの公使を除く客人は馬を下りて歩いて入らなければなりません。この中は第一内庭と呼ばれており,ここまでは無料で入れます.

 こちらは,第一内庭にある、“ アヤ・イリニ教会 ”。今回は,2方向から写真撮りました.前回も今回も,中の見学はしていません.ちなみに・・・この庭までは,入場料払わずにはいることができます.考古学博物館へ向かうのには,この教会脇を通って坂を下りていくことができます.

    

 さて.第一内庭からゲートのある表敬の門を通り,さらに中に入ります. この宮殿,前回はガイドさんに案内していただいたのですが,時間がなく見学がかなわなかったところがありました.それは・・・ハーレム!今回は,ハーレムを訪れることができました!!
 ハーレムは,宮殿の入場料を払って第2庭園に入った左側にあります.ちなみに,見学料金は別です.下の写真は,入り口を入ってわりとすぐのところ.通路・・・ですかね.

    

  こちらは,スルタンの母君の「アパートメント」. ・・・と思うんですけどね.本の写真と微妙にちがってたりするので,違うかもしれません(汗).

    

 こちら(右と下)は,スルタン・ムラド3世の部屋です.ハレムの中では最古の造りに数えられ,16世紀,高名な建築家スィナンによるものだそうです.たぶん,右の写真は噴水泉です.ここから流れ落ちる水音は,密談の内容が外に漏れるのを防ぐ消音効果のほかに,涼しげな雰囲気を醸し出すという役割もあったみたいですね.
 青とサンゴ色のイズニックタイルは,当時のオリジナルの装飾そのまま,だそうです.美しいお部屋です.
 

     

    

     こちらは,果実の間(イエミン・オダス YEMIS(下に髭) ODASI).写真撮影不可のマークが・・・(汗).こちらは,チューリップ期(1718~1730年)にヨーロッパ・ロココ様式の影響を受けて建てられたお部屋のようで,アフメット3世が使用したのだそうです.この部屋だけロココ様式で他が違うのか・・・??? う~ん,ちゃんとよくみたわけではないですが,違いがよくわかりません・・・
 

  こちら,下左は皇子たちの部屋(カフェス)??・・・かどうかが不明.(写真を写した順番だとそうなるんですが・・・なんか,説明パネルのバックのタイルと,こちらのタイルの模様が異なるような・・・??????)う~ん,情けなし...でも,「ステンドグラスの窓や貴重なタイルで華麗な装飾を施した17世紀の建物」7との,ガイド本の記載があったので,やっぱりそうかな?皇子たちが隔離されていたところのようです.本来は,12の皇子たちの住まいがあり,2~3部屋で構成されるそれぞれの住まいで,各自にお付きの宦官たち,お気に入りの女官たちと過ごしていたようです.また,皇子たちが互いに接触を持つことはなかったとか.また,皇子と女官の間にできた子供の出産は許されず,堕胎させられるか,人知れず宮殿外に里子に出されてしまったそうです.
 右の写真は,カフェスの付近から外に出たところです.

    



  こちらは,「寵姫たちの内庭」,で,おそらく建物の右側はハレムの女性たちの部屋,正面がスルタン・アブドゥルハミット1世の部屋.      

  こちら,下左はハーレム内のモスクの入り口・・・だったと思うのですが..中は写真撮ってませんね.・・・ただ,見た目,結構明るいですよね.こんな,いわばお屋敷内の場合・・・キリストの礼拝堂って,結構暗くて厳かな感じのものが多いと思うんですが,モスクはずいぶん明るい印象ですね. どうも今一つ記憶に自信がないのは,「Mosque」と書かれた立札の横に,きれいな象嵌の施された扉の写った,右の写真があるから...でも,たしか,モスクとして左の写真を撮ったと思うんですけどねえ. ちなみに,この右の写真のような象嵌の扉は,結構あちこちの部屋にありました.なかなかきれいですよね・・・.

       
      左の写真は,建物の2階への階段です.女性たちの部屋へ通じるものです. ・・・小さな,質素な階段ですよね.華やかなイメージのハーレムですが,この階段が,ここで暮らす女性たちの置かれていた状況を端的に表しているような気がします. 
  さ,見学も終盤です.ここは黄金の道(ALTINYOL) を抜けて出てきたあたり.なにやら大きな鏡が.でも,何か,は...不明. そして,間もなく出口・・・だったと思います.(ちょっと記憶があやふやに・・・)
 まあ,ともかく...ハーレムの豪華さと,囲まれた狭い世界で生きる寂しさ・・・みたいなものを,ちょっと感じましたね.
     
      そして,これももう,記憶がさっぱり,なんですが・・・
特別なように囲いのしてあるもの.「The Place for the Sacred Standart」と,記載されています.(Standard,ではなく,です.)直訳すると,「聖なる標準の場所」・・・くらいは私にもわかります.でも,それって・・・いったい何なんでしょうか???
・・とおもったら.ネット上で説明を見つけました.諸国を征服して戻ってきたときに,遠征に持って行った帝国の旗を立てた場所のようです.旗をここに立てて,式典を行っていたのだそうです...

 ・・・以上,ハーレムの見学でした!

このあたりは,宮殿の一番奥の方.第4内庭に面しているこちらの建物は,ソファの館(テラスの東屋)です.ハレムの建物を除くと,宮殿内で唯一の木造建築だとか.1703年,スルタン・アフメット三世の治世下に建てられたそうです.当時,ここは休息用の部屋として使用されていたようですが,後のチューリップ朝(1718~1730年)になると賓客用の部屋として利用されるようになったようです.なお,チューリップ期,毎年4月になるとかつてこのあたり(ソファの館の前)にあったチューリップの庭で盛大な祭りが催されたのだそうです.
 前回は,この東屋を逆側から見てますね.
     
     

  左の写真は,イフタールのポーチ.ラマダンの時に ,日没後最初の食事をスルタンがとった場所だそうです.ここは,スルタン・イブラヒムが1640年に作ったポーチだそうです.右の写真は,ポーチ付近からの眺め.新市街とガラタ塔がよく見えます.

    
   こちらは,前回は工事(修復?)中で見ることができなかったバグダッドの館.今回は,外も中も,見ることができました.
 バグダッドの館は,バグダッド遠征を記念して建てられたものだそうです.

 で,こちらが,バグダッドの館の内部.中央の火鉢,マンガルというそうですが,これは,ルイ14世からの贈呈品だそうです.また,左写真には,金と青銅の暖炉が.そういえば,この宮殿って,小さな建物がぱらぱらとあるんですが,何となく寒そうな感じがします・・・.塩野七生さんが確か,このトプカプ宮殿のことを,(広い宮殿といっても)遊牧民のテントの感覚が抜けていない・・・というように表現されていましたが,まさにそんな印象なんですよね.あまり居心地がいいような気がしないのです.

    

      遠くに,スレイマニエ・ジャーミィが見えます.こちら,イスタンブール最大のモスクですが,ドームの大きさはアヤソフィアに負けるのだそうです.     

 こちらは,嫡子の割礼の間(奥)とその前にある噴水泉.今回は割礼の間の周囲の写真は撮っていませんが,前回のときに,美しいタイルの壁面の写真を撮っているので,もしよろしかったらご覧ください.(こちら→)
割礼の間って,前回間違えていたんですが,壁面の美しいイズニックタイルの向こうに,小さな部屋があったんです.
    
        そして,割礼の間の内部.窓のステンドグラスが綺麗です!

 ・・・続いては,「レヴァンの館(Revan Köşkü:ネットでまんまの字があったので,コピーしちゃいました!英語の説明では,REVAN KIOSKと書かれてます)」です.1635~6年,ムラドIV世のレヴァンでの勝利を記念して建てられたようです.ですが.レヴァンってのが,どうしてもわからない・・・のです.
 左の写真は入り口,そして下は内部です.
 
     
     

  ・・・で,そろそろお腹がすいてきたのですが・・・前回ガイドさんに連れて行ってもらった,宮殿内のカフェやレストランでは,どうも食欲をそそるものがなく・・・仕方がないので,もう少し我慢して,見学を続けることにしました.
 下,左の写真は,カフェからボスフォラス海峡を臨んだところなんですが,城壁跡が見えます.これは,ローマ時代のものと思われます.そして右の写真は,カフェの様子.

    

     ・・・こちらは,宝物殿の外観です.宝物殿の内部は撮影不可.前回は,カタログから一部掲載していますので,もしよろしかったらこちらをどうぞ→.
 スプーン職人のダイヤモンドは大きくてキラキラ,でしたが,印象深いのは,ゴロゴロと,たくさんの大きなエメラルドです.トプカプの剣以外にも,大きなエメラルドを飾った宝物が数多くありました.
 

・・・こちらは,「謁見の間(Private Audience Hall/ Chamber of Petitions)」.内部は,ガラスで向こうがわが仕切られてしまっており,あまりいい写真が撮れませんでした.ここにはいくつかの布がガラスの向こうに展示されていました.右の写真の布は,玉座のカバーのようです.16世紀後半のもの.

    

 ・・・こちらは,厨房.今回は,中の見学ができませんでした.残念!!
 中国の陶器や日本の伊万里焼,そして,給食の鍋みたいな巨大な鍋・・・などがあったんですけどね.今回は見られず,残念.
     
        こちらは,幸福の門(ハービュスサーディット,別名は白人宦官の門).
 第2庭園.遠くにハレムの入り口が見えます.手前は,古い道の跡?と思ったら,貯水槽の跡のようです.(プレートにはBYZANTINE CISTERN,とあります)5~6世紀,宮殿(の位置?)の近くにはたくさんの貯水槽があったようで,これらはオスマン人が使用していたようです.

 そして・・・トプカプ宮殿をあとにします...
    



☆ 旧市街散策 ☆

 お腹がすきながらも頑張って,ガラタ橋のたもとまでやってきました.左の写真は,ガラタ橋. ここの名物は,なんといっても「サバサンド(バルック エキメッキ/エキメイ)」です!!前回は,ツアーで食事がほとんどセッティングされてしまっていたので,食べるチャンスがなかったのですが・・・今回は満喫しまくり!です.バゲットにオニオンスライスと焼いたサバを挟み,レモン汁(といっても・・・ちょっと人工的だったりしますが)をかけたもの.このシンプルさが何とも言えず美味しく,金閣湾を前にかぶりつくのはなかなかのものです♪ ただ.残念なのは・・・ここで白ワインかビールでも飲みたいところなんですが・・・道端のアルコールは禁止ですし,露店でもコーラは売られていますが,アルコール類は一切なし!!
 そして,右の写真は・・・エジプシャン バザールを抜けて旧市街の丘の上に上る途中です.エジプシャン・バザールは,食品やスパイスのお店がひしめいているのですが,そこから丘を登っていくと途中から洋服店ばかりに.なかには,ウエディングドレスを売ってるお店もいくつもあったり・・・何とも言えず不思議な光景でした.

    

       そして,ブルーモスク脇の広場,ヒポドゥロームへ向かいます.左の写真,なにやら古そうな柱.ローマ時代のものっぽいのですが・・・実はどこにあったものか思い出せないのです.・・・多分,ヒポドゥローム内ではなく,向かう途中にあったものかと・・・. 

 そして,ここがヒポドゥローム.今年・・・2016年1月に,爆発のあったところです・・・.このときは,こんなに平和な風景です.今はどんな感じなんでしょうか・・・・・・.
 カフェが出ているのが見えます.ただしこういうカフェには,残念なことにビールなどのアルコールはおいてありません.たいてい,コーラかコーヒーを飲んでいるように見えます.
 ヒポドゥロームについては,後日詳細を紹介します.

    

 ヒポドゥロームを抜け,ブルーモスク側の敷地からアヤソフィアをのぞみます.このころには,だいぶ青空が見えてきてますね.     



☆ ベリーダンス鑑賞(@ケルヴァンサライ:Kervansaray) ☆



 前回は,旧市街のお店で鑑賞したと思うのですが,場所は覚えておらず.今回は,新市街のヒルトンホテル近くのケルヴァンサライにて,ベリーダンスを鑑賞しました.ここは老舗のナイトクラブだそうで,トップダンサーのアセナさんが登場することでも有名なのだそうです. でも.ステージの大きさや,ベリーダンス以外の民族舞踊などは・・・前回の方がよかったように思います.今回は食事をする席も狭いし,お料理もワインもイマイチ.・・・ベリーダンスのレベルの違いなんてわからないので・・・私は場所わからないけど,前回のお店に軍配を上げたいですね!.
 まあでも.せっかくなので,写真を少し載せておきます.どうも,デジカメでこういう写真を撮るのって難しい.シャッターのタイミングがなぜかずれる.私が使い方を把握してないのかもしれませんが・・・. 左は何人目かのベリーダンス.結構貫禄がありましたね.見次は男性の民族舞踊.炎を使ったものでした.

    

 そして,こちらが(たぶん),トップダンサーのアセナさん.綺麗なピンク色の衣装で,ほかの人と比べても華やかでした.



 ベリーダンス鑑賞後,送迎バスを降りたところから見た,ブルーモスク.ライトアップがきれいです. これにて,滞在2日目,観光初日目の紹介は完了!




2016.4.2 まで記述
2018年6月24日アップ



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