3日目(7月20日)


** この日の観光コース **

 考古学博物館 ~ モザイク博物館 ~ ヒッポドゥローム ~ ガラタ搭 ~ セブンヒルズ ホテル 

考古学博物館は改装中で残念





☆ 考古学博物館(Arkeoloji Musesi) Uの上にウムラウト  ☆

    

 数年前は,ティベリウスの像を3つも発見して楽しめた考古学博物館でしたが,今回は残念ながら修復中.写真のように,正面はおおわれており,建物のイラストが描かれていました.そして,前回の前半の古代ギリシャ,ローマ時代の彫刻が展示されていた場所には入れず,そこに展示されていたものからいくつかが工事中の見学ルートに配されていました.…ここには,残念ながら,ティベリウスは無し(涙).
 前回は結構気合いをいれて写真も撮ってますし解説も付けたので,ご興味のある方はこちら(→)へ.


 チケット売り場横.こんな垂れ幕が.一番右はアレクサンドロス,その隣はアウグストゥスの胸像の写真です.これらは中に展示もされていました.
 
    

 左の写真は,中庭.右は,主建物ですが,上の最初の写真の奥の,修復されていない部分.この1階部分が,(以前は何が展示されていたのか不明ですが・・・)仮設スペースになっていました.


    

 それでは入っていきます.・・・やっぱりちょっと、寂しい感じ。。。


 
      このレリーフは、アルカイック時代、紀元前6世紀後期のもので、キジクス(エルデク)出土、と、前回購入した博物館展示品の本に記載がありました。馬車(二頭立てですが)を御しているので,ティベリウスを連想しました!

 左は,垂れ幕に写真のあった,アレクサンドロス大王.右は紀元前3世紀、ペルガモン出土の、「ヘルムアフロディテの像」。両性具有の人物像のようです。

    
 こちらは、エフェベの像。エフェベとは、若い少年、という意味だそうです。トラレス(アイドン)出土で、紀元前1世紀後期~紀元後1世紀前期のもの。ちょっとはにかんだ感じがかわいらしいです。スポーツ選手の像で、体育館に飾られた彫刻の一つと考えられているようです。      


 これらは小さい彫像ですが、どっちもアフロディテのよう。右のは前回も写真撮ったなあ。



 こちらは,ローマ帝国縁の胸像.左から,マルクス・アウレリウス,大アグリッピーナ,そしてアウグストゥス. 
残念ながら、ティベリウスは,ありません(涙)



 左はアスクレピウスの彫像。そして右は、アポロの像。ミレトス(バラト、ソケ)出土の、紀元2世紀のもの。本の解説が面白い!「足が短いのは、ヘレニズム時代のオリジナルをコピーした彫刻師の明らかな失敗だろう」ですって!!

    

 左はアルテミスの像。ミティレネ’レスボス、ギリシャ)出土。紀元前4世紀の作品を紀元後2-3世紀にコピーされたもの。これも解説が・・・「左手は大きすぎ、肩の付け根や衣装の表現、特に腰のあたりは不自然で、上出来の作品とはいえまい。」 そして右は、「コルネリア アントニアの像」。これは、かのアントニアなのか、それとも全く別人なのか・・・わかりませんが。2世紀、ピシディアのアンティオク出土のようです。

    

若干欲求不満をためつつ、上階に移動しました。ここには、こんな風に建築物の展示が。これは、アソスのアテナ神殿のようです。そして、その階下では何か作業が進められているようなんですが、様子はよくわかりませんね。       

 どこの発掘品か、がわかりませんが、美しいパールなどのアクセサリ。

    

 そして、できの悪いと思ってしまう、ティベリウス像。前回記載した解説をそのまま以下に。『ビサンスのコーナーにあったティベリウス頭像。このコーナーは、ビサンス時代(西ローマ帝国滅亡から、コンスタンティノープルがオスマントルコに征服されるまで)の、ビサンチン各地からの遺物が展示されているのだそうです。コメントには、コンスタンティヌス1世の時代にフォーラムで再利用されたもの、と書いてありました。出土はCemberlitas( sの下に髭 )、1世紀の作品です。』 以上。。。




 こちらは、サラチハネ(Sarachane)からの発掘品。サラチハネって、イスタンブールのどこかのようです。      
       こちらは、どうも、墓石のよう。English Coupleの墓石・・・と。なぜこの写真を撮ろうとおもったのか、思い出せない・・・
 こちらは、ガラタ塔の鐘。14世紀、ビサンティン時代のもの。本体は青銅ですが、ハンドルは鉄製。     
        そして、こちらが、金角湾を封鎖した際に使用された鎖の一部。後ろは金閣湾と城壁の絵ですね。この鎖、ルメリ・ヒサールにも置いてありました。やはり、あの湾を封鎖するだけの鎖ですから、結構な長さがあったんでしょうね。
こちらは、トロイの発掘品。前回も写真撮りましたが、第7層です。トロイア戦争の時代。      

 以下は、展示資料の写真。現物はあちこちの博物館にでもあるのでしょうか・・・。まず、下左は、プリアモスとヘカベの前で武装するヘクトルです。そして右は、中央にアンドロマケに別れを告げるヘクトル。この絵の左側には、パリスを𠮟りつける?ヘレネ・・・というシーンも。なかなか笑えますねえ!!

     

 左の写真は、アキレウスとヘクトルの運命の戦い。左がアキレウスで、その後ろにはアテナが彼を見守っていますね。
右は傷ついたヘクトル。右端の女性が誰かの解説はないんですけど、ポーズは逃げ腰ですね。これがヘクトルの運命なんですね・・・(涙)。 
 そして右の絵は、ヘクトルをChariotで引きずってパトロクロスの墓の前にやってきたアキレウス。悲しいシーンが続きますね。

    

 左は、トロイの略奪とプリアモスの死。右は、アイネイアスが炎に包まれるトロイから父を背負って脱出するところ。こういう絵がいろいろ描かれるのって、私たちが現在テレビや映画を楽しんでいるのと一緒なんですかね・・・

     

  トロイアシリーズを過ぎて、次へ。
 こちらは、シリアやパレスチナのガラス。ガラスはやっぱり美しいです。これが新品だったらどんなに眩いかと・・・。
    
     

 左の写真の解説も、写真にとってあったのですが、残念ながらピンボケで今となっては全く情報なし!
今、記事書いてるのが既に4年後なんで、記憶もなし・・・。
情けないですね。

まあ、特徴は。顔が削られてしまっているところ。

 

 ブロンズの作品。手の造形がきれい。

    

      これは日時計。
 大体どこの博物館にもある、エジプトからの発掘品。     

 ここからは、別建屋の、古代オリエント館です。まずは、バビロンの新バビロニア時代の彩釉レンガで作られた建造物の装飾シリーズです。
 以下、カタログからの抜粋。『およそ三千年続いたメソポタミアの土着王朝の最後が新バビロニアだった。ネブカドネザル二世(前605~562)はその英雄的王者たちの最後を飾ったといえよう。彼の時代、首都バビロンは最後の栄華の日々を謳歌していた。(中略)ネブカドネザルのバビロンの壮大さを示すのはイシュタル門であった。それは、行列道路とも呼ばれたメインストリートの入り口でもあり、その二重の門と高い壁の外面は青や黄、黒の釉を施した美しいレンガを用いた様々ン浮彫で飾られていた。』

 こちらは,イシュタルの門の前の行列街路に飾られていたに飾られていたライオン。ドイツのペルガモンに全部あるのかと思ったら、ここにも運ばれていたんですね・・・。(ということは、本国にはやっぱり、ほとんど残っていないのでしょうか・・・。) ・・・ちなみに、ドイツ・ベルリンの、ペルガモン博物館には、二重のイシュタルの門のうちの小さい方と、行列街路が再現されています。遠い過去に解説したページがあるので、よろしかったらご参考に.こちら⇒

    

 こちらは,イシュタルの門のシルシュ(竜)(上)雄牛(下)。ペルガモンのほうは圧巻でしたが、こちらは若干寂しい感じですね。

    

   イシュタルの門について説明されています・・・.
すいません、、年数がたってしまうと、解説をきちんと残そうという気力が低下しており。読み取る気力が起きませんです。
 これは、古い木の扉のよう。多分、保護のために、温湿度が厳密に管理されているようでした。
下は、金具部分の拡大。きれいなレリーフが施されています。
 
    



 こちらは、魔神、だそうです。ニムルドのアッシュルナシルパル二世(紀元前883~859年)の宮殿の壁を飾っていた一連の浮き彫りの一つ。魔神は、低位の神様に属するのだそうです。

     

    

     博物館を出て、次の目的地へ向かう途中、アヤ・ソフィアを見上げます。 



☆ モザイク博物館(Mozaik Musesi) Uの上にウムラウト  ☆


    

  ブルー・モスクの南側にある博物館です。左は入り口。右は、門を入って少し進んだところです。たくさんのモザイクが残っているところなのですが、ここはビサンチン帝国の宮殿跡だそうです。時代は4~5世紀で、1935年に発見されたのだそうです。また、調査の結果(多分、ここから?)海までモザイクの舗装道路が続いていたそうで。・・・なので、床に保存されているものではなく、壁に飾られているものは、道路跡からもってきたものかもしれません。

  アヤソフィアにも、立派なモザイクがたくさんありましたが、こちらはどちらかというと宗教色がなく、むしろこちらのほうが、古来からの伝統的なスタイルなんだろうと思います。
 以下、解説抜きで、博物館内で撮った写真を載せます。ここで買った本、英語なんで、読むのに気力が必要で(苦笑)。

 

 

 

 

 

 


こんなかんじで、動物、人物、植物が生き生きと描かれています。 アヤ・ソフィアで、宗教画のモザイクが美しくて感動しましたが、私、キリスト教徒ではないので、見比べるとこちらのほうがやはり見てて楽しかったですね。



☆ ヒッポドゥローム(Hipodrom) もしくは アトゥ・メイダヌ(At Meydani)

    戦車競技が行なわれていた、ローマ時代の競技場跡です。まあ、ティベリウスよりはだいぶ時代は下ってますが。セプティミウス・セヴェルスの命で198年に建造が開始され、203年に最初のレースが行われた、とガイドブックに記載されています。

 こちらは、広場の北に設置されたオベリスクで、エジプトから持ってこられたもののようです。

そして下写真のらせん状のものは、ギリシャの神殿にあった、青銅製の蛇の柱。






      
  広場の南側にあるオベリスクは、石積みの様子がよくわかります。
これは、コンスタンティヌスのオベリスク、と言われているようですが、築年度などは不明だそう。

 こんな風に、訪れたときは、のどかな光景でした。

 この翌年でしたか。自爆テロの犠牲になった皆様のご冥福を・・・
心からお祈りいたします。

 今のイスタンブールはどんな感じなんでしょうか。治安は回復しているのでしょうか・・・。
    



☆ ガラタ塔(Galata Kulesi) ☆

  前回(2008年)にも訪れています。そして・・・前回にも似たような写真撮ってます。一応リンクを貼っておきます。こちら⇒
説明も前回のを張り付けておきます。(もう手抜き・・・)

この塔は、ビサンチン帝国時代のジェノバ人居住区であった新市街側に立っていて、旧市街側を一望できる絶好のロケーション。実際に塔の上から見回すと、イスタンブールの地形を実感できます。

 世界でも最も古い塔であった、最初のガラタ塔が建設されたのはビサンチン帝国時代の528年で、灯台としての役割を負っていたそうです。ちなみにこのときは木造でした。城塞の見張り用として現在の石造りの塔がジェノバ人によって建てられたのは、1348年(現地のパンフレットより)です。オスマントルコ時代には、もちろんスルタンの所有物となったようですね。ムラトVI世の時代には、この塔から、アジアサイドまで翼をつけて飛んだ飛行家もいたそうです。(どんな翼?とか詳細は不明ですが。)
 壁の厚さは下のほうで3.75m、これがてっぺんでは20cmまで薄くなっているとか。なるほど・・・。8階が展望台ですが、内側はフロアになっていて、昼は軽食が食べられます。そして夜は、ここはナイトクラブになるらしいです・・・。
   

  左の写真は,塔の入り口に続く行列。やっぱり、結構混んでいるんですよね。右は、上に上がるためのエレベータホールです。
すごく大きなレリーフが飾られているのですが・・・これが何をあらわしているか、の解説は見当たらず。拡大してみるとどうも、ガラタ塔を含む、イスタンブールの町のようです。

         

 エレベータを上がり、搭の上にやってきました。
ここからは、ぐるっとイスタンブールの町を 見渡します。 ・・・まあ、前回とほとんど同じ光景ですが。

 まずは、ボスフォラス海峡の黒海方向。ここから金角湾に向かって、メフメット2世が軍船を運ばせたのは有名な話。すごい。当時は人海戦術(まあ、家畜も動員してでしょうが)ですが、今の技術をもってしても結構大変なのではないかと。
    

  下、左の写真は,ボスフォラス海峡の終わりでかつ、金角湾の入り口(右手前側)。 彼方はマルマラ海となります。半島に見える部分はには、トプカプ宮殿があります。
 右の写真は、金角湾の、より内側。奥はマルマラ海で、その手前にはアヤ・ソフィア(左)とブルーモスクが見えます。

    

  下、左の写真は,ガラタ橋。009の映画で、イスタンブールの最初の光景として出てきたのは、この、ガラタ搭から見たガラタ橋のようでした。
 右の写真は、もう少し金角湾の上流?側になります。

    

 そして、金角湾の奥の方。右手方向から、船が運ばれてこの湾に降ろされたのです。。。
  ひとしきり、高いところからの景色を堪能したのち、旧市街に向かって戻る途中。ガラタ塔は丘の上なので、金閣湾、ガラタ橋方面に下っていきます。そこにすごい落書きがあったので、つい、写真をとってしまいました・・・!!!      

 ガラタ橋を渡って旧市街側に戻ってきました。こちら、イングリッシュパブみたいなお店。今回見かけた中で、唯一、昼間からアルコールが飲めたお店でした!!(まあ、普通のレストランなど、屋内ではおそらく飲めたのでしょうが・・・少なくとも外から目に付くところでは、お酒は飲めるところが見当たりませんでした) やはり暑くて歩き回ったので・・・ビールが美味しかった!!!。

    



☆ セブンヒルズ ホテル (Sevenhills hotel) ☆

  ホテル Sevenhills は、旧市街では一番?高い建物のようで、それを売りにして、屋上がリストランテ?になっており、旧市街を眺めながら、おいしい夕食を堪能できます。 実は、旧市街を歩いているときに、このリストランテの客引きに会い、成り行きで(笑)ディナーの予約をしたのでした.。
 お店にはいったのはまだ、夕暮れの明るい時刻。 ブルーモスク(左)と、アヤソフィア(右)の両方をみることが出来ます。

    

  アヤソフィアから時計回りに視線を移すと、宿泊していたホテルが見えました。(左の写真) このホテル、かつては刑務所として使用されていた建物だそうです。 そして、右の写真は、何やら店先で踊っている人が見えたので、思わずパチリと撮ってしまいました。これ、以前に、”イッ〇Q”で、ジャニ-ズの彼が踊らされてなかったかな???

    

 ここで食べたのが、こちら。シーフードの盛り合わせ。最初に写真撮り忘れてしまったので、食べかけの写真でお見苦しくてすみません。。。 まあ、とにかく量が多いんですよね。この辺から、そろそろ学びました。「なにがお薦めですか?」などと聞こうものなら、食べきれないほどのお料理が出てきてしまうと!!(そういうのじゃない、良心的なところもあるのかもしれませんが・・・) まあとにかく。必死でシーフードを食べまくったのが、この日でしたね~。・・・この時飲んだのは、もちろん、白ワイン。つまみが多すぎたせいか、二人で結局2本もあけてしまいました! いずれも、トルコ産ワインでした。

    

 ここからは、眺めを楽しんだ写真を載せておきます。まずは・・・黄昏時・・・ですかね。西方向のブルーモスクは明るく、アヤソフィア側はもう暮れているように見えますね。

    

すっかり暮れてきましたね。これは、ボスフォラス海峡側です。遠くに見えるのが、第一ボスフォラス大橋で、右が望遠で撮ったもの。

    

そして、下をみると、また、同じ踊りを踊ってました。

 
     

 そして夜の、ブルーモスク(左)と、アヤソフィア(右)。ライトアップした様子も美しいですね。

    

      こちら、翌朝、宿泊していたホテルからとった、Sevenhills hotelです。

 まあ、量は多かったですが、お料理は美味しかったですし、トルコ産ワインも美味しかったです。そして景色は最高!ですので、お薦めのお店です。





2018.7.16

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