4日目(7月21日)


** この日の観光コース **

 ルメリ・ヒサール ~ グランド・バザール (~ ホテルの屋上バー) 

前回も・・・なんですが,到着翌日のこの日のみ,雨に見舞われてしまいました。





☆ ルメリ・ヒサール(Rumeli Hisari)  最後のiに点なし  ☆

 

 数年前、タクシーを飛ばして目の前にたどり着きながら、休館日で中に入れなかったのが、ここ、ルメリ・ヒサールです。今回は念願かなって、ここに立つことが出来ました。 今回は、がんばって、バスに乗ってたどり着きました。前回の記述はこちら。(今回、必要と思われる文章は、こっちにコピーしましたが・・・)
 とはいえ・・・ここ、ルメリ・ヒサールは、ローマ帝国にとってみれば、敵方の施設なんですが。。。 上まで登るとやはりすごい迫力。この目の前を船で通らなければならなかった商人たちは、さぞかし肝を冷やしただろうなあ、と、容易に想像できます。


 まずはルメリ・ヒサールに到着後、ボスフォラス海峡に面した遊歩道?へ。第二ボスフォラス大橋(ファーティフ・スルタン・メフメト橋(トルコ語:Fatih Sultan Mehmet Köprüsü))がすぐ近くにあります。日本の政府開発援助のもと、日本の企業によって建設され、1988年7月3日に完成したそうです。そして・・・同年に開通した瀬戸大橋とは姉妹橋の関係にある・・・のだそうです!     
     遊歩道から、バスも走る街道をはさんだ陸側に、大きな建造物があります。 これが、ルメリ・ヒサールです!
 入り口に向かって歩いていきます。
前回は、この入り口までしか来れませんでしたが、今回は無事、中に入ることが出来ました!
自家用車が結構停まっていることかもわかるように、ぼちぼち観光客も訪れてました。
    

 こちらは、入ってすぐのところに提示されていた、ルメリ・ヒサールのスケッチと地図。下の地図では、上側がボスフォラス海峡。

ルメリ・ヒサールは、1542年、コンスタンティノープル攻略を前に、スルタン・メフメット2世がボスフォラス海峡のヨーロッパ・サイドに建築した要塞。1万人の労働者、1000人の石工職人らを動員し、3人の高官たちに競わせるように建築を進めさせた結果、わずか4ヶ月で完成したそうです。ルメリ・ヒサールとは、ローマの城塞、の意味。この要塞と対岸のアナドル・ヒサールにより、コンスタンティノープル攻略時に海峡の制海権は、事実上オスマントルコの手に落ちたのでした。





 さあ!いよいよ・・・と、この城壁に上っていきますが、正直・・・すごいところです。柵はないし、ほんとに「自己責任でドーゾ!」って感じ。足がすくみました・・・。左は登ってきた階段。ほんと、ちょっと足滑らせたら、数十m下に真っ逆さまです。右。階段を登り切っても、最後はよっこらしょって、よじ登らないとだめなんです。ほんとに怖い・・・。ここ落ちた人って、絶対、いるんじゃないかなあ・・・・・・。

    

登れる範囲での一番上まで登ったところ(上右写真)から反対側に目を向けるると、第二ボスフォラス大橋がみえました。      

 高い所はぞんぶんに堪能したので、下に降りて中庭??を散策。左の写真は、海峡側に建てられた等の一つ。右は、ずらっと並べられた大砲。これは普通サイズですがね。

     

 この辺も中庭?の様子です。右の方に見える建物はお手洗いですが、傾斜地に立っているので、その上に地面がありました。右の写真は、海峡側の塀の上。

    

 塀のうえから対岸を臨むと、アナドル・ヒサールが見えます。
 アナドル・ヒサールとは、アジアの城塞、の意味。1391年にスルタン・ベヤズット1世によって築かれた要塞で、1452年にメフメット2世が拡張したのだそうです。 こちらのルメリ・ヒサールと両岸から、海峡を航行する船に攻撃を加えていたんですね~。こりゃ大変です!
     
       ここが確か・・・お手洗いの上になる場所。普通に地面です。木陰で一休みにはちょうど良い場所です。

 続いては、海峡側の高い塔の内部。面白い造りだなと。上に上がることはできませんでしたが。兵士たちは、こういうところにいたんでしょうかね。 

     

 下の写真は、搭の入り口付近。左の写真には、大砲の玉が見えます。右の写真には鎖が。これは、ローマ帝国側が、金閣湾を封鎖したときの鎖だと思います。考古学博物館に置かれていたものと同じものです。先日、N〇Kでコンスタンティノープルのネタが放映されていて、それによると・・・鎖の重さは一つ15kgだとか。

     

 塀の中を一通り堪能し、外に出てきました。外側には、前回同様に、ウルバンの巨大な大砲が鎮座してました。
 ハンガリー人、ウルバンが巨大な大砲の製造技術を売り込んできたとき、ビサンチン帝国はまったく本気にしませんでしたが、オスマントルコのスルタン・メフメット2世は彼を賓客として迎えます。そして、ウルバンの指導のもと、その巨大大砲製造にとりかかります。  鉄壁で、その突破など誰も信じなかった、コンスタンティノープルの 3重の城壁は、この巨大大砲によるダメージが元でついに突破されてしまい、ローマ帝国は終焉を迎えました。

    



☆ グランド・バザール(Kapali Carsi)  Cとsの下に髭、iの上の点無し  ☆

   トルコ語では、 カパル・チャルシュ 。屋根のある市場、の意味だそうです。コンスタンティノープルを征服した直後に、メフメット2世が建設を命じたそうで、1461年に完成しています。最初は小さなバザールだったようですが、増築に増築を重ね、1894年の建て直しで現在の規模に。しかし1954年に火災で焼失、その後再建されたのが現在の建物のようです。とにかく大きなショッピングモールってとこでしょうか。・・・」と、以上、前回のコメントをコピー。その時の写真もちょっとだけ貼ってあるので、もしよろしければこちらをどうぞ

前回は、見るだけは見たりしていた貴金属のショーウインドウにも、今回は目もくれずで。今回、一応ちょっと見てみたかったのは、「ハン」と呼ばれる、工房が集まったような場所です。何故かというと、009の映画で出てきたからです!(008:ピュンマが失踪したところ)009では、「ジェベジ・ハン」ということだったんですが、私たちがたどり着いたのが、”ジェベジ”・ハンなのか、他のハンなのかが、今一つ確証が持てずで。でも確かに、趣のあるところで、映画で使いたくなるのもわかるかも~・・・と思いました。

というわけで。下の写真、まず左は、グランド・バザールの大通りの一つ。右は、ハンに抜けるところ。

    

ハンの手前に、2回に上がる階段がありました。ピュンマの登って行った階段とはちょっとちがうような気がしますが。
 
     

  そして、こちらが、ハンの中です。ハンは中庭のようになっていて、天井がありません。開放的で落ち着いた雰囲気。

    
      グランドバザールの大通りに戻りました。交差点に水飲み場があります。

  こちらは、どうも、マイルストーン的なもののよう。グランドバザールを抜け、ホテルに戻る途中にありました。     



☆ ホテルの屋上バー ☆

  前日の、セブンヒルズ ホテルほどの眺めではないですが、なかなか趣のあるところです。左の写真では、前日のホテルの明かりが見えます。このホテルの屋上よりだいぶ高いのがわかりますね。その向こうに、ブルーモスクの一部が見えています。一方、右写真のように、アヤソフィアは、こちらのホテルからもよく見えますね。

 この日は、イスタンブール最後の夜。ゆっくり満喫しました!

    

建物の間から、何とか海が見えます。

 
     

 




2018.12.15

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