2日目(22日)

** この日の観光コース **

フォロ・ロマーノ 〜 パラティーノの丘 〜 
(コロッセオ、サン・ピエトロ・イン・ヴィンコリ教会、サンタ・マリア・マッジョーレ教会、四つの泉の交差点)

ティトゥス帝の凱旋門を過ぎて右に折れると、パラティーノの丘に上がることができます。
この坂の手前や、上る途中には水飲み場があって、みんな手持ちのPETボトルに水を汲んでいました。
水は冷たくて気持ちがよかったので、私たちも自分たちのボトルに汲んでみました。
それで・・・喉も乾いていたので、少々心配ではありましたが、ドキドキしながら少し飲みました。
・・・結果は、特におなかを壊すこともなく、大丈夫でした! 
古代ローマから伝わる水道の水、と思えばおいしさ倍増です♪


 その1から続き 


<パラティーノの丘 編>

 
 フォロ・ロマーノのほうは、カンピドーリオの丘から眺めることができたので、見学前にまだ多少様子がわかる部分もあったのですが、パラティーノの丘のほうは、まったく未知の世界。 

☆ ネロ時代の建物の基礎(Fondazioni Neroniane)  ☆

 フォロから、ティトスの凱旋門の脇をパラティーのの丘まで伸びるコンクリートの基礎です。古い出典によると、ネロのドムス・アウレアの玄関ホールとして建てられたものであろうとのこと。この建造物は、ネロの巨像を取り囲んで、フォロからヴェヌスとローマの神殿まで300mの長さを有し、高さは35mもあったとか。(現地の英語の説明文そのままだと、たぶんこういう訳になっちゃうのですが、ちょっと微妙な感じですね。)
 ドムス・トランジトリアという、ネロが建てたパラティーノからフォロ・ロマーノそしてエスクィリーノの丘まで?つながる宮殿があったそうなんですが、これは、その宮殿の一部なんでしょうかね・・・?


☆ パラティーノから見たコロッセオ ☆

 コロッセオ自体は、フォロ・ロマーノの横っちょにあるので、ここでの見学ルート外ですが・・・やはりローマの象徴みたいなもんですから・・・いつもとは違う、コロッセオの風景ということで、ここで載せておきます!






   


☆ 競技場あるいは馬場(Stadio o ippodromo) ☆

     

 ドムス・アウグスターナ内にある競技場。「アウグスターナ」というから、てっきり、アウグストゥスの家かと思ったのですが、これ、現在はドミティアヌスにより建設された邸宅を指しているようです。 最初にパラティーノの丘で官邸を拡張したのはティベリウスですが、ドミティアヌスはこんなところもティベリウスを真似してるんですねえ。
 まあ〜立派な競技場です!長さは145mだそうです。左の写真が大体全景、この右側の下の構造を写したのが右の写真です。(左の写真を撮ったのが、唐笠松の手前の人が多く見えるあたりです) 下は角柱ですが、かつてはこの上に円柱があって2層の列柱構造だったそうです。


☆ ドムス・アウグスターナ(Domus Augustana) ☆

 先ほども触れたように、競技場なども込み、なので、実際にはこの辺り一帯全部が、「ドムス・アウグスターナ」なのですね。
 横にはドムス・フラヴィアと呼ばれる部分もあります。いずれもドミティアヌス帝によるもので、そちらは公邸部分、こちらのアウグスターナのほうが私邸部分となるそうです。こちらも、いろいろ残っていそうですが・・・肝心なところは入れない状態だったのか、あまり興味をそそられるものを見ることはできませんでした。 





☆ パラティーノ博物館 (Museo del Palatino) ☆

  上の、ドムス・アウグスターナの遺構の隣に、小さな白い建物があります。これが、パラティーノ博物館で、このあたりで発掘されたものなどが展示されています。また、古い建物の基礎が残されています。 ・・・では、展示物をご紹介しましょう!

 こちらは、マルクス・アウレリウスの頭像。 若いころの像ですね。 ちょうど、マンガ「テルマエ・ロマエ」に出てきているくらいのお歳ごろですかねえ(笑)。 ・・・やはり、若いうちから知的な雰囲気は漂っていますねえ。
 やや厚めの瞼が特徴的なんですよね、このお方・・・。 そういえば息子のコモドゥスもそっくりですね。 コモドゥスは、父親がマルクスだってことが嫌でしょうがなかったらしいですが(笑)。








   

 こちらは、アグリッピーナ・ミノルとネロの親子。こちらのアグリッピーナは、お母様と違ってティベリウスに直接害を及ぼしたわけではないので、まあ、特別な感情もないです。でもまあ、悪女には違いない、ですかね? ネロ君は、まだ幼い雰囲気が残ってますね。タイトルも、「トーガを着用した若きネロ」って感じ。その下には、ちゃんとネロのフルネームと在位期間も記載されてます。「Imp. Nero Claudius Caesar Aug. Germanicus(54-68)」
 その1で紹介したポスターに使われていたネロくんの像は、もう太っちゃってて、一応ひげなんか生やしてますから、この像とはだいぶ雰囲気が違いますね。あの像は確か、カピトリーノの博物館にあったと思います。

    

      こちらは、この年もしかしたら日本で一番有名なローマ皇帝になったかもしれない(笑)、ハドリアヌス帝。 テルマエ・ロマエの舞台は、この皇帝の時代の末期ですからね!
 イタリア語だと、Hが抜けて、「Adriano」と書かれています。その下に、「Imp. Caesar Traianus Hadrianus Aug. (117-138 d.C)」と表記されています。 

 今回の旅では、ハドリアヌス帝にも注目していますから、旅の記録の2日目以降にも、たくさん登場予定・・・かな(笑)






  ドムス・ティベリアーナから発掘されたパネルです。 赤と緑の斑岩、古代黄色、古代赤、黒の石盤、Palombino(これ辞書に出てないのです)を組み合わせた大理石のはめ込み細工(=象嵌細工、でいいんじゃないかな〜と思います)で、ネロの時代のものだとか。 な〜んだ、「ドムス・ティベリアーナ」からの出土でも、ティベリウスの時代のものではないんですね。でも、とても美しいです!









   
  大理石の象嵌細工で出来た、壁の上張り。とても小さなパーツからできています。
 こちらは紀元後56〜68年、ネロの時代、ドムス・トランジトリアからの発掘品。
 

 こんなのもありました。とても繊細で素敵です♪こんなもので飾られていた宮殿内は、さぞかし美しかったのでしょうね。    






   
   これは、弾き語りをするアポロ。アウグストゥス帝の時代のもののようです。おそらくアポロ神殿からのものであろうと、現地の本に記載されています。 漆喰に描かれた壁画、いわゆるフレスコ画ですね。 
 アウグストゥスは、アポロとの縁を強調するような面があったようで、自らのイメージをアポロと重ね合わせたりもしていたみたいですよね。
 ティベリウスも目にしたのかも♪・・・なんて思うとちょっと嬉しかったりも。 

 こちらはフリギュアの帽子をかぶったガニュメデス。 そう、鷲に変身したユピテルにさらわれた、トロイの美少年♪ ・・・鼻が欠けているのが残念〜〜!
 ちなみに、これは、紀元前4世紀のギリシャの彫刻の、ローマ、セヴェルス帝の時代のコピーのようです。 私的には、結構新しいなと(笑)。 コピーが流行ったのって、もっと古い時代なのかと思っていました・・・。







   

 この博物館の1階?半地下??には、古い遺構が残っています。なんだか、あまりにたくさんあり、しかもイマイチ面白みがなかったので、あまり真面目にみませんでしたが・・・まあ、こんな感じということで、写真を載せておきます(笑)。

    


☆ ドムス・フラヴィア (Domus Fravia) ☆

 
 このあたり一帯がそうですが。パラティーノ博物館の隣にある建物は、やはり博物館のようになっているようです。残念ながら・・・アウグストゥスの家(Casa di Augusto)の午前の見学終了時間が迫っていたため、外からみただけです。 でも・・・う〜ん、見なかったのはちょっともったいなかったかなあ・・・
 先ほども述べたように、ドミティアヌス帝により建設された、皇帝の公邸部分。






アウグストゥスの家(Casa Augusuta)

 パラティーノの丘一番の見どころのひとつでしょう!「法廷のプリンス」と称賛されたホルテンシウスから、アウグストゥスが購入した邸宅だそうです。アウグストゥスは質素な生活をしていた、とはいいますが、なかなかどうして。立派なお宅です。 しかも、“家具や調度は質素だったかもしれないが、ローマの発祥と建国にまつわる最も神聖な地に、神殿と直結して建てた、その発想は、まさにヘレニズム君主ののものだ”というような指摘もあるそうです。
 ここは、一度に見学に入る人数を制限しているため、係員のお昼休み時間には入場ができません。で、この日は午前の部が13時までだったかと。行列にたどり着いたのが12時半ごろで、それからしばらくして、係員の案内で敷地に入っていきました。

まずは、上階の部屋へ。 こちらは、最も素晴らしい壁画と天井画があるのですが、残念ながら中には入ることはできず、ガラス越しにちょっと眺めるだけです。何人もいるので、ほんとにちょっとのぞくくらいの時間しかありませんでした(涙)。これは、ガラス越しに撮った写真。
 並んでいたところにあったパネルの説明でも、この内部の装飾は素晴らしい、洗練された、などなどと褒めたたえられてました。・・・う〜ん、もったいない。もっとゆっくり見たかった!


  

 そして下に降りて、最初の部屋・・・といいますか、通廊だったところに入ります。左は、そのヴォールト天井。カラフルで美しい格間が描かれています。 右の写真のように、向こう側は今は塞がれてしまっていますが、かつてはアポロ神殿に通じていたそうです。

    

 通廊の左側に、部屋が2つ続いています。・・・これ。私、どっちの写真がどっちの部屋かの記憶が怪しくなってしまいました(汗)しかも・・・ガイドブックや資料に載っている写真とも、壁の絵が一致していないのです!なぜ????? ちなみに、資料などに出ているのは、仮面の部屋もしくは赤の部屋、白い部屋と。いや〜、赤い色には違いないのですが。 
 まずは
一つ目の部屋。基調は赤。 写真ではわかりにくいですが、美しい絵です。 仮面らしきものも見えます。 これが仮面の部屋では?と書かれているBlogもあったのですが。もしかして、資料の写真のほうが間違えてる??

    

 二つ目の部屋。こちも色調は赤。壁の1面にガラスがはめ込まれて、外からも中をのぞくことができます。その下の板は、見学者用に貼られているもの。オリジナルの床は、写真に写っているように大理石。レリーフは失われてしまっているそうですが。一方、天井は木ですが、これは新たに作ったものでしょうね。

    

    

 アウグストゥスの家のもっとも古い時期のニンファエウム。 貝で装飾されているそうです。 ・・・・・・が。この黄色は一体?? 
ほんとに昔からこんな色だったのでしょうか? 下の排水溝みたいなところと色が一緒なのもなんだか。
 まあ、部屋のあの鮮やかさからすると、この色がオリジナルなんでしょうか。 私には悪趣味に感じますが・・・・・・







    
   これらの遺構のあった建物の隣の建物(・・・というか、続いていたのかもしれませんが)では、現在発掘中・・・なのかな?保護用の屋根がついています。中には入れません。この建物の左側、ほぼ屋根の高さのところが、見学者用の入り口の通路。





 そして、その通路から、建屋をのぞいてみたのが下の写真。少しフレスコ画が残っているのがわかります。

    
 見学を終えて出口を出てから、家のほうを撮った写真です。向こう側のきれいな屋根のところが、今回見学した部分。手前の仮設の屋根みたいなほうが、上記の発掘調査中のような部分。





    


☆ リウィアの家(Casa di Livia) ☆

 フォロ・ロマーノから見て、アウグストゥスの家の手前側にあります。きれいな建物の中で保存されているという感じでしょうか。ですが、中には入れせんでした・・・。見学時間外だったのか、見学中止中だったのかは・・・不明。いずれにしても、残念。
 ともかく。左側が、リヴィアの家を覆っている建物、右が、建物の汚いガラス窓からのぞいて頑張って撮ってみた写真。う〜ん、これではイマイチよくわからない・・・(涙)

 


☆ ロムルス?の小屋跡(Fondi di capanne di eta' Romvlea) ☆

    う〜ん・・・よくわからないですよね。本の解説をみると、10畳ほどの広さの掘っ立て小屋の支柱の穴が3戸分あいているのだそうです。鉄器時代、紀元前8世紀ごろのものだと考えられているとのこと。 

 タイトルの“?”は、本にそう書いてあったので・・・。一応現場には、ちゃんと「ロムルスの・・・」とかかれたプレートがついていたのですが。






☆ ドムス・ティベリアーナ(Domus Tiberiana) ☆

 ティベリウスが建設した、ローマで最初の宮殿。 ・・・とはいえ、今はほとんどが庭園の下。現在発掘中です。(確か、2012年初めのハイソな奥様向けの雑誌に、この遺跡が発掘中であるとの記事が載っていました) 
 
内気で慎重なティベリウスがなぜ、こんなに豪華な宮殿を建設したのか・・・青柳氏はまず、母リウィアの存在を挙げています。アウグストゥスの家に住み続けている母と同じ家に住んでいては顔を合わせる機会も多くなり、何かと指図される可能性があります。それを避けたかったのだろうと。・・・ほんとに、歳とってからもかわいそうなティベリウス(涙)。 なお、もう一つの重要な理由は、彼が直轄する行政管理組織の重要な部分を身近におくため、だそうです。ただし、ティベリウスは、その治世の多くをスペルロンガとカプリで過ごしているので、この宮殿を利用することは少なかったのだそうです。
 下の写真は、ドムス・ティベリアーナの側面、といったところでしょうか。左は、キュベレー神殿跡の横から撮影したもの、右はアップです。 

    

 宮殿内・・・というべきでしょうか。それとも、屋根の上??(笑) 現在は、ファルネーゼ庭園です。 こんな大きな木がたくさん植わっているんですからねえ。全貌が顔を出すことはないのかもしれません・・・残念。 でも、結構大規模な発掘も行われているようで。右の写真は、奥のほうで発掘が進んでいます。

    

 上の写真の発掘現場?を近くから撮った写真が左のもの。このほかにも、右写真のように、屋根まで取り付けて発掘が行われています。これは、数年後が楽しみです!!

    

 こちらは、ドムス・ティベリアーナの端っこと思われるところから、フォロ・ロマーノ方面を眺めたものです。いやいや、素晴らしい眺めです。下をのぞくと、なかなか大きそうな建造物の名残が。きっと、結構立派な建物だったんでしょうね・・・。

    


 これにて、もう何年越しだかの夢でもあった、フォロ・ロマーノとパラティーノの丘の散策を終わります。いやほんと、長くなっちゃってすみませんでした・・・。
 ここから先は、帰り道・・・です。



☆ コロッセオ(Il Colosseo) ☆


      

 こちらの紹介は、2010年に載せていますので、そちらをご参照いただければ。こちら→ 右の写真は、入り口の上の展望台?のところに掲げられていた表示です。 教皇の名前など書かれているようですが・・・すみません、ラテン語が理解できないので、詳細はわかりません(苦笑)。



☆ サン・ピエトロ・イン・ヴィンコリ教会(San Pietro in Vincoli) ☆


    こちらは、2007年に紹介しています。 説明は、こちらをご参照いただければ。 こちら→
 です・・・が、ここで掲載していた、ミケランジェロの彫刻の写真の調整がうまくいっていなかったので、ここで再掲しておきます。 単に、ソフトを使いこなせていなかっただけなんですけど・・・(汗)
    



☆ サンタ・マリア・マッジョーレ教会(Santa Maria Maggiore) ☆


 こちらも、2010年のローマの旅で紹介してます。こちら→   でも・・・前回も今回も、中には入っていないんですよね。まあ、どうしても、興味はあまり教会には向かないもので(笑)。 で、下の写真、左側は、教会の裏手。こちら側も立派なものです! そして右は、表側。1日目その1でも紹介した、コンスタンティヌスのバシリカにあったとされる柱です。 

    



☆ 四つの泉交差点 (Incrocio delle Quattro Fontane) ☆


 サンタ・マリア・マッジョーレ教会を背に、バルベリーニ広場に向かう道を歩いていくと、ちょうどクィリナーレの丘の尾根のあたりに交差点があります。この各ブロックには、それぞれ噴水が設置されています。これは、かつて、パラティーノの丘の南端を飾っていたセプティゾニウムの彫刻が再利用されているものだそうです。 とっても立派な彫刻ではありますが・・・結構汚れはひどいですね。この彫刻も、いつか洗浄される日が来るでしょうかね・・・

     
     

 この道は、バルベリーニ広場の脇をかすめ、スペイン階段上のトリニタ・ディ・モンティ教会の前につながっています。ですので、通りのずっと先に、教会前に建っているオベリスクが見えます。 やはり、あちこち歩き回ってやっと、いろいろな名所や道路の位置関係がしっかりと理解できるようになります。     




 この日の夜は、Via Sistinaを歩いてトリニタ・ディ・モンティ教会までお散歩。スペイン階段を下りて街のにぎわいを感じました。夜はやはり日本より、過ごしやすいですね。

    
 散歩後バルベリーニ広場まで戻り、食事をしました。やや強引め?な客引きにつられて入ったお店でしたが、サーヴィス満点!店長さん?の仕切りが素晴らしく、夫と二人で感心しながら眺めてました(笑)     


 長い長い1日分が、やっと終わりました!いや〜、長かったですね・・・ページのほうも(苦笑)・・・・・・。



2013.5.19
2013.7.13追記

2012年 ローマの旅 Topへ